柔らかな皮膚しかない理由
bookmark


「私としたことが、まんまとしてやられました」


宗像がスタジアムの側に停められた指揮情報車に戻ると、中では伏見が手際良く追跡の指示を出していた。
車に入ってきた宗像を横目に見た伏見が、盛大な舌打ちを一つ。
そんなことを宗像相手に出来るのは彼だけで、宗像にはそれが面白くて堪らない。
だが、さすがに今回ばかりは多少の申し訳なさも感じている。
活劇に興じ、弄びすぎた自覚はあった。
早々に夜刀神狗朗を捕縛し、白髪の彼に時間を与えたりしなければ恐らくは、今頃三人まとめてセプター4の屯所に連行出来ていただろう。
伏見もそれを分かっているから、苛立っているのだ。
所轄の警察と連携して追跡しているが、果たして再び彼らを捕捉することは出来るだろうか、この雨では難航するかもしれない。
宗像が苦笑し、すみません、と伏見に言わせれば形だけの謝罪を口にしようとしたところで、不意に後ろから腕を掴まれた。
振り返れば、そこにはナマエの姿。

「どうしまし、」

どうしましたか、という問いかけは最後まで音になることなく。
宗像は掴まれた腕をそのまま強引に引かれて情報車から降ろされた。

「ミョウジ君?」

どこか機嫌の悪そうなナマエの顔を覗き込むが、返事はない。
そのまま腕を引かれ、近くに停まるパトカーの後部座席に押し込ませた。
セプター4の権限で接収したのだろうか、運転席にナマエが乗り込む。
ナマエは何も言わないまま、車を発進させた。
意図が全く理解出来ず、宗像は戸惑う。
だが、選ぶ道から推測するに、ナマエは椿門に向かっているのだろう。
追跡の指揮は伏見が執っているし、現場の撤収は淡島に任せてある。
つまり、もうスタジアムに宗像が留まる理由はない。
それならばどの車で戻ったところで大差はないかと、宗像はシートに背中を預けた。
ちらりとバックミラーを確認するが、ナマエの表情を窺うことは出来ない。
普段から到底口数が多いとは言えないナマエだが、ここまで何も言われないと流石の宗像にも考えが読めなかった。

「……あの、ミョウジ君?」
「もうすぐ、着くんで」

何度か呼びかけてはみたものの、返事は素っ気ない。
どうやら、宗像の質問に取り合う気はないらしい。
結局まともな会話もないまま、パトカーはセプター4の屯所に辿り着いた。
運転席から降りたナマエが、素早く後部座席のドアを開ける。
その動きに促され宗像が車を降りると、再び腕を掴んで引かれた。
何を考えているのか、何を怒っているのかサッパリ分からないが、抵抗する理由はない。
宗像は素直に従い、ナマエの半歩後ろをついて歩いた。
てっきり執務室に向かうのかと思っていたら、どうやらナマエは寮を目的地としていたらしい。
青雲寮の最上階、宗像の私室に連れて行かれた。
ナマエが手早く部屋のロックを解除し、宗像を玄関に押し込む。

「靴」

単語一つで促され、宗像は慌ててブーツから脚を抜いた。
隣で同じようにブーツを脱いだナマエが、さっさと廊下を歩いて行く。

「ナマエ?」

置いて行かれた宗像が思わず呼んだのは苗字ではなく名前だったが、ナマエは何も答えずラバトリーに消えた。
ピピ、と電子音がして、続いて湯の出る音が聞こえてくる。

「お風呂、ですか?」

宗像は誰にともなく小さく呟き、ナマエの後を追った。
バスルームから出て来たナマエと、ラバトリーで鉢合わせる。
ようやく真正面から目が合ったが、ナマエはすぐに宗像から視線を逸らしてしまった。

「ナマエ、あの、何か怒っていますか?」

困惑した宗像は、その場に立ち尽くす。
今日、スタジアムに向かうまでのナマエはいつも通りだった。
特に機嫌が悪い様子もなく、怒っている雰囲気でもなかった。
つまりスタジアムにいる間に何かが起こったのだろうが、それが分からない。
彼らを取り逃がしたから怒っているのだろうか、とも思ったが、宗像はすぐにそれはないと考え直した。
宗像の失態といえば失態だが、それに怒っているのは恐らく伏見だけだ。
ナマエは、宗像が仕事をサボれば多少なりとも呆れた様子を見せはするものの、こんな風に不機嫌になったりはしない。

