いつか優しい終末が訪れるまで[1]
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宗像礼司は、朝に弱い。
ということを知ったのは、彼が人に戻ってからだった。

青の王だった頃、宗像はまさに秩序を司る法の番人、という呼び名に相応しい男だった。
早朝だろうが、蒸し暑い日の昼間だろうが、仕事を終えた夜中だろうが、宗像の顔色とそこに浮かべられた笑みに差異はなく、いついかなる時でも完璧だった。
作り物めいた笑み、背筋の伸びた人形みたいな座り方、指先の一本一本まで計算されたかのような所作。
それは完璧かつ完全で、隙などどこにもなかった。

それが、どうだろう。

「礼司さん、もう十時なんですけど。買い出し、付き合ってくれるんじゃなかったんですか?」

毎朝、気が付けば執務室の玉座に悠然と座っていたはずの男は、本当はとんでもなく寝起きが悪かった。
朝から何度声を掛けても、返ってくるのは唸り声かもしくは「あと五分」という常套句。
その「あと五分」を幾度となく繰り返し、日も完全に昇りきった、最早朝とは呼びにくい時間になってようやく、宗像は頭の天辺まで被っていた布団から顔を出した。

「……んん、ナマエ………、もう少し、」

決して、昨夜寝るのが遅すぎたわけではない。
軽い晩酌はわりと早い段階で切り上げ、日付が変わる前にはベッドに入ったはずだ。
その後、多少のお楽しみがあったとはいえ、一体何時間眠るつもりなのか。

「もう起きて下さいってば。置いて行きますよ」

ナマエは少し声を尖らせ、無防備な額を軽く小突いた。
そこでようやく長い睫毛が持ち上がり、その奥から紫紺が覗く。
その双眸はぼんやりと宙を彷徨い、やがてナマエへと向けられた。
愚図る子どものように唇を曲げ、いかにも不服そうに見上げてくる。

「いい加減起きて下さい。朝ごはん、温め直してきますから」

そう言ってベッドから離れようとすれば、布団の中から色白の腕が伸びてくる。
ナマエは溜息を吐き、サイドテーブルの上から取り上げた眼鏡をその手に握らせた。
眼鏡を掛けた宗像が、緩慢に上半身を起こす。
ナマエはその手を引っ張り、ベッドから引きずり出した。
やっと立ち上がった宗像の、自慢の艶やかな髪は寝癖だらけ、寝間着代わりの着流しは帯を締めていないせいで前が全開だ。
石盤がその力を失ってから、早半年。
ベッドという寝具から、和装という似合わない姿が出て来ることにも慣れてしまった。
元々宗像はセプター4にいた頃から、こんなにだらしない格好ではなかったが、部屋では和装を好んだ。
この家に引っ越して来た時も、宗像は和室に布団を敷いて寝たいと言ったのだ。
対して、ナマエにはベッドで寝る習慣があった。
意見が分かれたので、ナマエは別々で眠ればいいと提案したのだが、そこは宗像が譲らなかった。
早々に自分の要求を取り下げ、このクイーンサイズのベッドを購入するに至ったというわけである。

「早く顔洗って来て下さい」

ナマエはベッドの下に落ちていた帯を宗像に押し付け、今度こそ朝食を用意すべくキッチンへと足を運んだ。
焼き魚と出汁巻き卵、ほうれん草のお浸しに味噌汁、そして白米。
味噌汁の具は、宗像の好きな豆腐と長葱だ。
鍋に残った一人分の味噌汁を温め直す傍ら、グリルで魚を焼きつつ、出汁巻き卵を作る。
冷蔵庫から取り出したお浸しと、茶碗によそった白米と共にそれらをテーブルに並べ終えたところで、宗像がダイニングに顔を出した。
顔を洗ったことで少しは目が覚めたようだが、それでもぽやんと間の抜けた表情だ。
帯も一応は締められているがおざなりで、胸元は盛大に肌蹴ている。

「おはようございます……」

以前ならば考えられないような、気怠げに間延びした口調。
同じ挨拶を返しながら、ナマエは自分のために本日二杯目のコーヒーを淹れた。
マグカップを片手に、宗像の向かいに腰を下ろす。
生活態度がどれだけ堕落しても、宗像の食事のマナーは完璧だ。
恐らくは、両親の教育の賜物なのだろう。

「いただきます」

丁寧に両手を合わせてから、綺麗な所作で箸を持ち上げる。
だが、いくら丁寧な食べ方であったとしても、肌蹴た着流しと寝癖のついた髪では一向に美しく見えなかった。
寝起きの悪い宗像は、朝食の席だとわりと無口だ。
王であった頃はどちらかというと饒舌だった宗像が全く喋らないという状況に、最初の頃は戸惑ったものだった。
もちろん今となっては慣れたもので、ナマエも無言でコーヒーを啜る。
結局、宗像が食事を終えるまで特に会話はなかった。
皿を重ねてキッチンに運び、宗像のために食後の茶を用意する。
急須に茶葉を入れようとしたところで不意に背後から抱き締められ、ナマエは思わず咎めるような声を出した。

「ちょっと、礼司さん」

後ろからお腹に回された腕を左手で軽く叩くが、宗像はそのまま身体を密着させてくる。

「いい匂いがします」

まだ寝惚けているのか、と疑いたくなるような蕩けた声で囁かれ、ナマエは茶葉の乗ったスプーンを缶の中に戻した。
零してしまわないように、という予防線のつもりだったが、どうやら宗像はそれをスキンシップの了承と受け取ったらしい。
鼻先が首筋に押し付けられた。
ふふ、と柔らかな笑い声が耳に届く。

「分かりましたから。あっちで待ってて下さいよ、お茶淹れますから」

リビングに行くよう促してみても、宗像がナマエのお腹の前で組んだ手は解けない。
それどころかより強く抱き締められ、ナマエは溜息を零した。

「礼司さんってば。午前中のうちに買い物行きたいから、のんびりしてられないんですよ」

ほら、と腕を外させようとするが、残念ながらナマエの力では到底宗像には敵わない。
さっさとお茶を淹れて、食器を片付けて支度をして。
やることリストを頭の中に思い浮かべていると、不意に背後から伝わってくる気配が色を変えた。

「……こうされるのは、いや、ですか?」

ああ、もう。
ナマエは、今度は溜息を吐き出すことなく、意識してゆっくりと目を閉じた。

知っている。
気付いている。
本当は、宗像礼司という男は、ここまで怠惰ではないのだということを。
もちろん、ある程度は素なのだろう。
王になってからの宗像は、とにかく自身を律することに重きを置いていた。
法、秩序、規律。
常に人の上に立ち、模範となり、完璧であろうとしていた。
恐らく普通の人間に戻った今、王であった頃のいっそ厳しいまでの締め付けが、反動として生活を怠惰なものにしている。
しかし、それだけではない。
宗像はきっと、試しているのだ。

私はもう王ではなくて、何も持っていなくて。
ただの宗像礼司という、ただのちっぽけな男です。
君は、それで我慢してくれるのですか。

一緒に暮らそうとナマエが提案した時、宗像は自信なさげにそう言った。
それに対し、ナマエは応と答えたはずだ。
だが宗像は、今も心のどこかで信じきれていないのだろう。
だから、必要以上に怠けてみたり、我儘を言ってみたりする。
そうして、ナマエが受け止めてくれるかどうかを確かめているのだ。
恐る恐る寄り掛かり、どこまで体重を乗せていいのか測っている。
ナマエが少しでも離れたり、折れそうになったらすぐに一人で立ち直せるように、細心の注意を払いながら。
宗像は、不器用に怯えているのだ。



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