王様の恋[1]
bookmark


「伏見君、コイバナとは何ですか?」

その瞬間、伏見は今度は何だよこのクソ上司、と内心で罵った。
仕方がなかったと思いたい。
完成した書類を提出するという目的で訪れた室長室、用件を済ませて踵を返しかけたところで名前を呼ばれ、その時点ですでに嫌な予感はあった。
デスクに両肘をついて笑みを浮かべる宗像の姿に、良い思い出などないのだ。
案の定、その無駄に綺麗な唇からは伏見の神経を素手で突くような単語が飛んで来た。

「さあなんでしょうね俺は知りませんけど」

宗像の雑談は嫌いだ。
それがこの手の話になると、さらに嫌悪感が増す。
伏見はおざなりな返事を投げ返し、そのまま立ち去ろうとした。
それ以上話し掛けるな、というオーラを盛大にぶつけたつもりだった。
だがそこで引き下がらないのが宗像礼司という男だ。

「おや。若い世代の子であれば皆知っていると伺いましたが、伏見君は知らないのですか?」

伏見が逃げたことを分かった上で聞いている。
眼鏡の奥で愉しげに細められた目が、雄弁にそれを物語っている。
伏見は無意識のうちに舌打ちを漏らした。
仮に恋バナという語句の意味を知らなかったとて、それは大して恥じることもないような事柄だ。
だが相手が宗像となると、伏見の中には妙な対抗意識が生まれる。
王様と家来、次元が違うのだから比べるべくもないのだが、馬鹿にされると無性に腹が立つ。
宗像がそれらを全て踏まえた上で揶揄しているのだと理解していても、抗わずにはいられなくなるのだ。

「……恋話の略ですよ。要は恋愛関係の話です」

伏見が渋々、抑揚のない声で答えれば、宗像はなるほど、と大袈裟に頷いた。

「それで恋バナ、ですか。最近の若者が使う略語は難しいですね」

大雑把に言ってしまえば最近の若者、に含まれるであろう宗像の台詞に、伏見は曖昧な相槌を打つ。
つくづく、どんな成長過程だったのか窺い知れない浮世離れした王様だ。

「もう戻っていいですかぁ?」

だがこの際、宗像が何に興味を持とうと構わない。
ただ、そこに俺を巻き込んでくれるな、という伏見の切実な願いを知ってか知らずか、宗像はニコリと笑って爆弾を落とした。

「では今度、皆さんでその恋バナというものをしてみましょう」



その発言こそが、今こうして伏見を含む特務隊の面々が宗像と共に居酒屋の座敷を陣取ることになった発端である。



沈黙が、痛かったのだ。

宗像の提案により、宗像と伏見、そして特務隊のメンバー、計十名による飲み会が開催された。
椿門から程近い居酒屋に集い、三つくっ付けて並べたテーブルを囲む形となった。
上座に宗像と伏見が向かい合い、その隣にそれぞれ秋山以下特務隊の面々が並ぶ。
仮に全員がスーツを着ていれば仕事上がりの飲み会に見えただろうが、流石にセプター4の制服で来ることは憚られたため皆私服姿だ。
ラフな格好の男ばかりが十人、顔を付き合わせているわけである。
それだけでも非常にシュールな絵だ。

飲み物とお通しが並び、庶民的な居酒屋に不慣れな宗像に代わって秋山と弁財が相談し合い、当たり障りのない定番メニューをいくつか注文した。
注文を取り終えた店員が立ち去り、宗像が簡単な労いの言葉を述べて全員で乾杯。
そこまでは取り敢えず、ぎこちないながらも自然な雰囲気だった。
だがその乾杯の後、誰一人として口を開こうとしなかったのだ。

無理もない、と伏見は思う。
この中に、伏見以外で宗像と緊張することなく会話出来る人間はいない。
さらに悪いことに、この会の目的が事前に通達されているのだ。
全員が、宗像が何を求めているか知っている。
上司に、しかも王様相手に恋愛話が出来るような人間など、この中には皆無というわけだ。
その手の話のネタがない、というわけではないだろう。
人の外見の美醜にさしたる興味もない伏見から見ても、特務隊の面々の顔立ちはそれなりに整っていると思える。
今でこそ職業柄交際は難しいかもしれないが、過去の経験談ならば皆それなりにあるだろう。
話すネタはあるはずなのだ。
ただ誰も、宗像を前にその手の話を率先して口に出来ないだけだ。
全員が互いにチラチラと視線を交わしつつ、手元のビールやソフトドリンクを不自然なほど何度も口に運ぶ。
日頃、このメンバーの中では比較的萎縮することなく宗像と相対する道明寺や日高までもがちまちまとヒジキの煮物に箸をつける姿に、伏見は小さく舌を鳴らした。
年末恒例、全員強制参加の隠し芸大会並みの気まずさである。
一方の宗像はといえば、ビールを飲むことも箸に手を伸ばすこともなく、全員の様子をじっくりと眺めている。
伏見が、宗像は恋バナそのものではなく困惑する隊員たちの観察が目的だったのではないかと疑わざるを得ないような愉しげな表情だ。
開始後五分と経たないうちに心底帰りたくなりながら、伏見は黙って烏龍茶を啜った。

そのあまりに痛々しい沈黙に対し、最初に音を上げたのは日高だった。
元々我慢強い性格ではないのだ。
あの、と切り出された言葉に、全員の視線が日高へと集まった。

「……えーーっと、その、俺らとしては、聞き慣れてる奴らの話よりも室長の話を聞きたいんスけど、……駄目、ですかね?」


間違いなくそれが、その後気の遠くなるほど長く続く地獄の始まりを告げた。




prev|next

[Back]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -