いつか優しい終末が訪れるまで[2]
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「……礼司さん、」

力を込めると、不安に揺れていた宗像の腕の中から今度は簡単に抜け出すことが出来た。
振り返れば、見下ろしてくる濡れた紫紺。
寝癖がついたままの前髪の下、整った眉尻は情けなく垂れ下がっている。
まるで捨てられた仔犬のような表情を見せられ、ナマエはつい溜息を漏らしてしまった。
途端、余計に曇る宗像の表情。
共に暮らし始めてからもう数ヶ月経つというのに、一向に変わらない。
まるで、暗闇の中に独り取り残され、どうしていいのか分からない子どものような顔をする。

王の鎧を纏っていた時は、決してあり得なかった。
不安、恐怖、そんなものを部下に、周囲に見せたりはしなかった。
隙のない完璧な笑みと、全く崩れることのない慇懃無礼な言葉遣い、さらには秀逸な理論で武装し、宗像は決して人間らしさを滲ませなかった。
自らを王と名乗り、周囲にもそう認識させ、他人との間に明確な線引きを設けていた。
そんな宗像を、セプター4の隊員たちは信頼し、畏怖し、尊敬した。
誰も、その内側に隠された宗像礼司を見ようとはしなかった。
宗像が、それを許さなかった。
その存在に気付かせることすらしなかった。
彼らにとって、青の王と宗像礼司はイコールだったのだ。
例外は、ただ一人。

「私、言いましたよ」

ナマエだけが、そうは思っていなかった。

手を伸ばし、宗像の頬に触れる。
そのまま、血の気の失せた唇を指先で優しくなぞった。

「それが、たった一つの願いでしたよ、って」

あの日、そう言った。
忘れたんですか、と問えば、宗像が首を横に振る。
そう、忘れたとは言わせない。
あれが、始まりだったのだから。

「ねえ、礼司さん」

もう一方の手を伸ばし、宗像の両頬を包み込む。

「私はね、青の王が嫌いでしたよ」

何事にも動じず、全てを上から俯瞰し、当然とばかりに笑んで見せる。
そんな王様が嫌いだった。

「私が礼司さんを好きになったのは、貴方が宗像礼司だからです」

ナマエが愛したのは、七王の一人でもなければ、セプター4の室長でもない。
宗像礼司という、一人の男だ。

「貴方が宗像礼司である限り、私は礼司さんを愛しているんですよ」

寝起きが悪くてもいい。
昼まで寝ていてもいい。
だらしない格好でふらふらしていようが、寝癖が酷いことになっていようが。
甘えて家事の邪魔をしても、買い物に行かせてくれなくても。
ナマエは、宗像を誰よりも、何よりも愛おしく思っている。

「………すみま、せん……」

ナマエの両手の中で、宗像の顔がくしゃりと歪んだ。
そこに、完璧な王はいない。
ただ一人の、人間がいるだけだ。

「……分かっては、いるんです。君は、それでいいと言ってくれた。どんな私でも、ちっぽけな、何も持っていない私でも、いいと言ってくれた」

ぽつりぽつりと紡がれていく宗像の言葉を、ナマエは黙って聞き続ける。

「君がくれた言葉を、私は全て覚えています。そこに嘘がないことも、分かっているんです。……それなのに、時々、どうしても怖くなる」

レンズの奥、潤んだアメジストが揺れ動いた。

「君に失望されてしまったらどうしよう。君に飽きられてしまったらどうしよう、と。今の私には、君をずっと惹きつけておくだけの力などないと、知っているから……恐ろしいんです」

そう言って俯いた宗像を、ナマエは見上げる。
大きな身体を縮こまらせて震える姿はあまりに哀しくて、ナマエは両手を宗像の背に回した。

「………ほんっと、馬鹿ですね、礼司さん」

ひくり、と跳ねた肩を宥めるように、回した腕に力を込める。

「今の私には、って。なんですか、王だった時なら私を惹きつけておける魅力があったと思ってるんですか?」

答えは聞くまでもなかった。
宗像は、そう思っているのだろう。

「何度も言ってますけどね。残念ながら、私にとっては王様だった宗像礼司よりも、今の宗像礼司のほうがよっぽど魅力的ですよ」

宗像には、理解出来ないのかもしれない。
事実、石盤の力を引き出せるあの地位にあった時の方が、宗像は強かった。
圧倒的な力も、特殊な能力も、国を動かすほどの権力も持っていた。
宗像自身もそう自覚しているのだろうし、それは間違ってはいない。
けれど、ナマエが求めているものはそこにはなかった。

