呼ぶ名はただひとつ[2]
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宗像の制服の内側で、タンマツが着信音を発した。
その長さは一秒にも満たず、宗像が胸元に手を差し入れると同時に切れた。
時刻は夜の七時を少し回ったところ。
発信者が誰かなど、確認するまでもなかった。
それでもタンマツを取り出し、着信履歴に目をやる。
案の定そこには、宗像が予想した通りの名前があった。
無言の用件はただ一つ。
今夜、行ってきます、だ。

宗像はタンマツをケースに仕舞い、再び制服の内側に収めた。
今夜はもう、書類仕事もジグソーパズルも点茶も、何も手につかないと分かっていた。

宗像の脳裏に、淫らな映像が勝手に流れ出す。
制服を脱いだミョウジが艶やかな表情で男を誘い、媚を売り、男の欲望を口に含み、そしてそれに貫かれる。
幾度もミョウジ本人の口から聞いた行為の全貌が、宗像の思考を満たしていく。
身体が干上がったかのように喉が渇いていた。
どのような声で、男を呼ぶのか。
どのような目で、男を見るのか。
白濁に汚れ、あの白い頬を恥辱に染め、ミョウジは啼き乱れるのだろう。
そう分かっていても、宗像は為す術なくここで帰りを待つことしか出来ない。
乱れた肢体を制服の下に隠し、戻ってくるミョウジを待つことしか、出来ない。

「………くそ、」

宗像は、デスクに広げていた半分ほど完成しているジグソーパズルを腕で薙ぎ払った。
ピースが宙を舞い、全て絨毯の上に落ちる。
赤い絨毯の上に点々と散った白いピースが、まるで知らない男の欲望のように見えて、宗像の苛立ちは一層増した。


この時の、夜は長い。

宗像はまんじりともせず、目の前の扉が開く瞬間を待つ。
強く握り締めた手は血の気を失い、噛み締めた唇からは血が滲んだ。
時計の針は遅々として進まず、宗像の焦燥感を煽る。
今頃、ミョウジは。
想像の中で犯され続ける姿が、宗像の精神を蝕んでいく。

今夜は、誰を相手にしているのか。
何人と、どこで、どのような格好で。
何をし、何をされているのか。
考えただけで思考が灼き切れそうだというのに、宗像の脳裏にはミョウジの淫らな姿だけが浮かぶ。

「………ミョウジ君……」

ああ、最低だ、と。
宗像は、己の下肢の状態を自覚して自己嫌悪する。
結局、どこぞの誰かと宗像との間に、違いはないのだ。
それが分かっているから、宗像はたったの一言が言えないでいる。

もう、やめてほしい、と。

その夜、ミョウジが宗像の執務室に帰って来ることはなかった。



「淡島君。申し訳ありませんが、今日は所用が出来たため執務室を空けます。何かあればタンマツを鳴らして下さい」

朝、出勤してきた淡島にそう言い残し、宗像は屯所を後にした。
背後から訝しむように室長、と呼び掛けられたが、振り返る余裕などなかった。
これまでに何度も、ミョウジは情報収集のために夜間の外出をした。
しかし、朝になっても帰って来なかったのは初めてだった。
宗像は隊員寮に忍び込み、マスターキーでミョウジの部屋を開ける。
だがそこにミョウジの姿はなかった。
次いで宗像が向かったのは、椿門から程近いミョウジの別宅だ。
そこは、ミョウジが情報収集と称した外出をするようになってから、隊員の目を晦ますために宗像がミョウジに与えた部屋だった。
非常時用の合鍵を用い、ドアを開ける。
しかしそこにもミョウジはおらず、また帰宅した形跡もなかった。
クローゼットに、制服が吊るされている。
恐らくそれは、ミョウジが昨夜脱いだものだろう。
ここで私服に着替え、変装し、ミョウジは夜の街へと出て行ったのだ。

宗像は途方に暮れた。
ミョウジは情報収集の際、タンマツを所持していない。
身元が割れるものなど、持ち歩くはずがない。
従って、GPSで居場所を追跡するという手段を用いることが出来ない。
ミョウジは今どこに、どのような状態でいるのか。
宗像には何の手掛かりもなかった。
だが、分からないからといって立ち止まっていることなど出来るはずもない。
宗像は外に出、一番可能性の高い鎮目町に向かった。


後悔、というのは文字通り、手遅れなのだ。

こんなことならば、もっと早く、やめさせておけばよかった。
いや、根本的に、最初からこのような方法を許してはいけなかったのだ。
裏社会の情報を得るためには、裏社会に飛び込む必要がある。
そこには常に、危険が溢れている。
性交だけならばまだまし、とは言いたくない。
だが今、それよりも酷いことになっている可能性を考えなくてはならない。
相手に連れ去られたのか、気絶するような暴行を受けたのか、薬の類いを強要されたのか、それとも。
最悪の事態までもが、宗像の脳裏を過る。

過信していた。
ミョウジがいつも、容易いことだとばかりに必要なものを手に入れ、平然と帰ってくるから。
そして、盲目になっていた。
ミョウジへの感情、下らない独占欲や嫉妬心に邪魔をされ、本質を見失っていた。

ミョウジは、身体を張っていたのではない。
命を懸けていたのだ。

今更にそれを痛感しても、後の祭り。
ミョウジはいなくなってしまった。
そして宗像は、どこを探せばいいのか皆目見当もつかない。
それでも、街の特質を考え、鎮目町に当たりをつけた。
闇雲に探しても埒があかないと分かっていて、それでも走る足を止められない。
狭く薄暗いゴミ溜めのような路地を駆け、感覚を研ぎ澄まして青を探す。
微かにでもいい。
その力を感じさせてくれれば、宗像は見つけることが出来る。

「ナマエ……!」

知らず、唇から零れた名前。
そう、ずっと、そう呼びたかった。
宗像が欲しかったのは、情報でも何でもない。
ミョウジナマエという一人の人間が、欲しかったのだ。
王という立場、上司という枷、年上のプライド。
そんなもの全て投げ捨てて、伝えていればよかった。

「どこにいるんですか……っ、ナマエ……!」

蟀谷から滲んだ汗が、宗像の頬を伝い落ちた。





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