エンドロールにはまだ遠い
bookmark


※ KRK開始前の未来捏造です







「ほい、おまっとうさん」

草薙はその言葉と共に、華奢なタンブラーをカウンターに乗せた。
ウォッカとトマトジュースで作ったブラッディ・メリー。

「ありがとう、イズモ」

長い月日が流れたが、その透き通るような声だけは変わらへんかったな、と。
草薙はサングラスの奥で目を細めた。

草薙が初めてアンナと出会ったのは、アンナが七歳の時だった。
まだ、皆が生きていた頃のことだ。
アンナが十一歳になる年に十束と周防が死に、そしてその翌年にアンナは赤の王となった。
あの頃は草薙の腰辺りまでしかなかった身長もいつの間にか伸び、今では草薙の胸元まである。
育った環境の影響により昔から子どもらしさというものが欠落していたせいで変化に乏しいが、それでも幼かった少女は美しい女性へと成長した。

そりゃ俺も老けるっちゅうねんな。

アセロラジュースをストローで啜っていたアンナが、今ではワインやカクテルを嗜むのだ。
同じなのは、グラスの中が相変わらず赤いという一点だけである。
一通りの片付けを終えた草薙は、自分の分も用意しようかと磨き上げられたグラスに手を伸ばした。
時刻は深夜二時を少し回ったところ、今夜はもう閉店だ。
アンナはこのまま二階に泊まっていくだろうから、マンションまで送る必要もない。
しかしターキーのボトルに手を伸ばしたところで、入口のドアベルがからんと鳴った。

「いらっしゃいま、………せ………?」

振り返って反射的に口にした言葉は、視界に入ってきた人物を見て中途半端に途切れる。
そこには見知った、だが随分と長い間会っていなかった人の姿があった。
闇に溶け込む長い黒髪、アンナに負けず劣らずの華奢な身体。
深いネイビーのコートはあの青とは違う色なのに、在りし日の彼女の制服を連想させた。

「ナマエ……」

アンナが、感情の窺えない声でその名を呼ぶ。
やはり見間違えではないのだと、草薙は詰めていた息を静かに吐き出した。
頭や肩口についた雪を振り払い、ナマエが店内へと入って来る。
その背後で、ドアが閉まった。

「……まだ、開いてますか」

ぽつり、と零された問い。
懐かしい、呟くような喋り方。

「もちろんや。早よ座り、寒かったやろ。すぐに何かあったかいもん淹れたるわ」

草薙の言葉とアンナの手招きに促され、ナマエはアンナの右隣りに腰を下ろした。
確か彼女はさほど酒を好まなかったはずだと、草薙はホットココアを用意する。
砂糖を多めに入れ、温めに仕上げた。
草薙からマグカップを受け取ったナマエは何度も息を吹きかけ、やがてゆっくりと口を付けた。
それまで全く動かなかった表情が、初めて少し緩む。
それを見て、草薙はようやく安堵した。

長い沈黙だった。
だが、気まずさや居心地の悪さは感じない。
それぞれが何を思っているのか、互いに理解出来たから。
三人のグラスの中身が半分ほどに減るまで、誰も何も言わなかった。

「吸うても構わへんやろか?」

最初に言葉を発したのは草薙で、その問いはナマエへと向けられた。
草薙の指二本で煙草を吸うジェスチャーに、ナマエはこくりと頷く。
そして草薙に倣うように、コートのポケットから煙草のケースを取り出した。

「知らへんかったわ。いつから吸うてるん?」

咥えた煙草にZippoで火をつけながら、草薙が訊ねる。
その問いに、答えは返ってこなかった。
その必要もなかった。
中から一本を抜き取って、カウンターに置かれたケース。
そこに書かれた、BLUE SPARKSの文字。
職業柄、草薙は客の好む酒と煙草の銘柄を記憶するのは得意だ。
その銘柄は、かつて宗像礼司が吸っていたものと同じだった。
宗像がHOMRAを訪れたのは、片手で数えても指が余るほどの回数でしかない。
しかし相手は青の王だ、草薙は当然覚えていた。
アンナが何も言わず、指先に力を集めてナマエの咥えた煙草に火をつける。
ありがとう、という小さな感謝と共に、二本の白い煙がゆらりと立ち昇った。

身体が温まってきたのか、ナマエが羽織っていたコートを脱ぐ。
立てた襟に隠されていた部分に懐かしい色を見つけ、草薙はそれをじっと見つめた。
青い、目が覚めるような鮮やかな色の、チョーカー。
サーベルを外し、制服を脱いでも。
そのチョーカーだけはずっと、ナマエの首にあったのだろう。

「……もう、あれから五年か」

様々なことが、あった。
始まりはきっと、十束の死だ。
そして尊が死に、アンナが王になり。
その四年後、青の王、宗像礼司も死んだ。
それから、長い長い年月が過ぎた。
五年ぶりの、再会だ。

