きっと、君の傍にいる12月25日、午後21時40分。
料亭を出たところで肩の力を抜くように大きく息を吐き出せば、目の前が白く霞んだ。
商談は無事成立、今年一番と言っても過言じゃねえほど大きな受注を取り付けた。
電車で30分、会社に向かう。
デスクに戻る前に、喫煙所に立ち寄った。
スーツの内ポケットから煙草とライターを取り出す。
だが、ケースの中にお目当てのものは入ってなかった。
そういえば商談前に吸ったのが最後の一本だったかと、ビジネスバッグの中を漁る。
常に一箱ストックしているケースを引っ張り出して、違和感に気付いた。
新箱なのに、ビニールの封が破られているのだ。
どういうことかと訝しみながらもとりあえずケースを開けば、中にはいつも通り20本の煙草。
そして、何やら紙の端らしきものが顔を覗かせていた。
一先ず煙草に火をつけて煙を吸い込んでから、紙を引っ張る。
それは、二つ折りになった小さなメモだった。
「なんだこりゃ、」
身に覚えのないそれを不審に思いつつ開いてみる。
するとそこには、手書きの文字が並んでいた。
「"鞄の内ポケットを見て下さい"、だあ?」
訳が分からねえ。
だがとりあえず煙草を咥えたままもう一度バッグに手を突っ込み、指示通り内ポケットを調べた。
指先に感じたのは、ビニールの感触だ。
取り出してみればそれは、赤いリボンでラッピングされた小さな袋だった。
中を開けると、薄い一口サイズのチョコレートが二つと、再びメモが出てくる。
それを見て、この仕掛けが誰からのものかを理解した。
本来ならば今頃、一緒にいるはずだった。
クリスマスなんざ俺の柄じゃねえが、ナマエが喜ぶならば一緒にいたいと思っていた。
だが、急遽先方の都合で商談が今日に決まり、どうしても夜にしか時間が取れなかった。
生憎、クリスマスデートってやつはご破算になったわけだ。
一昨日の夜、残業を終えて家に来たナマエに謝った。
ナマエは、仕事なら仕方ないと笑ってくれた。
その時点で、今年のクリスマスに関する云々は終わっていたはずなんだが。
どうやらナマエは俺に黙って、ちょっとしたプレゼントを用意してくれたらしい。
口に放り込んだチョコレートは甘さが控えめで、俺好みだった。
吸い終わった煙草を消し、袋の中に入っていたメモを開いた。
「次は"デスクの一番下の引出しの中を見て下さい"か。おいおい、どうやって仕込んだんだ。昼休憩の時か?」
手の込みように苦笑しつつ、喫煙所を出た。
オフィスにはもう誰も残っていない。
俺はデスクにバッグを置いて、メモの通りに引出しの一番下をスライドさせた。
そこにはiPodが入っていた。
これを聴け、ということだろう。
本体に挿しっぱなしのイヤホンを両耳に嵌めて電源を入れると、ボイスメモのタイトルが一件表示された。
それを再生してみる。
『トシさん、遅くまでお仕事お疲れ様。見つけてくれたかな。って、見つけたから聴いてくれてるんだよね。………えーっと、クリスマスってことで、ちょっとプレゼントを色々用意してみました!次はね、帰る前に防災センターの井上さんのところに寄って下さい。……それからね……その………トシさん、大好き、です!』
そこで、ボイスメモは終わっていた。
きっと自分で言って恥ずかしくなったのだろう。
最後に照れ隠しのような笑い声が入っていた。
「………ったく、直接言えってんだ馬鹿野郎」
耳からイヤホンを外し、悪態をついてみる。
だが、頬の弛みを誤魔化すことなど出来やしなかった。
本当は少し仕事を片付けてから帰るつもりだったが、予定は変更だ。
源さんのところに何があるのかは知らねえが、気になってしょうがねえ。
iPodをバッグに仕舞い込み、オフィスを後にした。
「おお、トシさん!待っていたよ」
防災センターに立ち寄れば、源さんが俺を見て椅子から立ち上がった。
そこまでは普段と何も変わらねえが、今夜は悪戯っぽい笑みが追加されているように見えるのは多分、気のせいなんかじゃねえんだろう。
少し気恥ずかしく思いながらも近寄れば、手提げの紙袋を差し出された。
「ミョウジ君から預かっているよ」
「ああ、すまねえな」
バッグを置き、紙袋を覗き込む。
中の包みを取り出せば、何か柔らかいものが入ってるみてえだった。
次は何を用意してくれたのか、包装紙を開けてみる。
出てきたのは、深い紫色と灰色のストライプが入った黒のマフラーだった。
「素敵なプレゼントじゃないか」
見ていた源さんが、感動したように声を掛けてくる。
手触りを確かめながら、ああ、と答えた。
それ以外、何も言えなかった。
以前使っていたマフラーを失くして以来、ずっと欲しいと思っていた。
だがなかなか買いに行く暇がなく、結局いつもマフラーをせず通勤していた。
ナマエはそれを覚えていたのだろう。
早速首に巻いてみれば、源さんが嬉しそうに笑った。
