さよなら哀しい恋[3]「お見合い?!」
休日の午後。
同僚である千に誘われて入ったカフェで、お見合いをすることになったと話すと、千は驚いたように目を見開いた。
「そう、なんか断れなくって、」
そう言って苦笑すれば、千の目が気遣わしげに細まる。
その意味なんて、聞くまでもなかった。
「………本当に、いいの……?」
小さな問いかけ。
私は黙って目を伏せた。
「待てよ、別れるってどういうことだ!?」
あの日、過呼吸で倒れた私は土方さんに助けられた。
朝になり、話を聞きつけた左之さんは病院に駆け付けてくれた。
でもその隣には、千鶴ちゃんの姿があった。
心配しました、と。
彼女はそう言って、本当に心配そうな顔をした。
もう、耐えられないと思った。
入院するようなことでもないので、その日のうちに家に帰れることになった。
左之さんが車で送ってくれた、自宅マンションの前。
二人きりの車内で私が切り出した言葉に、左之さんは意味が分からない、という顔をした。
「千鶴ちゃんと浮気、してるんですよね?」
「はあ?!そんなことするわけがねえだろ?!」
左之さんは、否定した。
確かに、二人で飲みに行ったことはある。
だがそれはあくまで仕事上の付き合いであって、決して他意などなかった、と。
そう、言ってくれたけれど。
私にはもう、どちらでもよかった。
「もう、疲れちゃったんです。だからもう、別れて下さい」
気怠い身体、靄のかかった思考。
その時は全てがどうでも良くて、何もかも投げ出してしまいたかった。
その後私は、伊東さんに相談して勤務地を変えてもらった。
あれ以来、左之さんには会っていない。
だから、もう。
「……うん、もういいの、」
弱かった。
信じることが出来ず、ちゃんと話し合うことも出来ず。
未熟な恋だった。
左之さんと千鶴ちゃんがどうなったのか、私は知らない。
半年前のあの日、絞り出すような声で分かった、と言った左之さんとは、連絡も取っていない。
「ナマエがそれでいいなら、いいんだけど……」
気持ちはまだ、残っている。
嫌いになって別れたわけじゃない。
ただ、疲れてしまった。
向けられる敵意、抱え込んだ不安。
そして、自ら手放してしまった。
もう、元には戻らない。
仕事終わりの午後10時。
ホテルを出れば、吐く息は白くなってから夜の空気に溶けていった。
夜道に響く、ヒールの音。
冷たい風が頬に刺さり、思わずマフラーに顔を埋めたその時。
「ナマエ」
聞き慣れた、それでいて懐かしい声が私の名前を呼んだ。
竦んだ足で立ち止まる。
ゆっくりと振り返ればそこには、スーツ姿の左之さんが立っていた。
「久しぶり、だな」
半年ぶりに見る姿、聞く声。
それは甘く痛く、落ち着きを失くした心臓を貫いた。
「久しぶり、ですね」
何を言えばいいのか分からなくて、馬鹿みたいに同じ言葉を返す。
そんな私を見て、左之さんは少しだけ笑った。
「いま帰りか?」
「はい、そうです、けど」
自然なようで、不自然な会話。
歩道の真ん中に、ぽつりぽつりと言葉が落ちていく。
「少し、時間取れねえか」
仕事はどうだ、とか。
元気にしていたか、とか。
ぎこちなく交わされていた他愛のない話を、不意に断ち切るように。
左之さんはそう言って、真っ直ぐに私を見下ろした。
「え、でも……」
躊躇った。
琥珀色の瞳に、静かに燃え盛る炎を見た気がした。
それを、怖いと思った。
「勝手だな、悪い。……だが、ちっと聞いてくれねえか」
ここでいいから、と。
左之さんはそう言って、私との距離を一歩詰めた。
ノーとも、帰りますとも言えなくて、私はその顔を見上げることしか出来ない。
いつも力強く輝いていた琥珀色が、いまは揺らめいて見えた。
「…………あの時は、悪かった」
不意に切り出されたのは、謝罪の言葉で。