草薙に、青のクランズマンミョウジナマエが行方を晦ました、という知らせを届けたのは、当時宗像の跡を引き継ぐ形でセプター4の室長代行へと就任した伏見だった。
その話を聞いた時、草薙は初め、伏見はアンナの感応能力を以てナマエの行方を追おうとしているのかと思った。
しかしそうではなかった。
伏見は単なる情報提供に過ぎないと言い切り、ナマエを捜そうとはしなかった。
草薙もアンナも、それ以上の追求は憚られた。

草薙は、ナマエに対する心配はもちろんのこと、伏見のことも気にかけていた。
王なきクランの末路がどういうものか、草薙は嫌というほど知っている。
セプター4は先代の死後から宗像が王となるまでの間、正常に機能していなかった。
草薙は、当時司令代行を務めていた塩津と何度か言葉を交わしたことがある。
王のいないクランに十年、空座のトップに座らされていた憐れな男だった。
本人もそれを十分に自覚していたのだろう、相対する際いつもやさぐれた態度だったことを覚えている。
黄金のクランの傘下に置かれ、大義も誇りも失い、警備員かひどい時は雑用係のように扱われていた隊員たち。
王のいないクランは惨めなものだ。
セプター4に限らず吠舞羅も、周防の死後からアンナが王を冠するまでは瓦解同然だった。
クランとは、王の下に集うもの。
王がいなくては成り立たないのだ。

幸いと言っていいのか草薙には分からないが、宗像が死んだ時、新しい黄金の王は誕生しておらず、黄金のクランはセプター4の傘下にあった。
だからこそセプター4は、羽張の死後のように黄金のクランに蹂躙されることなく存続することが出来たのだろう。
吠舞羅やjungleと違い、セプター4は国家の公的機関だ。
黄金のクランと並び、国の行政や治安維持と密接に関わっている。
よって、王がいなくなったからといって組織がすぐさま潰れるわけではない。
特に、宗像が実質的に黄金と青、二つの王権を握っていた時代だ。
セプター4は生き残った。
そして宗像の死からおよそ一年後、伏見が新たな青の王となった。
くそめんどくせえ、とぼやきながらも、伏見は確実に業務をこなしているらしい。
それから、四年。

宗像室長と違って、全然さぼらないの。
逆に、休憩を取るようにお願いする方が大変だわ。

先日飲みに来た淡島は、そう言って寂しそうに笑っていた。
あいつは仕事の出来る奴やから、と。
草薙は、いつの間にか大人になってしまったかつての仲間に誇らしさと、そして寂しさを覚えて同じように微笑んだのだ。


煙草を吸い終えた草薙は、自分も飲ませてもらおうとターキーのボトルを手に取る。
すると、ナマエがココアの最後の一口を飲み干し、空いたマグカップを草薙に差し出した。

「草薙さんと、同じものを」
「え?……いや、かまへんけど、飲むん?」

酒は、甘くないものは特に苦手だったのではないか、と言外に訊ねてみても、ナマエは何も答えず視線で促してくる。
客の注文ならばと、草薙はグラスを新しく用意した。

「イズモ、私も」

ロックグラスに氷を入れていると、アンナからも声がかかる。
そこでようやく、草薙は彼女らの言わんとしていることを理解した。
三つのグラスに同じものを注ぎ、それぞれの手元に置く。
アンナとナマエに、ロックのターキーは似合わなかった。
だがきっと、それでいいのだろう。
草薙が新しく煙草を咥え、Zippoで火をつける。
一吸いしてから灰皿に置き、すぐさま新しい煙草をもう一本取り出した。
今度はその先端に、アンナが火をつける。
二本目の煙草が灰皿に並んだ。
その横で、ナマエも新たに煙草を抜き取り、自らライターで火をつける。
三本の煙が揺れながらゆっくりと昇っていくのをしばらく眺め、おもむろにグラスを手に取った。

「……十束に」
「ミコトに」
「………礼司さんに」

からん、とぶつかる三つのグラス。

「………あんまり、美味しくない………」

やがてぽつりと零された言葉に、草薙とアンナは笑った。
きっと彼らも笑っているのだろう。

分かるよ、俺もその美味しさは理解出来ない。
何言ってんだ、旨いだろうが。
ふふ、君の舌はお子様仕様ですからね。

三者三様の反応が、聞こえた気がした。


「どこ行ってたか、聞いてもええん?」

ナマエが姿を晦ませてから、五年。
草薙は、最悪の結末も覚悟していた。
しかし、そうはならなかった。

「……ドイツに」
「ドイツ?」

かつて草薙も踏んだことのある地の名前に首を傾げれば、ナマエは小さく微笑んだ。

「今度は、間に合うよ」

アンナに向かって、ゆっくりと告げられた言葉。
目を見開くアンナを、ナマエは静かに見ていた。

ああ、そういうことやったんか。

王となった伏見のために、そしてアンナのために。
ナマエは動いたのだ。
宗像が護った、宗像が遺した全てのもののために、ナマエは生きたのだ。


「……今夜は奢りや。好きなもん飲んで行き」

草薙の言葉に、ナマエは首元のチョーカーをなぞりながらそっと笑った。





エンドロールにはまだ遠い
- 貴方に貰った命で、足掻いてみせるから -




prev|next

[Back]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -