紫には程遠い
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似ていないようで、似ている。
同じもののようで、全く違うもの。
対極の性質、相反する正義。
けれど、同じ王。

それはきっと、必然だったのだろう。



残業を終えて滑り込んだ宗像の部屋。
だがそこに、部屋の主はいなかった。
今日宗像は先に上がったはずだが、どこかに出掛けているのだろうか。
そんなことを考えながら、ナマエはとりあえず制服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びた。
怖くて、痛くて、嫌いだったシャワーに何も感じなくなったのは、いつ頃のことだったか。
今でもシャワーや雨が好きだとは言えないが、かといって恐怖や嫌悪を覚えるほどでもない。
手早く髪と身体とを洗い、バスルームを後にした。

キッチンの冷蔵庫を覗き、ナマエのためだけに常備されているアイスココアのパックを取り出す。
食器棚に並ぶ二つ揃いのグラスの片方にココアを注ぎ、立ったまま口付けた。
夏の風呂上がりの定番だ。
宗像がいればきちんと髪を乾かしなさい、とナマエからタオルを取り上げてせっせと拭いてくれるのだが、その宗像がいない今、タオルはナマエの首に掛かったまま。
濡れた髪を適当に掻き上げて、ナマエは半分ほどに中身の減ったグラスを手にソファへと腰を下ろした。
テーブルに置いておいた二つのタンマツを確認するが、そのどちらにも連絡は入っていない。
ということは、何かがあったというわけではないのだろう。
どこかに飲みにでも行っているのだろうかと、ナマエは宗像の行き先に当たりをつけた。
宗像が外で飲むのは珍しいことだが、あり得ないことでもない。
たまに落ち着いた雰囲気のバーで酒を嗜んでいることを、ナマエは知っていた。
ナマエ自身はまだ未成年のため飲酒は出来ないし、酒自体にも興味がない。
なので、外で飲むとき宗像は大抵一人だ。
以前一度だけ淡島を伴ってバーに行ったことがあるらしいが、宗像が言うには二度と一緒に飲みたくないそうだ。
青褪めた顔で絶対に同じ過ちは犯しません、などと宣言された時には少し驚いたものだった。

タンマツに表示された時刻は、もうすぐで日付が変わることを告げている。
宗像は明日も仕事だし、そろそろ帰って来るだろう。
ナマエが自室ではなくこの部屋に来たのも、別に何か約束があったからではない。
ナマエにとってはここは第二の自室のようなもので、退勤後どちらの部屋に帰るかはその時の気分によって決まる。
わざわざ宗像に知らせる必要も、帰宅を促す必要もない。
ココアを飲み切ったナマエは、グラスを洗ってベッドに移動しようかと腰を上げた。
その時、玄関の方から鍵を開ける音が聞こえてくる。
どうやら帰って来たらしいと、ナマエは足の向ける先をキッチンから玄関に変えて歩き出した。

「おかえり、なさい」
「おや、今日はこちらでしたか、ナマエ」

宗像は、私服姿だった。
薄手のジャケットとスラックス、ネクタイは締めていない。

「すみません。君が戻っていると知っていれば、早く帰って来たのですが」

革靴を脱ぎながら苦笑する宗像を、ナマエはじっと見つめた。
機嫌が悪そうだけど、嬉しそうだ。
ぼんやりと浮かんだ言葉が矛盾していることは、自覚していた。
でも、そう表現するしかなかったのだ。
快か不快かでいえば、後者を感じているように見える。
しかし同時に、どことなく愉しそうにも見えるのだ。

「……何か、あったんですか」

曖昧な感覚を上手く処理しきれず、結局ナマエはそう訊ねた。
宗像が、おや、と首を捻る。
レンズの奥、硝子細工のような瞳が二、三度瞬いた。

「そうですね。少し、話を聞いて頂けますか」

それは、宗像にしては珍しい言い方だった。
違和感を覚えながらも、ナマエは素直に頷く。
すると宗像は、静かに微笑んだ。

「先に寝室に行っていて下さい。シャワーを浴びたら私も行きます」

安っぽい煙草の匂いが染み付いているのですよ、と。
宗像はそう言い残し、ラバトリーに消える。
すれ違う瞬間、確かにナマエの鼻は宗像のものとはまた異なる煙草の匂いを嗅ぎ取っていた。



「鎮目町のバーで飲んでいたら、一人の男に会いまして」

ベッドの中、ナマエは向かい合う形で宗像の隣に寝転んだ。
まだ眼鏡を掛けたままの宗像が、片手で頭を支え、もう一方の手でナマエの髪を撫でながら話し出す。
ナマエはそれを黙って聞いた。

「目立つ赤い髪が印象的な、気配の濃い男です。ただそこにいるだけで、私の神経を刺激する。あの安っぽい煙草の匂いが、それに拍車をかけていたのかもしれません」

紫紺の瞳が、不機嫌そうに細まる。
それは珍しい表情だった。

「……気に入らない男です。粗野で乱暴で、道理を弁えない」

ナマエは、宗像が他人をここまで批判するのを聞くのは初めてだった。
敵対するストレインに対して挑発的な言葉を投げかけることは稀にあったが、こんな直接的な言い方はしない。
宗像は、敵と対峙するとき、決して対等な立ち位置を選ばないのだ。
必ず、そう、必ずと言っていいほど、優位に立つ。
こんな、真っ向から喧嘩腰になるようなことはしなかった。

