冬のダイヤモンド
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何年ぶりに、踏む地だろうか。
凍える砂浜に降り立ったナマエは、遠くの水平線を眺めた。
なるほど地球は丸いのだと思わされる、優美な曲線。
空の青も海の青も、かつて訪れたときは確かに美しく見えたはずなのに、今は痛いほど胸を締め付けた。

砂浜に、波が寄せては返す。
白い泡に縁取られた波は、ざばん、たぷん、と断続的な音を立てていた。
だだっ広い、どこもかしこも同じに見える寂しい無人島のビーチ。
だがナマエの常人ではあり得ない記憶力が、ここが目指していた場所だと告げていた。

波に呑まれても浚われることのない城を造りましょう。

あの夏の日、そう言った宗像は、堅牢な砂の城という矛盾をどこか愉しんでいたように思う。
宗像が手のひらで虚空を撫でると、青写真のように輝く方眼状の線がそれをなぞって出現した。
その空中の方眼紙を宗像がさらに撫でると、立体的な建物の図面があっという間に完成した。
原寸大の家一軒サイズの図面だった。
コンピュータグラフィックのように描かれた図面を頼りに、淡島と、合流した特務隊の隊員たちと城を造った。
宗像が描いた、砂の城だ。
宗像の力で砂を吸着させたので、実際に出来上がった城の壁は、コンクリートよりも堅かった。
たとえ潮が満ちようとも、全く崩れることはなかった。

その城があったはずの場所を、少し離れた位置から眺める。
あの日、みんなで心地良い疲労感に包まれながら見上げた本当に住めそうなほどの立派な城は、もうなかった。
崩れ、波に浚われ、時間をかけて平地に戻ったのだろう。
そこにはただ、周囲と何ら変わらない平坦な砂浜があるだけだった。

「……本当に、もう、いないんですね」

青の王、宗像礼司は死んだ。
王として、セプター4の室長として、曇りなき大義に殉じた。

きっと宗像が死ぬその瞬間までは、ここに一粒も欠けることのない砂の城があったはずだ。
でも、もう城は存在しない。
宗像の力によって保たれていた形は崩れ、流れて消えた。
宗像の死と同時に、城はただの人間が数人集まって造った、たとえるならば公園の砂場で幼子が作る砂山と同じになったのだろう。
自然に呑み込まれ、跡形も残らない。
人が造ったものも、人の命も、自然には勝てないのだ。
地球という星に対してあまりにもちっぽけな一人の命は、呆気なく呑み込まれて消えた。

簡単に壊れるなどと、考えることのない城。

確かにあの時はそうだった。
ナマエも伏見も、特務隊の面々も。
最初は呆気に取られ、次に本当に出来るのかと訝しみ、だけど作業を始めてみれば夢中になって、そして完成した城を見て、これは決して壊れないのだと信じた。
宗像の力で保たれた城は、自分たちの王は絶対なのだと、そう確信した。
壊れることを、失うことを、あの日は誰も想像していなかった。
ヴァイスマン偏差の限界値、ダモクレスダウン、知識としては頭の中にあったはずなのに、そんなものは圧倒的な王の力を前にするととても些細なことのように思えた。
不変を、絶対を、信じていたのだ。

城があった場所の砂浜にしゃがみ込み、手を下ろして無作為に砂を掴む。
あの日コンクリートよりも堅かったことが嘘のように、砂はさらさらとナマエの手から零れ落ちた。
これが正しい在り方なのだとしたら、あの日の城は何だったのだろう。
宗像が眺める中、汗水垂らしてなぜか夢中で造った城は、何だったのだろう。

正しくなかったのだろうか。
自然の摂理に反した、不要なものだったのだろうか。

もしかしたら、そうなのかもしれない。
だが、意味のないものだったとも思えなかった。
虚空に描かれた、青。
城を見上げるみんなの瞳の中に輝いていた、青。
宗像礼司の青は、海よりも空よりも美しく気高く、誇りに満ちていた。

ナマエはさらに波打ち際に近付き、濡れた砂を掻き集め始めた。
あの日のようにスコップやゴム手袋はないので、素手だ。
冬のビーチはどこまで掘っても砂が冷たいのだと、初めて知った。
爪の間に砂が入ってくるが、手が悴んでいるせいかあまり気にならなかった。
砂を集め、しゃがんだナマエの肩くらいの高さまで重ねていく。
伏見のように器用には出来ない。
それでも何となく、城の形をイメージした。

波の音しか聞こえないので時間の感覚が麻痺してくるが、恐らくは二時間近く経っただろう。
目の前に、歪な城が出来上がる。
ナマエはその城に手を翳し、身体の内側に残った青の力をゆっくりと注いだ。
サンクトゥムがないどころか、この力をくれた宗像がもういない今、発現出来る力はあの頃に比べれば微々たるものだ。
それでも城全体を覆うように力を展開し、砂を固めた。

しばらくすると、少しずつ潮が満ちてくる。
徐々に波のたどり着く場所が近付いてきて、やがて城に当たった。
最初の波は、壁に当たって海へと引いていく。
だが、二度、三度と重なるうちに、側面の砂が削れ、抉り取られた。
波が大きくなるにつれ、城はどんどんと崩れ落ち、流されていった。

青の王ではないから、出来ないのだろうか。
それとも宗像礼司がいないから、出来ないのだろうか。

小さな城が全て波に呑まれて海に流されるまで、ナマエは何もせずにぼんやりとその一部始終を眺めていた。


青かった空が、西から茜色に染まっていく。
鴇色の波打ち際を歩きながら、ナマエは沈んでいく太陽を眺めた。
周囲の雲を真っ赤に燃やしながら、落ちていく。
反対側から、闇が迫っていた。
太陽は、迫り来る闇から逃れるように水平線へと消えていく。
しかしまた朝になれば、この海を力強く照らすのだろう。
沈んでは昇り、を何度も繰り返し、世界を回す。
決して、沈んで終わりではない。

ナマエにはまだ、上り方が分からなかった。

「……れーし、さん、」

冷たい海風に吹かれ、身体は芯まで冷え切っていた。
だが、まだここにいたかった。
あの日信じた絶対があった、この地に。
宗像が死してなお光り続ける天狼が、空に姿を現すまでは。





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