白み始めた空の下
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ナマエは知っている。

十束多々良が殺害されたあの夜からずっと、宗像が自室に帰って寝ていないことを。
自室に帰るのはシャワーを浴びるためのほんの一時で、それ以外はずっと執務室にいることを。
夜がすっかり更けた頃、執務室に設けられた茶室で僅かに仮眠をとる以外、眠っていないことを。
知っている。

十束多々良殺害事件の捜査のため、特務隊全体がほぼ不眠不休状態にある。
だが何とかローテーションを組み、隊員たちは部屋で眠る時間を作っている。
それでも皆、隠しきれない疲労感をその目の下に刻んでいるというのに。
宗像はそんな素振りなど一切見せず、いつものように不敵に笑っている。
王とはつくづく厄介な生き物だ。

周防尊を拘束した翌々日、午前三時。
ナマエは宗像が執務室を出たのを確認し、青雲寮に向かった。
宗像の部屋のロックは、宗像と、そしてナマエのタンマツで解除することが出来る。
だが部屋に入ってしまえば宗像は気配に気付くだろうし、何よりロックを解除すれば音が鳴る。
なのでナマエは敢えて中に入らず、ドアの横に立って気配を消すように息を殺した。
今頃宗像はシャワーを浴びているだろう。
そして終われば出てくるはずだ。
その瞬間を、待ち伏せる。

ナマエの予想通り、数分後に玄関のドアが隙間を作った。
咄嗟にドアノブを掴み、身体を反転させる勢いを利用してドアを力任せに引く。
ほんの僅かに上体を引っ張られた宗像の身体に体当たりをかまし、そのまま部屋に踏み込んだ。

「ナマエ?!」

油断した宗像を二歩下がらせれば、ナマエの身体も玄関に入り込む。
そのまま後ろ手にドアを閉めれば、そこはもう宗像の部屋だ。

「……驚かせないで下さい、ナマエ」

さして驚いた様子もなく、宗像が苦笑する。
別に驚かせることが目的ではなかったが、ここまで平然とされるとそれはそれで悔しいものだ、と感じながら、ナマエは宗像を見上げた。

「何かありましたか?」

見下ろしてくる宗像の目は、少しだけ翳っている。
その状態で人の心配をするのだからたちが悪いと、ナマエは溜息を吐いた。

「………寝ますよ、礼司さん」

ここに来た目的を端的に告げて初めて、宗像が僅かに眉を動かす。
やがて宗像は、困ったように笑った。

「ナマエ、私のことなら大丈夫ですよ。それより、まだ仕事を残していますのでそろそろ執務室に、」
「礼司さん」

知っている。
たとえ茶を点てていようが、ジグソーパズルに興じていようが、あの日から宗像は、一度も気を抜いていない。
一度も、宗像礼司に戻っていない。

「室長が大丈夫なのは、知ってます。……でも、礼司さんは大丈夫じゃない。だから、今日はもう、寝て下さい。みんなが起きる前に、起こします、から」

見上げれば、視線が絡み合う。
いつもとは逆だな、と思った。
普段は宗像が無茶振りやら訳の分からない提案やらをして、ナマエを困らせる。
笑顔でじっとナマエを見つめ、ナマエが折れるのを待つのだが、今は立場が反対になっている。
そしてナマエに、ここで折れてあげるつもりなど毛頭なかった。
その結果、折れたのは珍しくも宗像だった。

「………君には敵いませんね」

くすり、と唇の端で笑い、宗像はナマエの提案を受け入れることを示すかのようにその身体を抱き込む。

「その代わり、抱き枕はよろしくお願いしますね」

その声音から情けない笑みを連想し、ナマエは頷いた。

シャワーの後だというのにきっちりと着込んだ制服を脱がし、浴衣を羽織らせる。
宗像が帯を締めている間に、ナマエもサーベルを外して制服を脱ぎ捨てた。
そのまま寝室に向かい、二人でベッドに潜り込む。
眼鏡を外した宗像は宣言通りナマエの身体を抱き枕よろしく腕の中に収め、嬉しそうに目を細めた。
宗像ほどではないとは言え、ナマエもここ数日満足に眠っていない。
慣れた温もりと匂いに包まれ、一瞬で身体のスイッチがオフになったのを感じた。

「………ナマエ、」

静かな鼓動を数えながら微睡み始めた頃、不意に頭上から声が降ってくる。
ナマエは応えなかった。
いいから寝て下さいと、心の中で呟く。

「……ナマエ?」

だが、二度目の呼び掛けに交じった微かな震えを聞き取ってしまうと、反応しないわけにはいかなかった。

「……なんですか」

宗像の胸に顔を埋めたまま声を出すと、あからさまに安堵したような呼気が頭の天辺に落ちてくる。

「君の意見を、聞かせてほしいのですが」
「……だから、何ですか?」

無駄な前置きを遮るように顔を上げれば、宗像とナマエの視線が交わった。
暗がりの中、いつもより深い紫紺がナマエを見つめる。

「……櫛名アンナを使えば、周防を止められると思いますか?」

いつもの遠回しで分かりにくい謎掛けはどこにいったのか、率直に問われ、ナマエは小さく息を飲む。
だが、答えに迷うことはなかった。

「いいえ、」

そして宗像も、その答えを予想していたのだろう。
その目には驚きも失望も浮かばず、静かにナマエを見つめるだけだった。

「……あの子は、周防尊のすることに口を出さないと、思います。止めることも、背を押すこともない。あの子にとって、周防尊は絶対です」

ナマエの答えに宗像は薄く笑い、そうですね、と頷いた。
分かっていた、それでも聞いた。
その理由を考え、ナマエは言葉を続ける。

「……私は、あの子とは違います、よ」

そう言えば、宗像は微笑むと思った。
だがナマエの予想に反し、宗像は寂しげに目尻を下げたので、あれ、と首を傾げる。
そして、宗像が何を勘違いして何に傷付いたのかを悟り、苦笑した。

「違いますよ、礼司さん。……私にとっても、礼司さんが、絶対です。だから……、何があっても、それが礼司さんの望みであっても、独りになんて、させてあげません」

知ってるでしょう、とナマエが囁く。
すると宗像は一度目を見開き、そして幸せそうに笑った。

「安心して下さい、ナマエ。私も、あの野蛮人とは違いますよ」

宗像の言葉の意味を正確に理解し、ナマエもまた口元を緩めた。
宗像は微笑んだままナマエの頭を抱き寄せ、再び胸元に顔を埋めさせる。
その髪を優しく梳きながら、宗像は目を閉じた。

「この件に関して、状況を見つつ近日中にロイヤルブルーを発令します」
「……唯識、ですか」

電子的監視システム唯識の起動。
そうすれば、事態は動くだろう。

「君には言うまでもないと思いますが、唯識は諸刃の剣です」

国民のプライバシーさえ侵害し、無尽蔵の情報を統合認識処理する。
それにより得られる情報は膨大だが、その分、非時院への負債も大きい。
何より、唯識を稼働させている間、セプター4のセキュリティは一時的にかなり脆弱なものとなる。

「攻めは伏見君に指揮を執ってもらいます。その間、守りは君に一任します」

この状況で、さらに緑とまで事を構える余裕はない。

「細心の注意を払って下さい」

宗像の指示に、ナマエは黙って頷いた。
そして、胸元に顔を埋めたまま、呟く。

「……大丈夫、ですよ。……負けません、から」

いつかの日と同じ台詞を、同じだけの思いを持って口にする。
宗像ははいと答え、やがて温もりを抱えたまま意識を眠りの中に溶かした。




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