キスで確かめてこの愛を[2]
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「………ナマエ……?」

三十分ほど待ったところで、仕事を終えた宗像が帰ってきた。
戸惑ったような声を出したのは、ここでナマエが待っていたという行為のせいか、それとも珍しい格好のせいか。
どちらにせよ、動揺を誘うことには成功したらしいと、ナマエは笑った。

「お疲れ様です、室長」
「…ありがとうございます」

一瞬立ち止まりかけた宗像が、眼鏡のブリッジを押し上げてからゆっくりと近付いてくる。

「どうしたのですか、こんな所で。今日は非番だったでしょう?」
「室長に会いたかったんですけど、駄目でした?」

これといって、用意しておいた台詞ではない。
ありのままの本心を言えば、宗像はレンズの奥で目を細めて笑った。

「ふふ、珍しく甘えてくれるのですね。どうぞ、お入りなさい」

ロックを解除した宗像が、ドアを大きく開けてナマエを室内へと促す。
初めて入る宗像の部屋に、ナマエは「お邪魔します」と小さく頭を下げた。

「着替えてきますので、少し待っていて下さい」

案内されたリビングらしき部屋で、ナマエはソファに腰を下ろす。
ざっと見渡して、なるほど宗像らしい部屋だと感じた。
余計なものは一切ない、だが決して無機質ではない空間。
宗像の匂いを感じ、少しだけ鼓動が速くなった気がした。

「すみません、お待たせしました。何か飲みますか?お酒でも構いませんが」

藍色の浴衣姿で戻って来た宗像に問われ、少しだけ悩む。
互いにアルコールを入れた方が、上手くいくのではないかと思ったからだ。
しかし、やはり最初が酒の勢いというのもあんまりかと思い直し、ナマエはコーヒーを頼んだ。
お茶以外にはさほど拘りのない宗像は、その肩書きに似合わず平気でインスタントコーヒーを飲む。
数分でキッチンから出て来た宗像にマグカップの片方を手渡され、礼とともに受け取った。

「今日は早かったですね」
「ええ、幸いなことに事件もありませんでしたし。ですが、どうやら君を待たせてしまったみたいですね」

二人並んでソファに腰掛ける。
その距離はいつも通り、手のひら一つ分。

「構いませんよ。勝手に待ってただけですし、そんなに長くもなかったですから」
「ふふ、本当にどうしたんですか?今日は随分と優しいんですね」
「普段冷たいみたいな言い方しないで下さいよ」

いつもと同じ口調で言葉を返しながら、ナマエはこっそりと宗像の視線を観察した。
基本的に宗像は、話をしている相手の目を見る癖がある。
たとえナマエが宗像の方を見ていなくとも、宗像はナマエの顔を見る。
そんな宗像の視線が、今日はナマエの胸元や脚に落ちたり、はたまた全く違う方を見たりと、落ち着かない。
どうやらこの段階までは上手くいっているらしいと感じながら、ナマエは素知らぬ顔でマグカップに口を付けた。

「冷たいとは言いませんが、君から会いに来てくれるなんて初めてですよ?」
「……そうでしたっけ」
「君はあまり愛情表現が豊かではないようですからね」

嬉しそうに微笑んだかと思えば次は寂しそうな顔を見せられ、ナマエはあれ、と首を傾げた。
もしかして、これは、魅力が云々ではなく別の問題だったのではないだろうかと、ここに来て新たな可能性に気付く。
もしかすると宗像には、ナマエの気持ちがあまり伝わっていなかったのではないだろうか。
確かにナマエは、好きだとか愛しているだとか、そういうことを口にするタイプではない。
甘えたり寄り添ったり、ということについても積極的とは言い難い。
これはもしかして、愛情を疑われていたのだろうか。
いや、疑うとまではいかなくとも、宗像はどこか一方的なものを感じていたのだろうか。
だから、次のステップに進もうとしなかった、と、そういうことなのかもしれない。
思い至った可能性に、ナマエは苦笑した。
なるほど確かに、そうだとするならば原因はナマエだ。