「真っ赤な飾り物みたいな頭の中に、恐らく中身など詰まってはいないのでしょう。話の通じない男でした」

ナマエは頭の中で、可能性を一つに絞った。
宗像がここまで言うことの出来る相手、かつ鎮目町のバーで偶然相見える男となると、恐らく一人しかいない。

「……赤の王に、会いましたか」

名前と経歴、その他の諸情報はセプター4のデータバンクに入っている。
赤の王、周防尊。
鎮目町にあるバーを属領とする、赤のクラン吠舞羅のトップ。

「ええ。……よく、分かりましたね」

宗像より以前に王となった男だ。
歳は宗像と同じ。
ついでにいえば身長も同じだということを、ナマエはデータ上で知っていた。

「全く、初対面の第一印象は最悪ですよ」

そう言って唇を歪めた宗像の、その仕草があまりに幼稚で、ナマエは思わず少し笑った。
それを見て、宗像が眉を顰める。

「何が可笑しいのですか、ナマエ?」

ナマエは小さく喉を鳴らして、側頭部に置かれた宗像の手を絡め取った。
ナマエのそれよりもずっと大きな、それでいて綺麗な手をゆっくりとなぞる。
嬉しくて、そしてそれと同じくらい嫌だった。

青の王、宗像礼司を揺らすことの出来る存在はそう多くない。
それどころか、ナマエ一人だと言っても過言ではないだろう。
だがどうやら、これからはもう一人増えるようだ。
周防尊、宗像と同じ王という存在。
暴力と秩序、赤と青。
相反する性質、決して同じにはならない色。
誰よりも遠く、だが誰よりも近い。
そんな男に、宗像は出会ったのだろう。

「……あんまり、喧嘩しないで下さい、ね」

宗像が王になる以前の櫛名アンナの一件で、セプター4と吠舞羅の仲は険悪だ。
元より、歴代の青と赤のクランは決して相容れない。
きっとこれからも、その関係性は変わらないのだろう。
それを分かっていてもそう言ったのは、宗像の身を案じたのか、それとも独占欲だったのか。
ナマエには判別しきれなかった。

「……善処しましょう」

喧嘩、という単語を否定されなかったことに、ナマエは先の忠告がさほどの効果を上げなかったのだと思い知る。
きっとこれは、必然なのだろう。
今後何度、宗像の口から周防の名を聞くことになるだろうか。
何度、二人の争いを見ることになるだろうか。
ナマエは少し考えてから、宗像の手を引き寄せてその人差し指の先に噛み付いた。
ぴくり、と宗像の眉が跳ねる。
それを見て、ナマエは口角を持ち上げた。

嬉しいのだ。
そして、同じだけ腹立たしいのだ。
きっとそれは、宗像も同じなのだろう。
宗像の指先を舐めながら、ナマエはまだ会ったことのない赤の王に思いを巡らせた。

青の王を最も理解出来る、赤の王。
唯一、宗像礼司と対等でいられる男。
羨ましいのだろうか。
それとも。

沸き起こる、身に覚えのない奇妙な感覚に向き合っていると、不意にそれまで舐めていたはずの宗像の指先が逆にナマエの舌をなぞった。
はっと焦点を合わせれば、そこには間違いなく不機嫌そうな顔。

「考え事とは感心しませんね」

何を考えていたのかなんて、気付かれている。
宗像の表情は、そう確信するに足るものだった。
ナマエは最後に宗像の指先を甘噛みしてから口を離し、そのまま胸元に擦り寄った。
もう、他人の煙草の匂いはしない。
いつもの宗像の匂いだった。

「れーしさん」

着流しに顔を埋め、くぐもった声で呼び掛ける。
ナマエの髪を優しく撫でていた宗像が、はい、と柔らかく答えた。

「……わたさない、ですから」

思いついたままを、小さく呟く。
宗像は、その意味を察するのに一拍置き、そして噴き出した。

「ふ、ふふっ、……君という子は、本当に」

肩を震わせて笑う宗像にナマエが顔を上げれば、先ほどとは打って変わって心底嬉しそうな笑みがある。
くすくすと笑い続ける宗像は、王様ではなく人の顔をしていた。

誰にも、譲る気はないのだ。
宗像礼司という、一人の人間を。
赤の王にも、そして青の王にも。
決して、渡したりしない。
先代の王と同じ末路を辿らせるつもりなど毛頭ない。
絶対に。

でも、やはり少しだけ嬉しかった。
周防尊という男が、宗像にとって、普段抑圧している強大な力を気兼ねなく振るえる相手になるのならば、それはきっと貴重なことだ。
セプター4にいればいずれ顔を合わせることになるだろうが、早く会ってみたいと思った。
宗像にあんな顔をさせた、周防尊という男に。
だが、それを口にするとせっかく直った機嫌が急転直下で悪くなるのは分かっていたので、ナマエは何も言わずに宗像の胸元に鼻先を擦り付けた。



必然、だったのだろう。
遅かれ早かれ、出会う運命だった。

その後宗像は、外出する度にまた周防に会ったと不機嫌に漏らすこととなる。
そしてその度にナマエは苦笑する。
何だかんだ、仲良いですよね。
そう言う度、宗像は心外だとばかりに否定する。
長くもなく短くもない、そんな日々の始まりだった。


そしてきっと、結末も定められていた。
ただ、それを知らなかった。それだけの話だ。






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