命の所有権[5]
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「伏見君、君のナイフを一本お借り出来ますか?」

近付いてくるナマエを見つめたまま、宗像が伏見に声を掛ける。

「他の操られた人質は、君と淡島君に任せます。数が多い場合、秋山君たちとも分担して下さい。ですが、ミョウジ君には手出し無用です」

宗像が、言い終えると共に障壁を消滅させた。
青い結晶が宙に溶ける。

「室長!」
「どーぞ、」

淡島の咎めるような声に被せて、伏見が袖から抜いたナイフを一本、宗像に差し出す。
宗像は微笑み、そのナイフを受け取った。
そのまま、ナマエの方へと歩き出す。
他の人質が襲ってくる気配はなく、淡島と伏見はナマエに相対する宗像の後ろ姿を見守った。

「今度はちゃあんと仕留めてよ、ナマエ?」

女がナマエの耳元に甘ったるい声を落とす。
ナマエはその言葉に身体だけで反応し、宗像の方へと走りながらナイフを飛ばした。
それを力で弾き飛ばした宗像も、ナマエとの距離を詰める。
サーベルを抜かずにナイフを使うのは、ナマエと出来る限り接近するためだった。
これで避けずとも至近距離で防ぐことが出来るようになる。
宗像はナマエにナイフを当てぬよう細心の注意を払いながら、振り下ろされる攻撃を受け流した。
ナイフの刃同士がぶつかり合い、耳障りな金属音が鳴り響く。

「ほらナマエ、ちゃあんと狙って。ちゃあんと殺してよ」

その金属音よりもさらに不愉快な音が、宗像の鼓膜を揺らした。
ナマエは特に何の反応も見せず、ただ無心に斬りかかってくる。
あまりに器用なナイフ捌きに、普段ナイフを扱うことがまずない宗像の方が若干押され始めた。

「………ナマエ……っ」

少しずつ後退しながら、宗像は届かないと分かっていても思わずその名前を呼んでしまう。

帰って来てくれ。
気付いてくれ。
私は、俺はここにいる。

「ナマエ!」
「ナマエ!」

宗像と女の声が奇しくも重なった、その時だった。

宗像は、ナマエの顔に表情が戻るのを見た。
それは一瞬で、動きには何ら影響しなかったが、確かにナマエの顔に動揺が走った。

「ナマエ?!」

宗像が、もう一度名前を呼んだ。
相変わらずナマエはナイフで宗像を狙い、追い詰めようとしてくる。
だが、その表情は再び揺れ、今度は苦悶に歪んだ。

「あ、……あ、あ……っ、」

その唇から、この店で顔を見て以来初めて声が漏れ、宗像は不意に心臓を締め付けられたような痛みを覚えた。
ナマエがナイフを振りかぶり、宗像が受け止める。
その一連の流れの中で、ナマエの表情が絶望したように色を失くす。

「いやっ、いやだ……!やだ!!」

ナマエは泣きそうな声で叫んだ。
手も足も、宗像を殺そうとする動きは止まらない。
それなのに、声が、表情が嫌だと慟哭する。

「やめてっ!やだ、止まって……止まっ、止めてえええ!!」

恐らくそれは、ナマエ自身の身体、そしてそれを操る女に向けられているのだろう。
意識を取り戻してしまったナマエが、それでも身体は自らの意思で止められずに泣き叫ぶ。
ナマエは今、宗像を殺そうとしている自分を、自分の中から見ているのだ。

「やめて……っ!お願いやめて、やだ、止めて……っ!!殺せない……っ!殺せない!……殺さない……!!」

宗像がこんなふうに泣き叫んで懇願するナマエを見たのは、ナマエが施設での記憶に怯えた時以来、久しぶりのことだった。
止まらない身体に、ナマエが悲鳴のような声で叫ぶ。
宗像は、涙を流しながらナイフを振るうナマエをどうにかして止めてやりたくて、だが見ていることしか出来ず感情が引き千切られそうだった。
強引に近付いて抱き締めることが出来ないわけではない。
だが、そうするとナマエのナイフは宗像を刺してしまうだろう。
宗像自身はそれでいい。
痛みなど、ナマエに与えられるものならば全て受け止めることが出来る。
そもそもこの状況では、心の痛みよりも身体の痛みの方がどれほどましだろうか。
しかし、宗像を刺してしまえばナマエの心が壊れてしまいそうで、宗像は迂闊に近付けない。

「あーらら、やっぱりクランズマンにこの能力をかけるのは難しかったかなあ。でもほらナマエ、もう少しで殺せそうだから。ちゃあんと頑張ってよ」

ナマエの背後で、女が嗤う。
恐らくは、女が脳内に描くイメージ一つで、ナマエを思い通りに操ることが出来るのだろう。
突然表情を失くしたナマエの脚が、宗像の腹を思い切り蹴り飛ばした。
予想していなかった動きに、宗像の身体が後ろに倒れる。
その上に、ナイフを持ったナマエが馬乗りになった。
腰の上に跨ったナマエが、ナイフを振りかぶる。

「室長!!」

どこからか、淡島の叫び声が響いた。
女の愉しげな口笛。
宗像の視線の先、ナマエがナイフを振り下ろす。

「ナマエ、」

首に向かって迫り来る刃には目もくれず、宗像はナマエを見つめてその名を呼んだ。
その瞬間、ナマエの表情が突然崩れ、今にも泣き出しそうな顔になる。

礼司さん。

そう、呼ばれた気がした。
だが実際にナマエの唇から音は漏れず、代わりに赤い舌先が覗いた。
ナマエが、泣きながら微笑む。
刹那、宗像は首元に迫ったナイフの刃を素手で握り締め、もう一方の手の指をナマエの口内に無理矢理押し込んでいた。
右手の指の腹と掌が、ナイフで裂ける。
そして左手の指が、骨が砕けそうなほど強くナマエの歯に噛み付かれた。

宗像はナイフを放り出し、血塗れの手でナマエの頭を胸元に引き寄せる。
落ちてきた重みを抱き締め、宗像は怒った。

「誰が、勝手に死んでいいと言いましたか?君は私のものですよ、ナマエ。私の許可なく勝手に死ぬことは許しません」



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