両腕に抱える幸福[2]
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出産から三ヶ月。
ようやく身体の調子が元に戻り始めたばかりなのだろう。
ほんの一週間前までは、まだ座る度に痛そうに眉を顰めていた。

ナマエにとって、もちろん千景にとっても、育児というものは人生で初めての体験だ。
見聞きして何となく知っていたことと、実際に自分でやってみることでは、やはり何もかもが異なっている。
予想以上の喜びがあり、そして予想以上のつらさもあった。
朝から晩までどころか、朝から次の日の朝まで、そしてまたその次までと、赤ん坊の面倒を見るという仕事に終わりはない。
特に今はまだ、自らの意思を泣くことでしか表現してくれないのだ。
一日に何度も泣き、その度に乳を与えてはオムツを替え、あやして再び眠りに就かせる。
それをずっと繰り返しているナマエには、まとまった睡眠時間も気を休める暇もないのだろう。
いつ見ても薄っすらと目の下に隈が出来ていることからも、ナマエの疲労と睡眠不足は充分に窺えた。

「大変な時期だろう。俺のことは気にせずともよい」

ナマエが妊娠してからというもの、千景は男の無力さを嫌というほど思い知った。
悪阻のつらさも代わってやれず、腹に子を抱える重みも代わりに持ってやることは出来ない。
出産の時も、痛みに泣き叫んでのたうち回るナマエの傍、千景はただその手を握り締めてやることしか出来なかった。
あまりに無力だった。
そして子が産まれてからもそれは変わらない。
日中千景が仕事をしている間、ナマエは一人で赤ん坊の面倒を見ている。
手伝ってやることも、不安な時に隣にいることも出来はしないのだ。

「赤ん坊の世話はお前に頼るしかない。だから、他のことなど手を抜けばよい」
「……でも、千景さんはお仕事をして下さっているのに、」

ぽつりと漏らされた反論に、千景はナマエの額を軽く小突いた。

「その分お前は子育てをしている、それで対等だろう。家のことは共にやればいい」

元々ナマエは、子ができるまで仕事をしていた。
働くことの大変さを知ってしまっている。
だからこそ、家にいるのに満足に食事も作れない自分を許せないのだろう。
千景からしてみれば、仕事よりも子育ての方が余程大変に思えるのだが、そこはナマエの責任感なのかもしれない。

「お前は少し肩の力を抜け。俺は家事をさせるためにお前を娶ったわけではないぞ」

部屋が多少汚かろうが、食事が手抜きだろうが、洗濯物が溜まっていようが、構わないのだ。
掃除や洗濯は休日に二人でこなせばいいし、食事も今日のように千景が買って来ればいい。

「疲れないはずがなかろう。そして、疲れたならば寄り掛かれ。一人で何もかも抱え込もうとするな」
「……でも、」
「なんだ。お前にとって俺は、頼るに値しないような度量のない男か?」
「そんな、違いますっ」

慌てた様子で首を振られ、千景はくつりと喉を鳴らした。
それでいい、と頬を撫でる。

「ならば、しばらくこうしていろ」

そう言って、華奢な肩をもう一度抱き寄せた。







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