命の所有権[2]
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午後三時十七分。

宗像は、今日中に片付ける必要のある書類の九割ほどに目を通し終えたところで、一度休憩しようと万年筆をデスクに置いた。
基本的に宗像は、仕事と点茶とパズルを全て横一列に並べて趣味と称する人間だ。
つまり普段から、就業時間というものに対してさほどの拘りを持たない。
しかし、ナマエが非番の日だけは例外で、早く寮に帰りたいがゆえに宗像は趣味の比重を仕事に大きく傾ける。
いつもそのくらい真面目に働いて下さいよ、という伏見の文句を笑顔で受け流し、宗像は黙々と事務仕事に徹していた。

さて、もうひと頑張りしようか、と宗像が万年筆を手に取った時、執務室のドアが乱暴にノックされる。
そのまま一拍と待たずにドアが開かれ、宗像は少し嫌な予感を抱いた。

「室長、事件です」

案の定、険しい顔で飛び込んで来たのは伏見だった。
告げられた言葉に、思わず溜息を吐きたくなる。
今から事に当たっていては、定時に帰れるかどうか。
しかし、もう起こってしまったならば、あとはどれだけ早く片をつけられるかが勝負だ。
宗像は背筋を伸ばし、伏見に説明を促した。

「立て籠もりです。犯行に及んだのは三名、古橋駅前のスーパーに人質を取って立て籠もりました。内一名はベータ・クラスのストレイン、残り二名は一般人のようです。今のところ能力は不明、人質の数は少なくても三十名を超えると思われます」

タブレット片手に報告された内容に、宗像の片眉がぴくりと跳ねる。
それに気付かなかったのか、伏見はそのまま言葉を続けた。

「途中で途切れましたが、監視カメラの映像によると犯人は入口及び非常口を全て封鎖。それぞれが武器を所持しています。大至急身元の割り出しを行っていますが、覆面を被っていたので時間がかかりそうです」

これを見てください、と言って、伏見がホログラフを立ち上げた。
カゴを持った女性客が行き交う、平和な店内。
そこに突然、銃を構えた全身黒づくめの人物が乱入し、威嚇しながら客を店の奥へと追い込んでいく。
音声はないが、悲鳴と泣き声が聞こえてくるような緊迫した映像だ。

「……伏見君。すみません、もう一度」

犯人の一人が監視カメラを壊したことで、真っ暗になる画面。
そこまでをじっと見つめた宗像は、伏見にもう一度最初から再生するよう指示した。
珍しい状況に戸惑いながらも、伏見はタブレットをタップする。
頭から再生される映像に、宗像はもう一度目を凝らした。
宗像が見ているのは犯人の行動ではない。
逃げ惑う買い物客の方だ。
しかし映像が不鮮明な上に人数が多く、とても一人一人の顔や背格好を確認出来るような代物ではない。

「室長……?」

食い入るように映像を見つめる宗像に、伏見が堪らず声を掛けた。

「なんすか、何か気になる点でも?」

これまで、宗像がここまで熱心に現場映像を見たことがあっただろうか。
もう一度だなんて初めて言われた伏見としては、宗像が何に着目したのか、何に気付いたのか、気にならないとは言えなかった。
伏見が見逃した何かを、宗像はすでに見つけているのだろうか。
しかし宗像は伏見の問いに答えることなく、ホログラフから視線を外した。

「犯人の要求は?」
「………まだありません」

ち、と舌打ちをしてから、伏見は低い声で返す。
宗像が流してしまったならば食い下がっても無駄だと、伏見は充分に理解していた。

「なるほど、分かりました。では、早速出向きましょうか。情報課には引き続き、犯人の身元割り出しに尽力するよう伝えて下さい。詳細は移動中の車内で聞きましょう。特務隊と、剣機第一小隊、第二小隊に出動命令を」

立て続けに下された指示に、結局伏見は不信感を拭えないまま諾と応えた。




午後三時四十一分。

セプター4の指揮情報車及び人員輸送車が、事件現場となったスーパーマーケットの前に到着した。
主犯と思われる人物がベータ・クラスのストレインであるため、指揮を執るのは宗像だ。
宗像は秋山に第一小隊の指揮を、弁財に第二小隊の指揮をそれぞれ任せ、前者には建物の包囲、後者には所轄の警察と連携を取り周辺道路を封鎖するよう指示した。