「ぐーすか寝て、毎日寝癖つけて、ベタベタ甘えて、我儘言って。どうやって飽きろって言うんですか。毎日大変ですよ」

そろそろ、気付いてほしい。
これが文句ではなく、愛の言葉なのだということに。
別に、あの頃のように全てを見通せなんて、そんなことは言わないしこれっぽっちも望んでいない。
でも、ナマエが宗像に向ける愛情くらいは、察してほしい。

「失望?もう充分、だらしない礼司さんは見ましたよ。今さら何に失望すればいいんです?」

ありのまま、何も取り繕わず、曝け出してくれる。
そのことが何よりも嬉しいのだと、知ってほしい。
宗像の肌蹴た着流しの隙間から直接胸元に頬を押し付ければ、優しい鼓動が聞こえてきた。
少しテンポが速いのは、緊張しているのだろうか。
それとも、嬉しいのだろうか。

「……君は、私に甘すぎやしませんか」

ぼそりと落とされた言葉に、ナマエは笑った。
宗像の声は、少しばかり濡れていた。

「やっと気付いたんですか?遅いですよ、礼司さん」

決めているのだ。
この、とことん自分を追い込んで追い詰めて、毅然と立ち続けた不器用な人を、あとはもう徹底的に甘やかしてあげようと。

「………ナマエ………」
「はい、礼司さん」

掠れた声が、小さく小さく名前を呼ぶ。
どんなに微かな音でも必ず返事をしようと決めたのは、一緒に暮らし始めてからすぐのことだ。
今よりももっと、甘えるのが下手だった頃。
ここにいるよ、ずっといるよ。
そう伝えたくて、ナマエは必ず言葉を返す。
刷り込みでも何でもよかった。
宗像に、もう独りで立っていなくていいのだと、分かってほしかった。

「……ナマエ、ナマエ、……ナマエ……」
「はい、ここにいますよ」

何度も繰り返される名に、ナマエは一つひとつ頷いては宗像の背を優しく叩く。
ぐすぐすと降ってくる泣き声を、静かに受け止めた。

「………ナマエ、……好、きです。愛しています。……もう、君がいないと……わた、私は、駄目なんです」

啜り泣きの音に混じり、告げられる言葉。
決して、宗像を泣かせたいわけではないけれど、泣くことさえ忘れていたあの頃を思えば、これもまた一つの大切なプロセスだと思えた。

「はい、知ってますよ。私も、礼司さんが大好きです。礼司さんと一緒にいられて、とても幸せです」

でも、やはりずっと見ていたいのは笑顔だ。
王様の作った、完璧な笑顔ではない。
心の底から嬉しそうに、楽しそうに、無意識のうちに溢れる笑みを、たくさん見せてほしい。

「ほら、もう泣かないで下さい。目、腫れちゃいますよ?」

ぽん、と一度強めに背中を叩いてから顔を上げれば、見事にぐしゃぐしゃになった宗像の泣き顔があった。
どうやら手遅れだったらしく、既に目元が真っ赤だ。
宗像が、気恥ずかしくなったのか俯いていた顔を上げたので、レンズの縁に溜まっていた涙が落ちてきた。
手を伸ばし、目尻に残った涙を拭ってやる。
その指先を自らぺろりと舐めて見せれば、宗像が照れたように頬を染めて笑った。

「じゃあ、お茶淹れますね。リビングで待ってて下さい。冷やしたタオルも持って行きますから」

振り返り、途中で放置していた作業に戻る。
大人しくキッチンを出て行く後ろ姿を、ちらりと横目で確認した。
今日はもう、予定変更だ。
一日中、家でゆっくりすればいい。
思う存分触れ合って、たくさん言葉を重ねて、我儘も全部聞いて、そして一つでも多くの笑顔を見せてほしい。
とりあえず、まずはソファに座って待っているであろう宗像に飛び付くところから始めようか。
そんなことを考えながら、ナマエは急須に湯を注いだ。






いつか優しい終末が訪れるまで
- ずっと、隣で笑っているから -





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