終わりの始まりを染めた赤
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宙に浮かんだ赤い剣が光を失い、急速にその高度を下げた。
切っ先が今にも地に届かんとした刹那、それは動きを止め、刃先から少しずつその形を失っていく。
やがて全てが赤い粒子となって宙に霧散した時、隣に寄り添うように浮いていた青の剣もまた溶けるようにその姿を消した。

失われた、巨大なエネルギー。
長いようで短かった一連の事件の幕引きを、橋の反対側から見ていた。

「赤の王のヴァイスマン偏差、消失」

耳に仕込んだインカムに、情報車からの声が届く。
その瞬間、終わった、ではなく始まった、と思ったのは、どうしてだったのか。
ナマエはインカムを毟り取ると、制服のポケットに押し込んだ。

閉鎖された連絡ゲートに、足を進める。

「ミョウジ」

ナマエが三歩歩いたところで、背後から名前を呼ばれた。
しかしナマエは振り返らなかった。

「ミョウジ!」

先よりも強い淡島の口調に、ナマエは歩みを止める。
振り向けば、咎める声とは裏腹に戸惑いと不安とを覗かせた淡島が、ナマエを見ていた。

「……別命あるまで待機、と。室長からの命令だ」

しばし、ナマエと淡島の視線が絡み合った。
やがてナマエは何も言わず、腰に佩いたサーベルを外した。
そしてセプター4の上着を脱ぎ、二つを無造作に地面に置いた。

「ミョウジ、待ちなさい!」

焦ったような淡島の声が、今一度ナマエを呼ぶ。
だがもう、ナマエが振り返ることはなかった。




宗像の手には、何も残らなかった。
ただひとつ、友の心臓を貫いたサーベルの感触だけを残して、他は何も。

引き抜いたサーベルに付着した血を振り払うと、雪の上に赤が増えた。
サーベルを鞘に収め、空を見上げる。
そこに、剣はなかった。

佩剣者たるの責務を遂行す。
聖域に乱在るを許さず、塵界に暴在るを許さず。
剣をもって剣を制す、我らが大義に曇りなし。

浮かんだ口上に、宗像は自嘲した。
宗像に与えられた言い訳は、重く、深く、宗像の肩にのし掛かる。
見下ろした視線の先にあるのは、友の死だというのに。
それを、大義と呼ぶのだ。

宗像が踵を返すと、青い裾が冷えた空気を切り裂いた。
白い雪を一歩一歩、ブーツで踏み締め歩く。
辺りは不気味なほどの静謐に包まれていた。

不明瞭な視界に、連絡橋が見えてくる。
この橋を渡れば、喧騒が、責務が、現実が宗像を待っている。
感傷に浸る間もなく、忙殺されることになるだろう。
赤の王が死んだことにより、吠舞羅による学園島占拠の全責任はセプター4が負うこととなる。
王位が一つ空いたとなれば、石盤の動きは活発になり、多くのストレインを生むだろう。
事後処理、手続き、新たな事件。
現実は、宗像に剣を休める暇を与えない。

それでいい、と思った。

宗像は、王だ。
王は、疲れない。

だから、それで、いい。


宗像の足が連絡橋に差し掛かった時、橋の向こうに人影が見えた。
不鮮明な視界に、宗像は目を眇める。
吠舞羅の人間か、それとも学園島の生徒か。
しかしゲートはセプター4が封鎖している。
すると、宗像の部下だろうか。
だがそれにしては、特徴のある青い裾がはためく様子がない。
僅かな警戒心と共にサーベルの柄に指先を這わせた宗像は、しかし少しずつ近付いてくるシルエットが誰のものであるかに気付いて足を止めた。

驚いた。
だが、なぜ、とは思わなかった。
つまり、そういうことなのだろう。
宗像はきっと、求めていたのだ。

現れたのは、ナマエだった。
なるほど、遠目には分からないはずだ。
ナマエは上着を羽織っておらず、上はワイシャツ一枚、下は青のスラックスにブーツという出で立ちだった。
ナマエが制服を着ていない理由を、宗像は瞬時に理解する。
なぜならナマエは、帯刀すらしていなかったのだから。


