SIDE:C
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がさがさ、と。
それ自体は決して大きな音ではないのだが、ふと聴覚を刺激され顔を上げた加茂の視線の先。
日当たりの良い窓際の椅子に丸まって座るナマエが、右手で書類を捲りながら左手でテーブルの端に置かれたビニールの小袋を漁っていた。
細い指先が中から一口サイズのクッキーを摘み上げ、口元へと運ぶ。
顎を微かに動かして咀嚼する様子を、加茂はさりげなく眺めた。

今日は、見たところチョコチップクッキーだ。
袋のサイズから、十枚程度入っていると仮定して、約二百五十キロカロリー。
どう考えても成人女性の一日の必要摂取カロリーを大幅に下回っているのだが、加茂は、ナマエが執務室で時々頬張るクッキー以外に何かを食べる姿を見たことがなかった。
昼休憩の際も、特務隊の面々が食堂に赴く中、ナマエは執務室に残っている。
加茂が帰って来てみれば、出て行った時と同じ体勢でPCと睨めっこをしていた、なんてこともざらだ。
最近では弁財が淹れるココアを飲むようになったが、それ以外で水分を摂っている様子もない。
流石に夜は寮に戻って何か食べているはずだが、ナマエは残業も多いので、それも定かではない。
ナマエが今口にしているクッキーでさえ、それはナマエ本人が持ち込んだものではなく、宗像が用意したものなのだ。
加茂がそれを知ったのは、つい先日のことだった。


あの夜当直だった加茂は、朝の引き継ぎ用に資料をまとめていた。
すると明け方、隊員たちよりも早く宗像が執務室に顔を出したのだ。
慌てて立ち上がった加茂を制した宗像は、抱えていた箱をナマエが好んで使用するテーブルの下に置いた。

「……室長、それは一体……?」

宗像自らわざわざ運んできたという箱の中身が気になって首を傾げれば、苦笑した宗像がナイフで箱を開封する。
手招きされて覗き込めば、そこには様々な種類のクッキーが入った小袋が詰め込まれていた。

「ミョウジ君が気に入っているケーキ屋で売っているクッキーです。この店のものならば、置いておくと食べてくれるので」

放っておくと、すぐに食事を抜いてしまうので困っているんです。
そう言って眉を下げた宗像を見て、加茂は不思議とその気持ちを理解したような気を起こした。

ナマエは、食事自体が嫌いなわけではないらしい。
好き嫌いは人よりも多いが、食べられるものもたくさんあるし、美味しさも知っている。
ただ、自らの中で食事という行為の優先順位が極端に低いのだという。
だから、つい忘れてしまうのだ、と。
宗像から聞かされた話に、加茂は困惑した。
日常生活を送る上で最低限必要なカロリーを摂取することを、つい、で忘れられるものだろうか。
カロリーもさることながら、栄養の偏りも問題だ。

しかし実際、加茂はナマエがクッキー以外のものを食べている様子を見たことがなかった。
恐らく宗像も、この少女にいかにして食事を摂らせるか、あの手この手を試しているのだろう。

それならば、と加茂は考えた。



南瓜を茹でて柔らかくし、皮を取る。
そして、潰した南瓜を裏ごしし、人参をすりおろす。
次に、ボウルに黄卵と砂糖を入れて混ぜ、そこに先ほどの南瓜と人参を加える。
さらに牛乳、薄力粉、ベーキングパウダー、コーンミールを入れる。
別のボウルでメレンゲを作り、合わせる。
出来上がった生地を型に流し込み、オーブンで三十分。
冷ませば、ベジタブルスポンジケーキの完成だ。


夜中に食堂を借りて作ったそれを一口サイズに切り分けてラッピングし、翌朝、加茂はナマエに差し出した。

「ミョウジ、良かったらこれを」
「…………なん、ですか?」

テーブルに置かれた包みを見て、ナマエが首を傾げる。
手作りのケーキだと説明すると、ナマエはぎこちなく包みを開封した。
それを顔に近付け、すん、と匂いを嗅ぐ。

「…………あとで、食べます」

零された返事に、加茂は頬を緩めた。
どうやら及第点はもらえるらしい。

「ぜひ、そうしてくれ」

しかし結論から言うと、その日ナマエが加茂のケーキを食べることはなかった。
緊急出動が掛かり、事件自体は早々に解決したもののその後も何かと慌ただしく、仕事に没頭するナマエはケーキの存在など忘れ去ってしまったのだ。

加茂の挑戦は続いた。

甘さを足してみたり、野菜を変えてみたり、パンケーキ風にしてみたり。
何とか、仕事中でも手軽に口に出来る菓子という分類で野菜を食べさせようと奮闘した。
ナマエの、全く悪気のない素直な判定は様々だった。
匂いを嗅いだだけで突き返されることもあれば、受け取ってもらえることもある。
一口食べただけで後は全て残されることもあれば、何とか全て食べてもらえることもある。
加茂は元料理人としてのプライドに懸け、毎日改良を加えたものをナマエに差し出した。



その日用意したのは、りんごとおから、豆乳を生地に混ぜ込んだケーキだった。
弁財からの彼女はかなり甘党だ、というアドバイスを受け、砂糖を多めに入れている。
いつものように加茂がケーキを差し出すと、これまたいつものようにナマエは包みを開いた。
くん、と小さな鼻が動き、ナマエが匂いを確かめる。

「…………え、」

直後、加茂は驚いた。
ナマエがそのまま、包みから覗くケーキの端に食い付いたのだ。
後から食べてもらえることは何度かあったが、渡してすぐに口を付けてもらったのは初めてだった。
一口、二口、とナマエが無言のままに食べ進める。
両手に包みを持ってケーキを頬張る様子を、加茂は奇妙な感動に包まれながら見下ろした。

これは、もしかして、気に入ってもらえたのだろうか。

表情が薄く、言葉も少ないため、ナマエの感情は分かりづらい。
だが、その性格は素直なのだ。
誰に対しても態度が変わらず、平気で人から貰ったものを突き返し、気に入らないものは受け付けない。
それだけ聞くと、随分と自分勝手だ。
だが、そうではない。
ミョウジナマエという人間は、下心を持たず、誰に飾ることもなく、上辺だけの言葉を持たない。
どこまでも真っ直ぐで、いつでも自分自身をありのままに見せる、正直な人だ。

「…………これ、……おいし、です」

だから、信じられる。
この人の言葉に嘘偽りはなく、社交辞令もなく、下心もない。
相手の立場、周囲の状況、自らの保身。
そんなものを、欠片も気にしない。

「そうか、よかった。また作るから、食べてくれ」


だから、嬉しいのだ。




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