さよなら哀しい恋[1]
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とりあえず会ってみるだけでもいいから、ね?

そんな言葉と一緒に差し出されたのは、所謂お見合い写真というもので。
そのまま突き返すことも出来たけれど、私は溜息を吐きながら仰々しい表紙を捲った。
そこに写っていたのは、一人の男性。
恐らくは、三十代半ばだろうか。
黒髪短髪、眼鏡を掛けていて、頬や顎の辺りが少しふっくらとしている。
決して格好良くはなかったが、優しそうな顔立ちだった。

「お父さんがお世話になっている会社の社長の息子さんなの。良さそうな人でしょ?」

写真から顔を上げれば、お母さんは期待のこもった眼差しで私を見ていた。
うん、まあ、と言葉を濁す。

「あちらもね、あんたの写真送ったら会いたいって言ってくれてるのよ」

どうやら私の知らないところで、話はとっくに進められていたらしい。
積極的な気持ちもなければ、断る明確な理由もない。

「今月末の土曜日だからね。忘れないでよ」

結局強引に押し切られ、私は曖昧に頷いた。

もう一度、手元の写真に目を落とす。
眼鏡の奥、細い瞳が私を見上げていた。


ちっとも、似ていなかった。
きっと今でも大好きな、あの人に。





「好きだぜ、ナマエ」


その言葉を信じきれなくなったのは、いつからだっただろう。


大学を卒業したあと就職した、全国にチェーン展開するビジネスホテルで、左之さんに出会った。
彼は私の新人研修を担当してくれた先輩だった。
気さくで、明るく、優しい太陽みたいな人だった。
仕事が出来て、格好良くて、人望も厚い。
当然そんな左之さんは女性スタッフから人気が高くて、とても私なんかが釣り合うような人ではない、と思っていたのだけれど。
入社からおよそ一年後、左之さんはなぜか私を好きだと言ってくれた。
驚いて、でもそれ以上に嬉しくて。
思わず泣いてしまった私の目尻を苦笑しながら拭ってくれたあの温かい指の感触を、私は今でも覚えている。


幸せだった。

左之さんは優しくて、私のことをとても大切にしてくれた。
仕事中、バックヤードでこっそりと交わすアイコンタクト。
お疲れさん、と労ってくれる大きな手。
時々、私なんかで良かったのかな、なんて不安になることもあったけれど。
その度に左之さんは、私の憂慮を吹き飛ばしてくれた。

そんな幸せな日々が、ずっと続くのだと。
そう信じていた私を揺るがしたのは。


「そういえば、昨日原田と飲みに行ってよお。あいつもそろそろいい年なのに彼女の一人も作らねえから、雪村はどうだって勧めてみたんだが」

それは、とある日の午後。
バックヤードの休憩室で一緒に昼ごはんを食べていた先輩の不知火さんから聞かされた話に、私は言葉を失くした。

「え………?」

雪村千鶴ちゃん。
去年の春にアルバイトとして入社してきた、新人スタッフ。
入社以降、手当たり次第と言わんばかりの勢いで色々な男性スタッフにアタックをしているらしい、というのは女性スタッフの間では有名な話だった。

「あいつも満更じゃなさそうだったし、あの二人もしかしたら上手くいくんじゃねえか?」

上手くいったら原田に酒を奢らせねえとな、なんて言って笑う不知火さんに、私は曖昧に笑い返す。
でも、自分の顔が引きつっているのは良く分かっていた。
左之さんの恋人は、私です。
喉まで出かかったその言葉を、私はお茶と一緒に飲み込んだ。

ホテルとして、社内恋愛が禁止されているわけではなかった。
でも、上司の伊東さんは風紀や節度に厳しい人で、付き合っていることが知られたらきっと、チェーン内の別のホテルに異動になってしまう。
だから私たちは、交際していることを誰にも告げていなかった。



「千鶴?…ああ、こないだ不知火がなんか言ってたな」

何だ、気にしてんのか、と。
左之さんは苦笑した。
その表情に嘘偽りは見当たらなかった。

「大丈夫だ。俺にはお前だけだって知ってんだろ?」

いつものように笑って、私を撫でてくれる大きな手。
素直に頷けば、左之さんはいい子だ、と私を揶揄った。

その時は、信じていた。
左之さんと千鶴ちゃんの間には何もない。
左之さんは、私のことだけを好きでいてくれる、と。
そう、信じていたのだけれど。





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