[10]その手に残ったもの
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「……おかえり、伏見」

そう言って出迎えられた時、伏見は泣いてしまいたいと思った。
だが泣き方が分からなかった。
だから、黙って拳を握り締めた。



宗像を刺した後、伏見はしばらくその場に佇んでいた。
心臓を一突き、ほぼ即死だっただろう。
宗像の死に顔は穏やかで、だがどこか寂しそうにも見えた。
伏見は引き抜いたサーベルを握りしめたまま、その顔をずっと見下ろしていた。

やらなければならないことは、理解していた。
椿門に戻った部下の中から一人二人を選び、もう一度ここに呼ばなければならない。
遺体をこのままにはしておけない。
だが伏見は、誰を呼べばいいのか分からなかった。
副長である淡島か、しかし彼女には酷だろう。
当然ながらミョウジは論外だ。
特務隊の面々、順当にいけば秋山弁財だろうか。
しかし彼らは宗像を敬愛していた。
それを言い出せば、きりがないのかもしれない。
伏見以外は皆、宗像を、言い方が適切かどうか分からないが、愛していた。
だからこそ、宗像は最期を伏見に託したのだ。
情に流されることのないように。
間違いが起こることのないように。

しかし、いつまでも放置しておくわけにはいかないと、伏見はタンマツを取り出した。
その時、近付いてきた車の音。
振り返ればそこには、一台の外車。
見覚えのあるそれに戸惑った伏見の視線の先、運転席から出てきたのは長身の男だった。

「伏見、」
「………く、さなぎ、さん……?」

草薙出雲は、いつものサングラスの奥で目を細め、伏見と地面に倒れた宗像とを交互に見た。
伏見が呆然と名を呼べば、微かに手を挙げる。

「……何で、ここに」

僅かな警戒心をもって問えば、草薙は咥えていた煙草を捨てた。

「うちの王様が、借りは返すって、な」

その言葉に、伏見はゆっくりと目を閉じた。
不意に去来する、吠舞羅での日々と、周防の最期。

「……世理ちゃんには、話つけといたさかい」

草薙の柔らかい声が、伏見の冷え切った身体に染み込んでいく。
吠舞羅は嫌いだったが、草薙のことは嫌いではなかった。
今になって、そんなことを自覚した。
そして、アンナのことも。

「……頼んで、いいですか」

伏見が呟くように言えば、草薙が心得たとばかりに頷いて地面に膝をつく。
草薙が宗像の遺体を抱え、車の後部座席に横たえるまでを、伏見はじっと見ていた。

「乗ってくか、伏見」

草薙が、助手席を指し示す。
その提案に、伏見は首を横に振って答えた。

「さよか。ほな、先に行ってるで」

本来ならば、同乗するべきだっただろう。
草薙のことは信頼しているが、それでも他色のクランズマンだ。
自らの王を無条件に預けて良い相手ではない。
しかし、伏見は乗れなかった。
草薙の車が去っていくのを、黙って見送る。
血だまりは雨に流され、赤は少しずつ薄くなってきていた。

その後、伏見は椿門まで徒歩で戻った。
普段の伏見ならば、絶対に歩きたくない距離だった。
だがこの時は、雨に打たれながら歩いて戻った。
椿門に近付くにつれ、雨足は弱まってきた。
セプター4の敷地内に入り、小雨の中建物を見上げる。
中の様子など見えるはずもないのに、低い雲の下に建つ屯所は沈痛な雰囲気を醸し出していた。

その時、伏見の視線は屋上に人影を捉えた。
直感で、それがミョウジだと気付いた。
伏見はその場に立ち竦み、その人影を見つめる。
合わせる顔など、あるはずがなかった。
宗像の遺体は、既に屯所に運び込まれただろう。
仮にそれを見ていなかったとしても、すでに屋上からダモクレスの剣は確認出来ない。
もう、青の剣はないのだ。
そこに、伏見が一人で戻って来た。
何があったのかは明白だ。

会いたくなかった。
会ってはいけないと思った。
だが、本当は会いたかった。

散々躊躇い、何度も足を止め、それでも伏見は屋上へと続く階段を登り切った。
重いドアを押し開け、外に出る。
小雨の中、やはりそこにいたのはミョウジだった。
ドアの音に気付いたミョウジがゆっくりと振り返る。

「……おかえり、伏見」

いつもと変わらない、迎えの言葉。
両手を、痛くなるほど強く握り締めた。
ミョウジは全身ずぶ濡れで、制服の色は伏見のそれに負けず劣らず濃くなっていた。

「…………風邪、引きますよ」

自分が開口一番に選んだ言葉に、伏見は反吐が出そうな心地になる。
しかしミョウジは唇を緩めただけで何も言わず、制服の内側から煙草のケースを取り出した。
伏見を、待っていたのだろうか。
自分で火をつける素振りはない。
伏見はゆっくりと近付き、無言でその先端に火をつけた。
立ち昇る煙を見つめながら、雨の中でも煙草は吸えるものなのかと、伏見はぼんやりと考える。
この程度の雨足ならば、吸えるのだろう。
ミョウジは遠くを眺めながら、時間をかけて一本を吸いきった。

しかし、最後がいつもとは違った。
ミョウジは煙草を青の力で霧散させることなく、地面に落とした。
雨で出来た水溜りに落ちた煙草の火が自然に消える。
濡れた吸殻を見下ろし、伏見は初めて、宗像の死を実感した。



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