いつか総てが「王」に成り果てても
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ナマエは、自分に常識というものが欠落していることを自覚していた。
育った環境が環境だ、誰もナマエに常識を教えてはくれなかったし、ナマエ自身が外に出て常識を学ぶ機会も皆無だった。
知識はある、しかし常識はない。
そんな状態で、ナマエは宗像に拾われた。
その日から、宗像礼司その人がナマエにとっての常識になった。
宗像の普通がナマエの普通であり、宗像の世界がナマエの世界。
そうしてしばらく過ごしているうちに、宗像は青の王になった。
その瞬間、二人それぞれの世界が変わった。
宗像の普通とナマエの普通に差異が生じるようになった。

これもまた、そんな常識のずれなのだろうか。
ナマエは、目の前に差し出されたアイテムを見て眉を顰めた。

「どうですか?君に似合うと思うのですが」

ひどく機嫌の良さそうな笑みを浮かべた宗像の右手には猫の耳をモチーフにしたカチューシャ、左手には細長い尻尾を模ったファー。
どちらも黒で統一されている。

「………一応聞きますけど、何ですかそれ」

精一杯に呆れた口調を意識したはずだが、宗像は意に介さなかったらしい。

「猫耳と尻尾ですよ。見るのは初めてですか?」
「そうじゃなくて。……何のつもりか、って聞いてます」

いつだったか、箸の使い方が分からない、と訴えたナマエに相対した時と同じ様子で目を瞬かれ、ナマエは指先を蟀谷に押し付けた。
頭が良いのか天然なのか、どちらかにしてほしい。

「来週、七釜戸幼稚園を慰問するという話は覚えていますか?」
「はあ。……それが?」

数日前、ストレインが園児を人質に取って幼稚園に立て篭もる、という事件があった。
宗像も出動しての大掛かりな作戦となったが、事件は無事解決。
その際、園児がヒーローのごとく現れた宗像に懐いてしまったのだ。
宗像はその園児に、また近いうちに必ず遊びに来る、と約束をしたらしい。
その話を聞いたナマエは、この余裕のない時期に一体何をしているのか、と呆れたが、慰問計画について口を挟みはしなかった。

「お子様のハートをがっちり鷲掴みにするには着ぐるみや変装がうけるかと思いまして、君にはこの猫耳と尻尾を着けて貰うつもりです」

口を挟みはしなかった、のだが。
今この状況を黙認するのは、たぶん可笑しい。
セプター4に入隊してからナマエは、宗像の常識がそのまま世間の常識とはイコールにならないことを知った。

「室長、その案は却下です」
「おや、どうしてでしょうか」

石盤の管理、行政と司法への対応、治安維持。
弱冠二十五歳でこの国を背負っている人間が、猫耳と尻尾を手に提げ首を傾げる姿に、ナマエは盛大な溜息を吐き出した。

「せっかく、君のために用意したのですが」

まさか、喜ぶとでも思っていたのだろうか。
残念そうに眉を下げ、宗像が近付いてくる。
両手で猫耳のカチューシャを構えられ、とりあえず一度は着けないと引き下がっては貰えないのだろうと、ナマエは渋々その場に留まった。
愉しげな宗像の顔と、カチューシャが迫ってくる。
まったく、と内心で呟きながら目を閉じたナマエは、しかしすぐに瞼を持ち上げることになった。
額の右側に、微かな衝撃。

「え?」
「おや……すみません」

本来両耳の後ろにセットされるはずの端が、なぜかナマエに額に当たったのだ。
宗像は少し驚いたように目を瞬かせ、すぐにカチューシャを自らの胸元へと引き寄せた。
が、ナマエは素早くその手首を制服の上から掴んだ。
空気が固まり、二人の視線が正面からぶつかる。
先に苦笑してその場を流したのは宗像だった。
先程よりもゆっくりとした所作で、宗像の手が再びナマエに狙いを定める。
今度は目測を誤ることなく、カチューシャは無事ナマエの頭にセットされた。

「やはり良く似合いますよ」

宗像は薄っすらと笑い、ナマエの首に巻き付くチョーカーをなぞる。

「さて、次は尻尾ですね」

宗像はそう言って、一時的にデスクの上に置いておいた尻尾を殊更ゆっくりと手に取った。
言いたいことは分かった。
しかしナマエは宗像に背を向けない。

「ミョウジ君?」

黒い尻尾を手に訝しげな視線を向けてくる宗像を、ナマエは真っ直ぐに見上げた。
フレームの奥に潜む紫紺を捉える。
その瞳は出会った頃から何も変わらない、ナマエがいつだったかネット上の画像で見たアメジストよりもずっと綺麗だ。
だけどその目は、あれからどれほどのものを見ただろう。
どれほどの死を見ただろう。
宗像のヴァイスマン偏差はもう、全盛期の安定感を欠いている。
伏見や淡島が勘付く日も近いはずだ。

ナマエは黙って宗像に手を伸ばし、その端整な顔からリムレスフレームの眼鏡を奪い取った。

「ナマエ……?」

宗像の口調が、王としてのそれから宗像礼司としてのそれへと変化する。
ナマエは呼びかけには答えず、手の中の眼鏡を小さく弄んだ。
ナマエが知る限り、二つ目の眼鏡だ。
一つ目はあの雪の日にひび割れてしまった。
その眼鏡が今も宗像のデスクにひっそりと仕舞われていることを、ナマエは知っている。

「室長、」

宗像は、最後まで王で在ろうとしている。
この国を背負い、部下の命を一つも取り零さんと腕の中に抱えたまま、「約束だよ宗像先生」と無邪気に笑った子どもの未来を護ろうとしている。

「眼鏡の度数、合ってないんじゃないですか」

そこに命を賭すことを、許すつもりなどない。
独りで逝かせるつもりなんて、仕方ないと諦めるつもりなんて、微塵もない。
でも今はまだ、言い訳を用意してあげたい。

「……ええ、そうかもしれません。最近少し見えづらいと思っていたところです。今度、新しい眼鏡を買いに行くとしましょう」

宗像は、全て理解しているのだろう。
その上で、ナマエの言葉に微笑んだ。
ならばこれが正解だ。
宗像の常識は幾分か世間とずれていて、それはナマエのものとも異なる。
けれど、宗像にとって正しいことは、ナマエにとっても正しかった。

遮るものが何もない状態で、ナマエはもう一度宗像の双眸を見上げる。
眼鏡がないと、その顔はほんの少しだけ幼く見えた。
手の中の眼鏡を宗像に返す。

「……園児には、鼻眼鏡がうけるんじゃないですか」

いつだったか、宗像が花見の席で王様ゲームをした時に掛けていた眼鏡を思い出して提案すれば、眼鏡を掛け直した宗像は名案だとばかりにそのレンズを光らせた。

「それはいい考えですね、ミョウジ君」

ほらやっぱり、宗像は普通ではない。
鼻眼鏡とイソギンチャクの着ぐるみを合わせて、などと恐ろしい独り言を言い始めた宗像を横目に、ナマエは諦めの境地で自らの制服のスラックスに尻尾を挟み込んだ。
宗像に背を向けてから肩越しに振り返れば、案の定宗像は満悦とばかりに微笑んでいる。
このまま回収し、当日に着用する事態は避けようと、そんなことを考えながらナマエは小さく笑った。



制服の裾から垂れた黒い尻尾が、主の身を案じるかのごとく微かに揺れた気がした。







いつか総てが
「王」に成り果てても

- きっと、貴方を憶えているから -





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