「室長。主犯の女、何者か分かりましたよ」
「ほう」
「……驚かないんですね。女だって気付いてたんですかぁ?」

指揮車の中に残った伏見が、同じく残っていた宗像に声を掛ける。
伏見は、情報課から送られてきたデータを宗像に指し示した。
そこには、犯人三名のうち主犯と思われるストレインの詳細な個人情報が並んでいる。
伏見は無意識のうちに犯人を男だと思い込んでいたのか性別欄を見て驚き、そんな自分に苛立った。
そして、女だと聞いても眉ひとつ動かさない宗像にも妙な腹立たしさを覚える。
しかし宗像はそんな伏見の感情になどまるで気付かない様子で、データに目を通し終えると「ふむ」と唸った。

「どう思いますか、伏見君」
「………どうって、見ての通りなんじゃないんですかぁ。今回の犯人は、コイビトの組織を壊滅させられてセプター4への復讐に燃える馬鹿女、ってことですよ」

備考欄に書かれた、元≪真紅の蛇蝎≫のリーダー浅野輝芳との間に関係あり、の一文を、伏見はそう読み解いた。
≪真紅の蛇蝎≫は、先月セプター4が一網打尽にした、ストレイン犯罪グループだ。
浅野輝芳の調書を取ったのは伏見だったので、顔も声も覚えている。
むかつく喋り方をする、見た目は夏季の鎌本に少し似た男だった。

「なるほど、恋人のため、ですか」

純粋に恋人を想ってのことなのか、それとも怨嗟をセプター4にぶつけたいだけなのかは定かではないが、どちらにせよ≪真紅の蛇蝎≫の壊滅が引き金となったことは明白だろう。
伏見がそう言えば、宗像は「一理ありますね」と大仰に頷く。

「そうなると、犯人の要求は捕らえられた浅野輝芳並びに≪真紅の蛇蝎≫のメンバーの解放、といったところでしょうか」
「まあ、そのセンが濃厚でしょうね」

阿呆らしい、と伏見は鼻で嗤った。
こんなことに巻き込まれた自分たちも買い物客も、いい迷惑だ。

「人質の数は分かりましたか?」
「正確には分かりませんが、監視カメラの映像と聞き込みの結果を照らし合わせると、約四十人ってところです」

ふむ、と頷いた宗像が唐突に立ち上がり、保管ケースのロックを外してサーベルを取り上げた。
それを腰の剣帯にかけ指揮車から降りようとする宗像を、伏見が慌てて呼び止める。

「ちょっと室長、何する気ですか」
「何、と言われましても。もちろん交渉ですよ、伏見君」

振り返った宗像の顔に浮かんだ綺麗すぎる王様の笑みに、伏見はいよいよ疑心を強めた。
普段から宗像の心中を忖度するのは困難だが、今回は常に輪をかけて読みづらい。

「まだ要求も何も来てないのに交渉ですかぁ?」

宗像は確かにセプター4という国家の治安維持を担う組織の長だが、それ以前に彼は何でも面白がる癖を持つ厄介な男だということを伏見は身を以て知っている。
その何でもには、犯人の心理や追い詰められた時の行動、なども当てはまる。
ゆえに宗像は、言い方は悪いが現場で遊ぶ癖があるのだ。
もちろん被害を大きくしたり、人質に危険が及ぶような真似はしない。
だが、わざと犯人を泳がせたり弄んだり、といった悪趣味な行動に出ることは多々あった。
その宗像が、相手の要求を聞く前に動こうとするのは珍しいことで、伏見にとっては違和感でしかない。

「ええ、交渉ですよ伏見君」

宗像の眼鏡が、太陽の光を受けて反射する。

「ただし、平和的な交渉とは限りませんが」

底冷えするような声音で残された最後の一言に、伏見は寒気を感じて背筋を震わせた。



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