「別に」

問いは一言で切り捨てられ、宗像はいよいよ眉尻を下げた。
ナマエは確かに無口な方だし、普段から声にもさほど感情が乗らないので素っ気なく聞こえることはある。
だが、今のように冷たく突き放すような言い方はしない。
困った宗像は口を閉ざし、ナマエに視線を合わせようと屈み込んだ。
すると、予想外にもナマエの方から手を伸ばしてくる。
華奢な指先が宗像のスカーフに掛かり、そのままそれを引き抜いた。

「ナマエ?」

宗像の戸惑いを余所に、ナマエの手が次はサーベルへと伸びる。
宗像の天狼を何の躊躇いもなく触れるのはナマエだけだろう。
ナマエは宗像の腰からサーベルを引き抜き壁に立て掛けると、そのまま剣帯、ベルトと順に引き抜いていく。
重く濡れて色の濃くなった上着を肩から落とされ、宗像はいよいよ焦った。

「あの、ナマエ、ちょっと待って下さい」

しかし、宗像の静止など聞こえていない様子で、ナマエが今度はスラックスのベルトに指を掛ける。
手慣れた様子でベルトを寛げられ、宗像は内心で盛大な悲鳴を上げた。
こんなことを教えた覚えはない、断じて。
宗像のショックは、恐らく欠片も伝わっていないのだろう。
ナマエの手はそのままスラックスのファスナーを下ろしてしまった。
屈んだナマエに引っ張られ、スラックスが床に落ちる。

「足」

玄関にいる時同様に一語。
有無を言わせぬ響きと場を支配する異様な空気に飲まれ、宗像は逆らえずに右足を浮かせた。
スラックスと、同時に靴下も引き抜かれる。

「こっちも」

右足をついたところで反対の膝を軽く叩かれ、宗像は条件反射のように左足を上げた。
右足と同じ要領で、スラックスと靴下が脱がされる。
ほとんど及び腰の宗像を気にも留めない様子で、立ち上がったナマエが今度はワイシャツのボタンへと手を掛けた。
小さな白い手が上から順に一つずつボタンを外していくさまを、宗像は呆然と見下ろす。
自分で脱げますとか、やめてくださいとか、言うべきことはたくさんあるはずなのに、宗像の舌は凍り付いたかのように動かなかった。
やがて前が開かれ、躊躇なく両腕からワイシャツが引き抜かれる。
下着一枚で立たされた宗像は、いよいよ奇妙な羞恥心に身体を硬くした。
別に、ナマエに裸を晒したことがないわけではない。
それどころか、王になる以前はいつも一緒に風呂に入り、バスタブの中二人裸で抱き合っていた。
今でも時々、時間が合えば一緒に入ることもある。
だが自分で脱ぐのと脱がされるのとでは、その差が甚だしいのだということを、宗像は今身を以て実感していた。
しかしナマエにとっては何でもないことなのか、宗像から脱がせたシャツを放り投げる手は何の躊躇いも見せない。
このままでは間違いなく下着まで脱がされてしまう、と宗像は半歩後ろに下がったが、ナマエは宗像を逃してはくれなかった。
あっさりとその華奢な指先が下着のゴムに掛かり、宗像は声にならない叫び声を上げる。
抵抗出来ないわけではなかった。
男と女、王と家臣。
力も立場も、何一つ不利な条件ではない。
ナマエの手を抑え込むことも出来たし、やめろと命じることも出来た。
しかしなぜか宗像には制止の言葉をかけることが出来ず、結局ナマエにされるがまま、下着まで引き下ろされた。
当然最後に足を上げなければ脱げないわけで、その行為がまるで宗像自身が脱がされることを望んだかのような合図に思えて、余計に羞恥心が増す。
しかし、足首に下着を引っ掛けたままの間抜けな姿で立ち尽くすわけにもいかず、宗像は片方ずつ足を上げてはナマエに下着を脱がされた。
全裸に剥かれ所在なく立ち尽くしていると、立ち上がったナマエが仕上げとばかりに宗像から眼鏡を奪い、背中をバスルームに押し込む。
宗像の背後で、パネルドアが閉じられた。

しばらく一人きりで突っ立っていた宗像は、やがて思い出したかのようにシャワーのコックを捻る。
温かい湯を頭から被り、ようやくそこで身体が冷えきっていたことに気付いた。
どうやら、十二月の雨はよほど冷たかったらしい。
肌を這う温度に、ようやく身体が解れてきた。
もしかしたら、何も抵抗出来なかったのは身体が冷えていたからなのかもしれない。
そう思うと少し許された気がして、宗像は安堵の息を漏らした。
バスタブの方を見れば、もう八割ほど湯が溜まっている。
宗像はシャワーを止め、バスタブに身体を沈めた。
熱いくらいの湯が、身体の内側まで染み込むようだ。
もしかすると、ナマエは怒っていたのではなく心配してくれていたのだろうか。
だから、口数が少なく不機嫌に見えたのだろうか。
思い至った可能性に、宗像はくすりと喉を鳴らした。

