[10]いつも傍にある色
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翌朝、朝餉の時間だと言われ梅乃に連れられてやって来た広間で一人ぽつんと座っていると、音もなく障子戸が開き千景様が入ってきた。
千景様は私の姿を認めると微かに目を細め、後ろ手に戸を閉めた。

「あ……、おはようございます」

不意打ちのような対面に、慌てて頭を下げる。
千景様は薄く笑い、私の正面に腰を下ろした。

「眠れたか」
「はい、ゆっくりさせて頂きました」

本当は、朝早くに目が覚めてしまった。
隣に温もりがないことが妙に寒々しくて、もう一度眠る気にはなれなかった。

「そうか」

でも、千景様が安堵したように口元を緩めたから。
私は余計なことは言わずに口を噤んだ。
千景様は、と問い返そうかとも思ったけれど、それは聞くだけ無駄なような気がした。
頭領として、久しぶりの帰還だ。
きっとやることが山積みで、のんびりと寝る暇なんてなかったのだろう。

「失礼致します」

その時障子の向こうから声が掛かり、膳を抱えた女中が入って来た。
手際良く、千景様と私の前に膳が並べられる。
湯気の立ち上る味噌汁と煮魚からは、食欲を唆る匂いがした。

「ありがとう」

女中から、白米をよそった碗を受け取った。
口をついて出た言葉は無意識だった。
しまった、と思ったのは、女中が杓文字を取り落とさんばかりに驚いて私を見上げてからだった。
本来、立場のある者は下働きに対して気安く感謝の言葉を口にしないものだ。
特にここは風間の屋敷である。
千景様がそう易々と礼を言うとは思えない。
それに慣れた彼女にとっては、あまりに意外な言葉だったのだろう。

「滅相もございません!」

盛大に慌てた様子で首を振られ、私の方が余程対応に窮した。

幼い頃は確かに、女中が自分の世話をしてくれることは当たり前だった。
しかし里が滅びてから、あまりに長い時間を一人で生きてしまった。
その間に庶民的な感覚がすっかり染み付き、ミョウジ家の鬼だという自覚は消え失せた。
姫様の屋敷では客人として扱われていたから、私の言動が影響することはなかったけれど、ここではそうもいかない。
私のやることなすこと全てが、頭領の正妻という肩書きと共に広く知れ渡ってしまう。

私はちらりと千景様の顔を窺った。
私の失態に対し、千景様は何を思ったのか。
そこには見慣れた無表情だけがあり、その内心を推し量ることは出来なかった。

そのまま、言葉少なに朝餉を平らげた。
食後は女中がお茶を淹れてくれた。
今度は、危うく口をついて出るところだった礼の言葉を何とか飲み込むことが出来た。
それでもさも当然とばかりに湯呑みを受け取ることは出来ず、顔が勝手に微笑んだ。

口に含んだお茶は、いつもよりも少し濃かった。
もうこれからは、私が千景様にお茶を淹れることはないのだろう。
そう思うと、胸に微かな寂しさが広がった。


「今宵、お前を屋敷の者や家臣に紹介する」

湯呑みの中のお茶がなくなる頃、不意に千景様がそう言って私を見た。
それは予想していた言葉だったので、私は一つ頷いた。

「支度は梅乃に任せてある。お前は部屋で待っていろ」
「はい、分かりました」

千景様は私の返事を聞くと立ち上がり、部屋から出て行った。
今日も職務があるのだろう。
私は湯呑みに残った最後の一口を流し込むと、女中に会釈をしてから部屋を後にした。


梅乃が私の部屋を訪ねてきたのは、昼八ツを回った頃だった。
数人の女中を連れてやって来た梅乃は、早速とばかりに新しい着物や化粧の道具を広げ始める。
私は言われるがままされるがまま、着せ替え人形のように黙っていた。
祝言ではなく顔合わせだというのに、随分と仰々しいものだ。

一通りの見繕いが済み、最後に髪が結い上げられた。
自分で出来る、なんて言っても意味がないのは分かっていたので、それもまた女中に任せた。
でも、一つだけ聞いてほしい要望があった。

「梅乃」
「はい、奥方様」

煌びやかな簪を挿そうとしている女中を制し、私は梅乃を呼びつけた。

「行李の中に私の簪があるのですが、それを挿しても大丈夫でしょうか」

そう訊ねると、梅乃は困惑した顔になった。
恐らく、この打掛に合わせた簪を挿した方が良いのだろう。
でも、次の一言で私の要望は即座に聞き届けられることとなった。

「千景様から頂いた物なのです」


真紅から茜色、緋色、鉛丹色、黄丹、萱草色、花葉色、そして金色へ。

今も忘れない。
これを千景様が私に手渡して下さった、あの時の感動を。
その色を見る度に、お前は俺を意識するのではないか、と。
そう言った、千景様の言葉を。

鏡の中、千景様の色が鮮やかに輝いた。
私はしっかりと顔を上げ、梅乃と共に部屋を後にした。




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