[6]聞かせてほしい我儘ナマエは、戸惑っていた。
それは、周防とアンナを見送った直後からだ。
ナマエの右手はなぜか、ずっと宗像にきつく握り締められている。
手を繋ぐという行為が新鮮なわけでも、ましてや不快なわけでもない。
視覚障害に陥っていた頃、ナマエはよく宗像に手を引かれて歩いた。
しかし視力が回復してからは、こうして手を繋いで歩くなんてことはあまりなかった。
今日も、書店に入るまでは手を繋ぐことなく、ただ隣に並んで歩いていただけだったのに。
なぜか今、書店を後にしてケーキ屋へと向かう道すがら、宗像はナマエの手を握り締めて離そうとしない。
別に手を繋ぐことが嫌いなわけではないが、万が一突発的に何か起こった際、片手が塞がっているというのはあまり好ましい状態ではない。
宗像もそれを分かっていて、だからこそナマエの戦闘時は利き手となる左手はせめて拘束しないのだろう。
隣を歩く宗像を見上げると、何とも言えない表情をしていた。
それは、嬉しそうにも楽しそうにも、寂しそうにも見えて、ナマエは理解に苦しむ。
怒っている、という様子ではない。
歩調も緩やかで、急いているわけでもなさそうだ。
ただ、何も言わず、ナマエの手を握り締めている。
「………礼司、さん……?」
ついにナマエは自分で考えることを放棄し、どうかしましたか、という意味を込めて宗像を呼んだ。
「何ですか?」
視線を前方からナマエへと移した宗像の声音は常と変わらない。
見下ろしてくる視線は優しく、浮かべられた笑みもいつも通り。
それなのに、なぜ違和感を覚えるのだろう。
「……どうか、したんですか、」
そう言って、ナマエは視線を繋がれた二人の手に向けた。
問いの意味を察した宗像は、ふっ、と小さく吐息を漏らす。
宗像の手の中にすっぽりと収まってしまう小さな手を握り直し、宗像は言葉を選んだ。
「……デートを、しましょうか」
「…………は、あ?」
あまり聞き慣れない単語。
だが先ほども聞いた気がして記憶を少し巻き戻せば、それはアンナが口にした言葉で。
「……私も、デートしてるって言った方が、良かったんですか」
周防は随分と嫌そうな顔をしていたけれど、宗像はそれを望んでいたのだろうか。
そう言って宗像を見上げれば、紫紺の瞳がきょとんと丸くなり、そして一気に破顔した。
「今度からは、是非そうしてほしいですね」
「……はあ、まあ、いいですけど」
ナマエが曖昧に頷けば、宗像がくすくすと笑う。
何がそんなに嬉しいのか理解出来ず、ナマエは首を傾げた。
「……もう何回もしてるのに、そんなこと、今更デートとか、気にするんですか」
ナマエに自覚はなかったが、間違いなくこれが問題発言だった。
「っ、ナマエ!」
宗像がいきなり手を離し、喜色満面にナマエを見下ろしてその身体を引き寄せる。
往来のど真ん中で突然抱き締められ、ナマエは慌てて抵抗した。
「ちょっ、れーしさ、何してっ」
しかし、ぎゅうぎゅうと抱き締めてくる腕力に敵うはずもなく、されるがまま。
ナマエは宗像の胸板に顔を押し付けられ、もごもごと喚いた。
「そうですか。君はいつもデートだと思ってくれていたんですね!」
「……は、あ………ちょ、苦しいですって」
ぐりぐりと鼻を頭頂部に擦り付けられ、ナマエは宗像の背を叩く。
しかし、解放の要求は聞き入れられることなく受け流された。
暴れる身体を抱き締めて幸せに浸る宗像は、ついぞ、二人の間にある誤解に気付くことはなかった。
宗像にとってのデートとは、男女間の色恋を滲ませたイベントだが、ナマエにとっては単純に、男と女が予定を合わせて出掛ければそれはデートだった。
知識は人一倍でも世俗にはとことん疎いナマエが、宗像の言葉の意味を取り違えただけのこと。
普段ならば、宗像もそれに気付けただろう。
しかし彼らしくないほどに舞い上がった宗像はそこに気付かず、二人の初デートはどこだっただの今度は泊まりでデートに行きたいだのと、顔の周りに花を咲かせて幸せそうに笑った。
結局、互いに誤解が生じていることにすら気付けないままその話は一旦の落ち着きをみせ、正確にはナマエが早くケーキが食べたいと強請って宗像を強制的にその場から動かし、ようやく目当てのケーキ屋に辿り着いた。
ショーウィンドウの中に並ぶ色とりどりのケーキに、ナマエの瞳が輝く様を、宗像は優しい心持ちで見つめる。
その表情こそほとんど変わらないものの、宗像にはナマエが今とても楽しいのだと理解出来た。
子どものようにどれにしようかな、と悩む姿はとても可愛く、そして愛おしい。
出来るならば普段の食事もこのくらい楽しそうに吟味してもらいたいものだが、贅沢は言えない。
スイーツに関心を持ってくれたというだけで、一先ず大きな一歩なのだろう。
ただでさえ華奢なのに、放っておけばすぐに食事を抜いてしまうのだから、宗像としては非常に心配だった。
「いくつでも、好きなものを選びなさい。半分ずつ食べれば、色々な種類が試せるでしょう?」
ナマエに甘い、という自覚はあった。
だが、それを自重しようとはこれっぽっちも思わなかった。
本来、親に、周囲の大人に甘やかされて然るべきだった、幼少期。
甘え、頼り、我儘を言い、そうして育つべきだったのに。
ナマエには与えられなかった時間、与えられなかった温もり。
手遅れかもしれない。
すでに、普通とは異なる環境下で人格は形成されてしまったかもしれない。
それでも宗像は、今からでも、たくさんの愛情を注ぎたかった。
甘やかして、寄り掛かる術を教えて、幸せを感じさせたかった。
「……ガトーショコラ、と、……ミルフィーユ。……礼司さんは、なに、がいい?」
「あと二つ、君の好きなものを」
宗像の願いを、思惑を知らないナマエは、いつだって遠慮の塊だ。
いや、自己犠牲と称してしまった方が相応しいのかもしれない。
ナマエはいつも、宗像を相手にする時でさえ、自身の価値を認めない。
それが、宗像にはひどくもどかしい。
「…………じゃあ、抹茶のシフォンケーキと………」
そうやって、宗像の好きなものを選んでくる。
そのことが、嬉しくて、そして寂しい。
「ショートケーキを」
「……え?」
「半分、食べてくれますよね?」
だから、ナマエの好きなものを選ぶ。
宗像を振り返り、嬉しそうに目を細めたナマエの頭を、宗像は優しく撫でた。
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