その時、がちゃりと音を立ててドアが開き、はっと振り向いた宗像の目にナマエが映り込む。
視力矯正がなく不明瞭な視界でも、ナマエが身に何もまとっていないことは認識出来てしまい、宗像は驚いた拍子に若干の湯を飲み込んだ。
ごほ、と盛大に噎せると、訝しげな視線が落ちてくる。
宗像はどうにもその身体を直視出来ず、突然壁に掛けられたタオルが気になった体で、シャワーを浴びるナマエから目を逸らした。
別に、何も特別ではない。
バスルームでも、着替えの時でも、これまでに何度だってナマエの裸を見たことがあり、見慣れていると言っても過言ではない。
それなのに、先ほど服を全て脱がされたせいなのか、なぜかいつもとは異なる感覚に陥ってしまう。
言うなれば、初めて恋人と風呂に入るような、そんな錯覚を起こしてしまう。
そんな経験は一度もないため、宗像の勝手な想像でしかないのだが。
とにかくなぜか、妙な羞恥心があるのだ。

落ち着きなさい、宗像礼司。
礼節を司る、と書いて礼司です。
私は秩序の王、法の番人ですよ。

不自然にタオルを凝視しながら心の中で呪文のように唱えていると、不意にシャワーの音がやみ、ナマエが猫のようなしなやかさでバスタブに滑り込んでくる。
水かさが増し、宗像の首の辺りまでが湯に浸かった。
向かいに座ったナマエにとん、と膝を叩かれ、宗像は癖で両脚を伸ばす。
ナマエは無表情のまま宗像に近付き、向かい合う形で宗像の太腿の上に腰を下ろした。
ぼんやりとした視界の中、ナマエの右手が伸びてくる。
ナマエは宗像の左の横髪を手に取り、そのまま耳に掛けた。

「ナマエ?」

何を、と聞く前に、突然頬に冷たい感触。
何か冷たいものを押し付けられているらしい。
宗像が湯の中から片手を上げて確かめれば、ナマエが恐らく氷水を入れたビニール袋を薄いガーゼのような生地のハンカチで包んだ即席の氷嚢を宗像の頬に当てていた。
先ほど、夜刀神狗朗に一発殴られた箇所だ。
宗像がナマエの手に自らの手を重ねると、袋の中で氷のぶつかる音がする。
熱を持った患部を冷やされ、忘れていた痛みが逆に宗像の痛覚を刺激した。

「………勝手に、怪我、しないで下さい」

スタジアムでの戦闘以降、最も長いナマエの言葉。
単語ではなく、きちんと文章になったそれに、宗像は素直に謝った。

「すみません。心配をかけてしまいましたか?」
「……別に、あんなのに礼司さんが、負けるなんて思って、ません。………けど、勝手に傷を作るのは、許して、ません」

私のものに、と。
声に乗らなかった言葉が聞こえた気がして、宗像はナマエが何に怒っているのかをようやく理解した。

「はい。……はい、そうでした。すみません、ナマエ」

ぶつけられた独占欲に、宗像の腹の内で感情が騒めく。
憤るナマエには申し訳ないが、心底嬉しかった。
冷えていく頬、熱くなっていく身体。
その中間で、心が温かくなっていく。
宗像は、その甘美な心地に酔った。

「次に、同じことがあったら、許しません、から」

間近で、眼鏡がなくとも分かる距離で強い視線に射抜かれ、宗像はしっかりとその目を見返した。
瞳の中に、憤りと同じだけの不安を見つけ、宗像は両腕をナマエの身体に回す。
肌と肌とを触れ合わせ、湯とはまた異なる温もりを伝え合った。

「ええ、肝に銘じておきます」

ありがとうございます、と囁けば、頬から氷嚢が外れてそこに軽く噛み付かれた。
くすくすと宗像が笑えば、ようやくナマエの笑う気配がする。

ありがとうございます。
宗像はもう一度、今度は心の中で呟いた。

太腿の上の重みが、宗像を人たらしめてくれる。
痛みを、冷たさを、教えてくれる。
そして安らぎを、温かさを、感じさせてくれる。
だから宗像は人でいられる。


小さな身体に回した腕の力を強め、宗像は白い首筋に顔を埋めた。






柔らかな皮膚しかない理由
- 痛みは全て、君がくれた -




prev|next

[Back]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -