[6]さようならと微笑って何か変だ、と伏見が感じた原因は、その表情だったのか、それとも煙草が灰となって落ちるペースだったのか。
「……何か、あったんですか」
曇天の下、その雲に近い屋上で、それまで黙っていた伏見はミョウジに声を掛けた。
伏見をライター代わりにしたミョウジが、火がついた三分後に煙草を木っ端微塵にする。
「勘がいいよね、伏見は」
青い結晶が霧散する様を眺めながら、ミョウジが苦笑した。
その笑い方が気に入らず、伏見は小さく舌打ちを零す。
しかし、寂しげに細められた目に視線を奪われ、顔を背けることは出来なかった。
「……室長、ですか」
のらりくらりと躱されそうな気がして、伏見が先手を打つ。
その問いに、ミョウジは眉を下げた。
「ふられちゃった、ってところかな」
一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。
そして、間を置いてその意味を悟り、伏見は目を剥いた。
「どういう……」
「そのままの意味だよ」
それはつまり、宗像がミョウジに関係の終わりを告げたということで。
伏見の心臓は激しく揺さぶられた。
もしかしたら、チャンスだという捉え方もあるのかもしれない。
想いを寄せる相手が、恋人に別れを告げられたのだ。
慰めて、自分のものにする。
そのための、絶好の機会なのかもしれない。
だが、伏見は欠片も喜べなかった。
目の前にある諦念と寂寞に満ちた表情を見ていると、宗像に対する怒りこそ湧けども、感謝などするはずがなかった。
「……まあ、いつかこうなるとは思ってたしね」
ミョウジが、煙草をもう一本取り出しながら薄っすらと笑う。
伏見はぐっと奥歯を噛み締め、無言のままに火をつけた。
理由に、思い当たる節がないわけではない。
宗像の真意を、全く理解出来ないわけでもない。
だが、許せるはずもなかった。
泣いた形跡はない。
朝から、仕事もいつも通りにこなしていた。
しかしだからといって、傷付いていないことにはならないのだ。
室長室のドアを、ノックもせず乱暴に押し開けた。
荒々しい音がしたが、部屋の主は驚いた様子もなく、いつも通りに薄っすらと笑って伏見を迎え入れる。
「そろそろ来ると思っていましたよ」
ジグソーパズルのピース片手にそう言われ、伏見は怒鳴り散らしたいのを堪える代わりにドアを叩きつけるように閉めた。
「……どういうつもりですか」
本当は、分かっている。
付き合う付き合わない、別れる別れない、そんなのは当人同士の問題だ。
一方からの暴力や脅迫による強制があったならばともかく、互いが合意の上ならば、そこに他人が口を出すなど野暮なこと。
ミョウジが納得している以上宗像に非はないし、その宗像を詰る権利など伏見にはない。
そう、理解はしていた。
「……なんで、傷付けたんですか。なんで、別れたんですか。なんで……っ、」
なんで、最期まで一緒にいようとしなかったんですか。
口から飛び出そうになった言葉を、伏見はすんでのところで飲み込む。
しかし宗像には、違うことなく伝わったらしい。
「伏見君」
伏見の越権行為などいつものことだが、その常以上の非礼を働く伏見に対し、宗像の声は優しかった。
穏やかで、柔らかかった。
「君も気付いているかと思いますが、そろそろ限界です」
何でもないことのように告げられ、伏見は息を飲む。
何の話かなど、聞くまでもないことで。
それは、宗像が初めて自身のヴァイスマン偏差について言及した瞬間だった。
「君たちは、本当に良くやってくれました。しかし、緑のクラン相手にはそうもいかない」
労うように目を細められ、伏見は舌を鳴らした。
知られていたのだ。
宗像を騙していたことを、わざと現場に出させないようにしていたことを。
宗像は全て知った上で、大人しくしてくれていた。
「……だからって、なんで………」
ミョウジは承知していたはずだ。
この先、宗像の身に起こることを。
それでも傍にいたかったはずだ。
「伏見君。実は、君に頼みがあります」
問いを、呆気なくはぐらかされる。
だがそう言われてしまえば聞かないわけにもいかず、伏見は軽く姿勢を正した。
宗像の表情が、王としてのそれに見えたから。
何ですか、と話を促した伏見の視線の先。
「私のダモクレスの剣が落ちる時は、その前に君が私を殺して下さい」
王様は、そう言って微笑んだ。
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