その愛に深く沈む何かに追い立てられるかのように、目が覚めた。
霞んだ視界に飛び込んできたのは、何度見ても決して見慣れることのない整った寝顔。
その鼻から規則正しい寝息が漏れていることを確かめてから、そっと身体を捩ってサイドテーブルに手を伸ばした。
取り上げたスマホのサイドボタンを押せば、表示された時刻は午前6時5分。
私はほっと息を吐き出した。
テーブルにスマホを戻し、仰向けになって天井を見つめる。
頭の中に、今日の計画を思い浮かべた。
千景さんに、25日の夜は空いているかと訊ねたのは、今月の頭だった。
「25日?」
千景さんは、訝しげにその日付を繰り返したあと。
「ああ、クリスマスとやらか」
そう言って鼻を鳴らした。
その反応はまあ予想通りだった。
千景さんはそういう、世俗的なイベント事には全く興味がない。
でも私としては、せっかくのクリスマスだしやっぱり一緒に過ごしたい。
平日だけど、仕事上がりに少し会うくらいは出来るのではないだろうか。
そう思ってのお誘いだったのだけれど。
「いいだろう、一日空けておこう」
千景さんの答えは、予想の斜め上を行った。
「え?!一日って、仕事は?」
「そのような雑事は何とでもなる」
それは、言葉だけ聞けばとても頼もしい回答だ。
でも嫌な予感がしてしまうのは、日頃のこの人の強引さを知っているからなのだろうか。
部下の天霧さんに及ぶ被害を思うと、素直に喜んで良いのか分からなくなってしまう。
そんな私の戸惑いを、一体どう勘違いしたのか。
「案ずるな。お前も休みになるよう手を回しておく」
千景さんはそう言い切って、勝手に25日の都合をつけてしまった。
こうなった千景さんは、もう何を言っても止められないと分かっているから。
私は抵抗を諦め、頷いたのだった。
そして迎えた、12月25日。
その経緯はどうであれ、二人とも休みになったのだ。
せっかくのクリスマスを楽しまない手はない。
このお詫びは後日、天霧さんには菓子折りを持って謝りに行こう。
私は今日、いつもとはひと味違うプランを用意していた。
普段私たちが一緒に出掛ける時、その主導権は必ず千景さんが握っている。
そのデートは、一言で言うと恐ろしくセレブリティだ。
傷ひとつない国産の高級車、食事は有名レストランのVIPルーム、ホテルに泊まる時はいつもスイート。
そして当然とばかりに、支払いは全てブラックカードだ。
それを嫌だと言うつもりは全く、これっぽっちもない。
むしろそこに文句をつけたりなんかしたら、罰当たりにも程がある。
でもたまには、普通のデートがしたい時だってあるのだ。
つまり、毎日ステーキだと胃もたれをするからたまにはお茶漬けを食べようとか、そういうことだ。
いや、あの贅沢な時間をステーキに例えるのは間違っているんだけれども。
とにかく今日は、いわゆる普通のデートをしようと思っている。
手始めに、私が朝食を作る。
そのために、昨夜は私の家に泊まってもらったのだ。
一緒にごはんを食べて、その後はお出掛け。
もちろん車ではなく、徒歩だ。
ウィンドウショッピングをして、疲れたらカフェで休憩をして。
夜はイルミネーションを見に行こう。
そんな、ありきたりで普通なデートも、たまにはいいと思う。
とりあえず、まずは朝食だ。
私は掛け布団を捲り、千景さんを起こさないようにそっと上体を起こした。
はずだったのだけれど。
突然強い力に引かれ、びっくりして思わず目を瞑った私の頭は再び枕に沈み込んでいた。
ゆっくりと目を開け、首を捻った視線の先。
「起きて、たんですか……?」
そこには、先ほどまで瞼の奥に隠れていたはずの深紅が私を見ていた。
「随分と大きな独り言だったな」
寝起き特有の掠れた声は、いつもよりも低く気怠げで。
その言葉に、私は頭の中で思い描いていたプランをそっくりそのまま口に出してしまっていたことを悟った。
急に恥ずかしさが込み上げ、慌てて身体を捻り俯せになろうとする。
それを遮ったのは千景さんの手だった。
私の肩を押さえ込んだ千景さんが身体を起こし、そのまま私の上に伸し掛かってくる。
あっという間に両手首を拘束され、私はシーツの上に縫い留められていた。
「あの……千景さん……?」
真上から私を見下ろしてくる千景さんの目が、愉しげに細められる。
この表情のあとは絶対に、私にとって都合の悪いことが起きるのだ。
でも、逃げ出そうという試みは全く通用せず、捕らわれた手首は一ミリも動かせなかった。
「さて。確か、今日は趣を変えたいと、そういうことだったな。そして手始めに、朝食はお前が用意する、と」
間違ってはいない。
大まかに言うと、そういうことではある。
「ならば俺から提案がある」
でも。
千景さんが提案、なんて謙虚に聞こえる単語を選ぶ時は大抵、碌なことがないのだ。
「朝食はこのまま、お前を堪能させろ」
ほら、ね。
どうせそんなことだと思ったよ。
「千景さん、待って。待って下さい本当に!」
私の目の前で千景さんが、口角を吊り上げる。
それは、スイッチが入ってしまった合図で。
このパターンの時の千景さんは、限界まで求めてくるのだ。
そんなことをされたら、次に目を覚ませば夜でした、なんてことになりかねない。
クリスマスを楽しむためには、これを全力で拒否しなければならないのだけれど。
「待たん」
私には、重ねられた唇の温もりに抵抗する術なんてなかった。
結局、千景さんにサプライズを仕掛けるなんて無謀でしかなかったということなのだろう。
案の定といえば案の定。
次に私が目を覚ました時、クリスマスはもう終わっていた。
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