[14]迸る激情は死へと向かい
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「………お前、は……っ!」

そう叫んだ目の前に立つ男を、忘れたことなどなかった。

スラックスとワイシャツ、そして白衣。
この姿を、何年見てきただろうか。
ナマエが幼い頃は、この男もまた若かった。
暴力を振るうようになった頃には、この男も随分と年を取っていた。
重ねてきた、苦痛に満ちた年月。
殴られ、蹴られ、水に沈められ。
怒鳴られ、痛めつけられる日々。

あの頃は、抵抗する術など持ち合わせていなかった。
だが今この瞬間、ナマエの手にはサーベルがあった。
相手を殺す術を、ナマエは持っていた。

ナマエをかつての被験者だと認識した男が、憤りを露わに睨み付けてくる。
まるで、裏切り者、と言っているかのような視線だったが、ナマエにはそれが理解出来なかった。
裏切るということは、それまでは親しい間柄だった、ということだろう。
生憎と、そんな関係性を築いた覚えはなかった。


伏見が、施設関係者の一人を捕らえ、即座に尋問した。
その結果、関係者は三人いることが判明した。
加茂がもう一人を捕らえ、残り一人となった。
施設内から逃げ出してきた最後の一人が今、ナマエの前に立っている。
ナマエがこの施設にいた頃、ナマエの担当だった男だ。


ナマエはサーベルを構え、施設のエントランスから少し離れた位置で男と対峙する。
建物の中から、淡島と特務隊の面々が姿を現した。
白衣を着た男をそれぞれ拘束している伏見と加茂、そして、保護したストレインを連れた隊員たち。
宗像の姿は、まだない。
彼らの姿を視界に収めながら、ナマエはゆっくりと息を吸い込んだ。

怖くない。
もう、何も、怖くない。

ナマエはもう、ここで痛めつけられ、何もかも言いなりになる生き物ではない。
四番と、番号で呼ばれる生き物ではない。

宗像が与えてくれた、ミョウジナマエという名前。
帰る場所も、自分の足で立つ場所も、嬉しいことも、楽しいことも、美味しいものも。
全て、全て宗像が与えてくれた。

だから、この男を捕えなければならない。
この男がナマエに虐待を繰り返した人物だと、優しい宗像が知ってしまう前に。
この男を、ナマエの手で拘束するのだ。

もう、怖くない。
もう、負けたりしない。
何も、怖くなんて、ない。

そう、分かっているのに。
サーベルを持つ手が震えた。
今にも、胃の中身を全て吐き出してしまいそうだった。

いたい、苦しい、熱い。
もうやめて、ごめんなさい、いやだ。

自分の悲鳴が、頭の中で反響する。
視界が霞んだ気がして、ナマエはきつく目を瞑った。


ナマエの異変に気付いたのか、淡島がサーベルを構える。
そのまま、男に向かって駆け出そうとした時。

「お前を育ててやったのはこの俺だろうが!お前には恩に報いる義務があるんだよ!」

男が、気の狂ったような声で叫んだ。
その場は、静まり返った。

淡島が中途半端な体勢で立ち止まり、特務隊の面々が固まる。
誰もが、どういうことだ、と疑問符を浮かべた。

次の瞬間、辺りの空気が凍り付いた。
ナマエの目の前に、ふっと人影が降り立つ。
その姿を見たナマエは、息を飲んだ。

宗像は、壮絶に美しい笑みを浮かべ、肩越しにナマエを振り返った。
計算し尽くされた笑みの奥から、殺気が溢れ出す。
足元に展開したサンクトゥムが、宗像を包み込んだ。

「育ててやった、ですか」

ナマエは、宗像のこれほどまでに冷やか声を聞いたのは初めてだった。
底冷えするような視線が、男に突き刺さる。
まるで抜き身のサーベルのような冷たく鋭い殺気に、直接それを向けられたわけでもない隊員たちが膝をつく。
淡島と伏見でさえ、顔を歪めた。
背後にいるナマエもまた、呼吸を詰める。
宗像の殺気を真正面から向けられた男は声すら出せずに尻もちをつき、身体を滑稽なほどに震わせた。

「監禁し、物事を強制し、暴行を加え。それを、育ててやったと、言うのですか」

一歩一歩、まるで焦らすようにゆっくりと、宗像が男に近付いて行く。
身体中の穴という穴から汗やら涙やら鼻水やらを垂れ流して震える男は、もはや視点すら定まっていなかった。

「随分と勝手な解釈をなさる。……しかし、ならば私も見習いましょう」

その距離は、歩幅にしてあと五歩分。

「今から、私は貴方を救って差し上げますよ。ナマエの受けた痛みを、苦しみを、貴方にも体感して頂きましょう。最後に貴方は、育てた少女の痛みを理解して死ぬことが出来るのです。これ以上ないほどの救いではありませんか?」

残り、三歩。

「さあ、感じて下さい。そうですね、まずは右目から抉り出しましょうか」

残り、一歩。
頭上に、ダモクレスの剣が浮かんでいた。



この時宗像の内で爆発したのは、激情と呼ぶに相応しい殺意だった。

この男が、ナマエを苦しめた。
殴り、傷付け、水に沈め、火傷を負わせた。
何年にも渡って監禁し、人権を奪い、ナマエの人生を破壊した。
その犯人を、見つけたのだ。

この手で嬲り殺してやりたい。

ナマエと共に暮らすようになり、ナマエの口から事情を聞いたあの日のことが蘇る。
一日たりとも、忘れたことなどなかった。
それでも、ナマエに当時を思い出させ、施設を探し出すことよりも、ナマエの平穏の方が大切だった。
だから宗像は、ずっと何も言わなかった。

だが、見つけたのだ。
ナマエを苦しめた場所を、ナマエを痛めつけた人間を。
大義などいらない。
サーベルも、王の力も必要ない。
この手で直接、惨殺してやれる。


醜い男を見下ろして、宗像は嗤った。





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