ナマエは両手に持っていたマグカップをローテーブルに置き、宗像との間にあった手のひら一つ分の距離を詰めた。

「すみません、」
「え……?」

宗像の戸惑う気配が伝わってくる。
ナマエは宗像の太腿に手を添え、その顔を見上げた。

「あんまり、言えないですけど、……その、ちゃんと、好き、ですから」

後に聞いた話によると、この時宗像は危うくマグカップを落とすところだったらしい。
レンズの奥で、紫紺が見開かれる。
そんなに驚くことか、とナマエは苦笑したが、宗像は凍り付いたように固まっていた。

「だから、いいですよ」

意識して、声に艶を乗せる。
柄ではない気がしたが、慣れない格好のおかげで少しだけ大胆になれる気がした。
しかし、宗像には意図が伝わらなかったのか、相変わらず硬直したまま見下ろしてくる。
見開かれた瞳に映ったナマエが、おや、と再び首を傾げた。
もしかしてこの人に、誘い文句は通用しないのだろうか。
宗像は普段、遠回しな言い方を好むくせに、意外と感情はストレートに伝えてくる人だ。

「……あの、誘ってますとか言うの、流石に私でも照れるんですけど?」

想像以上に恥ずかしい、と思いながら白状すれば、突然、本当に唐突に宗像の頬が真っ赤に染まった。
色白な分赤くなると目立つとか、そういうレベルの話ではない。
燃えるような朱が灯り、今度はナマエの方が呆気に取られた。

「……ええと、あの、しつちょ?」

その反応は、全くの想定外だったと言っていいだろう。
サディスティックが標準装備の宗像だ。
ナマエの露骨な誘いに気付けば、おやおや、と笑って揶揄してくるか、愉しげに唇の端を吊り上げるか、良くても嬉しそうに微笑むか、せいぜいその三択だと思っていたのに。
硬直したまま頬を真っ赤に染めた宗像を見上げ、ナマエは対処法が思い付かずに少し焦った。
かけるべき言葉が見当たらず、沈黙が出来上がってしまう。
結局、先に動いたのは宗像の方だった。
がちゃん、と、宗像らしくない音を立ててマグカップがテーブルに置かれる。

「…………あの、ですね、」

ようやく口を開いた宗像の顔を見つめても、視線は全く交わらなかった。
当初のプランではこの辺りでキスをしてそのままセックスになだれ込むはずだったのだが、この現状を見る限りとてもそんな雰囲気ではない。
一体何を言われるのかと、ナマエは身構えた。
女性がそのようなはしたないことを、などと言われたらぐうの音も出ない。

「…………その、……笑わないで聞いて頂けますか?」
「は、あ……、笑いません、けど?」

何を、と問いかけたナマエの視線の先。
頬どころか耳まで真っ赤に染め上げた宗像が、常の良く通る声はどこに失くしたのかと聞きたくなるほどの不明瞭な声で小さく、本当に小さく呟いた。

「………は、」
「は?」
「……………はじめて、なんです………」

「何が?」と聞き返してしまったのは意地悪でも何でもなく、反射だった。
しかし宗像には耐え切れない問いだったことだろう。

「っ、………そ、……せ……っ、……そういう、あの、……こ、恋人同士の、その、」

それ以上は必要なかった。
正直に言えば、丸ごと必要なかった。
普段からは考えられないような辿々しい口調で主張された「初めて」を正しく理解したナマエは、ここ最近抱えていた悩みが全くの杞憂だったことを思い知る。
そして反対に、宗像が何に悩んでいたのかを悟った。
柔らかく、だけど激しく沸き起こる感情は、愛おしさなのだろうか。
ナマエは宗像の太腿に置いた手に力を込め、どうしていいのか分からないとばかりに引き結ばれた唇を強引に奪った。



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