あの時、が半年前の出来事を指すのだということは分かった。
でも、謝ってもらう理由は理解出来なかった。
「お前を傷付けた。守ってやれなかった」
首を傾げた私に向けて、言葉が付け出される。
「………そんな俺が、もう一度、だなんて。そんなことを言う資格はねえと思った。だからずっと、連絡出来なかった」
何かに耐えるかのように、少し掠れた声で。
左之さんはそう言って、私の目を覗き込んだ。
「見合い、するんだってな、」
落とされた言葉に息を呑む。
どうしてそれを、と。
音にならなかった問いに気付いたらしい左之さんが、少しだけ目尻を下げた。
「お前のとこのスタッフ……鈴鹿、だったか。連絡があった」
思い出す。
本当にいいの、と聞いてきた友人の顔。
「………お前が、その男がいいって言うなら、俺に止める資格はねえ。許してくれとも、もう一度とも、言う資格はねえんだ」
だが、と。
左之さんはゆっくり、私の頬に手を伸ばした。
外は寒くて、私の頬も手も冷えきっているのに。
左之さんの手はこんな時でも、やはり温かかった。
「俺は今でも、お前が好きだ」
真っ直ぐに交わる視線。
頬からじわりと温もりが広がるように、染み込む言葉。
「お前はもう、俺が嫌いか?」
卑怯だと思った。
そんな聞き方をされたら、答えは一つしかないというのに。
「……嫌いじゃ、ない……っ」
マフラーの中で小さく吐き出した言葉は、違うことなく拾われて。
左之さんは、嬉しそうに口元を緩めた。
頬にあった手が背中に回り、力強く抱き寄せられる。
スーツの胸元に顔を埋めれば、懐かしい左之さんの匂いが肺を満たした。
「………結婚するか、ナマエ」
遠回りをしたけれど。
まだ、不安なことも聞きたいこともあるけれど。
でも、もう一度一緒に頑張れるかもしれない、と。
心の中でそう呟いた私の頭上から、唐突に降ってきた言葉。
「………え?!」
何の冗談かと思わず顔を上げれば、そこには予想もしていなかったほどに真剣な表情をした左之さんがいて。
「今度付き合うなら結婚しかねえだろ?………もう、お前を離さねえ」
その言葉の最後は、温もりと一緒に溶けていった。
さよなら哀しい恋- おかえり優しい愛 -
あとがき
のんさんへ
まずは謝罪から……大変お待たせ致しました!!
のんさんに頂いたリクエストに、出来るだけ忠実に沿えるよう頑張ったつもりなのですが、いかがでしたでしょうか。
といっても、私は頂いたプロットに対し、蛇足にならないよう気をつけながら少し言葉を足しただけなのですが……(>_<) 綿密なリクエストをありがとうございました。
土方斎藤原田、誰でも可とのことで、頂いたプロットをじっくり読ませて頂いた結果、左之さんになりました。そして何より、のんさんにプレゼントするならやはり左之さんかな、と。友情出演の方々は、私が勝手に決めてしまいましたが(笑)。
設定、本当は普通のオフィスパロにしたかったのですが、ご存知の通りホテルしか経験がないため、どういう業種だったら「アルバイトの女の子」が登場するのかイマイチ分からず。結局拙宅定番のホテルパロにしてしまいました、ごめんなさい!!
本当はもっと膨らませたい部分がたくさんあったのですが、それをするととても短編には収まりきらなくて、こんな感じになってしまいました。
……ああもう、言い訳ばかりですね。ごめんなさい(>_<)
人生初のリクエストだったとのことで、本当にありがとうございました。お気に召して頂ければ幸いですが、もちろん書き直しも承ります。何か「そこはそうじゃないんだ!!」という点がございましたら、遠慮なくお申し付け下さいませ。
それでは、これからもよろしくお願いします(^^)prev|
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