「礼司さん」

立ち止まった宗像の前まで歩み寄ってきたナマエが選んだ呼び名に、宗像は小さく口元を緩めた。
ああ、やはり、と思った。

「……そのような薄着では、風邪を引いてしまいますよ」

大丈夫だと、そう言ったつもりだった。
だが、ナマエには通用しなかった。

「なら、礼司さんが温めてください」

宗像の笑みが消え失せる。
いつだって、そうだ。
宗像に理由を与えてくれるのは、いつだってナマエだった。
この橋を渡れば宗像は、室長であり青の王だ。
だが、この橋を渡る、それまでは。

「……仕方のない子ですね、君は」

宗像は、宗像礼司だ。

血に濡れた宗像の手が、ナマエの白い背を掻き抱いた。
ナマエは何も言わず、宗像の胸に身を委ねる。

「………私が、殺しました」
「はい」

懺悔ではない、後悔ですらない。

「私が、周防を殺したんです」
「はい」

何度あの瞬間に立ち返っても、宗像は同じ決断をする。
同じ行動を取る。

「この手で、心臓を、貫きました」
「はい」

選択の時が来れば、私の剣は天命を選び取ります。
そう、いつだったか部下に宣言した通り。
宗像の天狼は、周防の命を貫いた。

「………ですが、」

上体を屈め、目を伏せ、宗像は華奢な肩口に顔を埋める。

「俺は……っ、殺したく、なかった……!」
「……はい、」

ナマエの手が、ゆっくりと持ち上がり、そして。
大義を背負ったその背を、強く抱き締めた。

そのままナマエは、宗像の言葉の続きを待った。
だが宗像はそれ以上何も言わず、ナマエに縋り付くようにして立ち尽くすだけだった。
ナマエは右手を少し引き、宗像の腹部をそっとなぞる。
血は、もう止まっていた。

「………あとで、」
「うん?」

ナマエは宗像の肩越しに、半壊した学園を見る。
宗像とナマエの二人しかいない島は、静まり返っていた。

「……あとで、海に向かって、馬鹿野郎って叫んでみましょうか」

誰に、とは言わない。
その意図を汲んだ宗像が、ナマエの首筋に目元を押し付けたままクスリと笑った。

「……ああ、そうだな。……旨い酒を飲んで、旨い煙草を吸って、灰皿代わりにした空瓶を、投げ捨ててやる」

法も秩序もない宗像の、彼が最も嫌悪したチンピラ染みた提案に、ナマエは小さく頷いた。


腕を解き、顔を見合わせる。
ナマエの目の前に立っているのは青の王ではなく、宗像礼司だった。


「……ナマエ、……いつか、」
「殺しませんよ」

いつか俺が、と続くはずだった宗像の言葉は、すぐさま遮られる。

「殺してなんて、あげません」

真っ直ぐに宗像を見上げるナマエの躊躇なき言葉に、宗像は微笑んだ。
その後に続く言葉を、宗像は知っている。

「……肝に銘じておこう」
「そうして下さい」

小さく笑い合って、二人同時に橋の向こうへと顔を向けた。
皆が、待っている。

「……サーベルと制服、放り出したら始末書、ですか」
「私から淡島君に説明しますから、安心しなさい」

宗像はそう言って、歩き出す。
それはどうも、と呟いたナマエが、その背を追った。

やがて橋の向こうに、多数の青い人影が見えてくる。

「室長だ!」
「室長が戻られたぞ!」

聞こえてきた喝采に、宗像は歩みを止めることなく制服の内側に手を入れた。
そこから、ひびの入った眼鏡を取り出す。
宗像は、背後から付いて来る小さな靴音を感じながら、眼鏡を掛けた。
その瞬間から宗像は、青の王だ。

「事後処理の指揮は私が執ります。君はまず特務隊と合流し、被害状況の確認に当たって下さい」
「はっ、」

よろしい、と頷き、宗像はゲートを通り抜けた。
淡島が、特務隊の面々が駆け寄ってくる。
宗像は一度眼鏡のブリッジを押し上げてから、部下たちに微笑みかけた。



殺してなんて、あげません。
命に代えても、貴方に剣を堕とさせはしません。


ナマエは隊員から制服とサーベルを受け取り、誰にも背を見せることなく青を纏った。





終わりの始まりを染めた赤
- 包む青に護られんことを -




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