「粋なことをしてくれる子だね」
「ああ、全くだ」
苦笑しつつもう一度紙袋の中を見れば、案の定そこには手紙が入っていた。
「今度は……"12-25のナンバープレートがついたタクシーに乗って下さい"……っておい、どういうこったこりゃ」
これまでで最も不可解な指示だ。
いや、指示の意味は理解出来る。
だが、一体どんな手を使ってタクシーまで用意したのか。
いよいよ規模の大きくなってきた仕掛けに戸惑いつつも、源さんに礼を言ってビルを後にした。
しかし俺の戸惑いを他所に、ビルの前の車道には一台の個人タクシーが停車していた。
念のため前に回り込んでナンバープレートを確認すれば、12-25だ。
フロントガラス越しに運転席を見てみれば、若い男が目を閉じてシートに身体を預けていた。
これに乗れ、ということだろう。
助手席側からパワーウィンドウをノックすると、ドライバーの男が目を開ける。
男は俺の姿を確認するように目を細めた後、後部座席のドアを開けた。
「遅いんですけど、お客さん」
そして俺が乗り込むなり、飛んできた第一声がそれだ。
「はあ?遅いも何も、」
「僕、危うく帰っちゃうところでしたよ」
俺の反論なんざ聞く気がねえのか、男は人を小馬鹿にしたような口調でそう言い、わざとらしく大欠伸をした。
「まあいいですけどね。はい、じゃあ行きますよ」
そして、俺が行き先も何も告げてねえというのに、突然車が走り出す。
「おいあんた、一体どこに連れて行く気だ?そもそもこれはどういうこった!」
「ああもう、うるさいなあ。少し黙ってて下さいよお客さん」
ナマエの指示なのだから、問題はねえんだろう。
だがそれにしても、説明が全くないたあどういうこった。
そんな俺の尤もな疑問を面倒臭そうに一刀両断した男は、そのまま車を走らせた。
腹の立つ男だ。
バックミラー越しに運転席を見れば、男は茶髪に緑色の目をしていた。
何を言っても無駄だと確信した俺は、とりあえず黙ったまま大人しく座っていた。
車が向かう先は明らかに俺の家の方向じゃなかったが、しばらくは様子を見ることにした。
途中、赤信号で車が止まった時、突然男が振り返った。
「はい、これ」
そう言って差し出されたのは、小さな箱だった。
「何だ?」
「開けてみれば分かりますよ」
その台詞に、これもナマエからのプレゼントなのだと気付いた。
再び走り出した車の中、箱に掛かったリボンを解いて蓋を開ける。
するとそこには、鍵が入っていた。
見たところ、どこかの家の鍵だろうか。
何か説明はないのかと、箱をひっくり返したりリボンを確認してみる。
だが今回は、どこにもメモは入っていなかった。
「はい、着きましたよ」
一体何だと訝しんでいると、急に車が停車した。
窓から外を見てみるが、そこは全く見覚えのねえ場所だった。
戸惑っているうちに、男が後部座席のドアを開ける。
「おい、どこだここは」
ここで降りて、この後どうしろというのか。
「はいはい、いいから早く降りて下さいよ。僕は早く帰って寝たいんですから」
しかし男は何の説明もする気はねえらしく、俺を追い立てた。
渋々、バッグと鍵を持ってタクシーを降りる。
ドアが閉まる直前に、まるで今思い出したとばかりに男が声を上げた。
「あ、そうそう。伝言を忘れてました。505、だそうですよ」
目の前には、マンションがあった。
「………そういうことは早く言え!」
俺が怒鳴った頃にはもう、タクシーは走り去った後だった。
とんでもねえ男だ。
だが、ようやく意味が分かった。
つまりここはナマエの自宅マンションで、この鍵はその合鍵というわけだ。
「何なんだあいつは、」
俺は文句を吐きながら、マンションのエントランスに足を踏み入れた。
受け取った鍵でオートロックを解除し、エレベーターに乗り込む。
505号室の前まで来ると、確かに表札には"ミョウジ"と書いてあった。
付き合って半年。
いつも俺の家で会っていたから、ナマエの家に来たのは初めてだった。
鍵穴に鍵を差し込む。
柄にもなく、少し緊張した。
手首を捻れば、音を立てて鍵が外れた。
顔を見て、何と言おうか。
この仕掛けを用意するのは、大変だっただろう。
約束を反故にした俺を責めることもなく、文句を言うこともなく。
少しでもクリスマスを楽しめるようにと、俺のために用意してくれた。
チョコレートやマフラー。
もちろん、プレゼントも嬉しかった。
だが何よりも、その気持ちこそが愛しかった。
らしくねえのは分かってる。
だが、今夜くらいはちゃんと礼を言おう。
遅くなって悪かった、ありがとう、と。
そう決めて、ドアを引いた。
初めて入ったナマエの家。
玄関は暗かったが、奥から漏れている明かりのおかげで困ることはなかった。
「ナマエ?」
声を掛けてみるが、返事はない。
これも、サプライズの延長なんだろうか。
俺は靴を脱ぎ、明かりの見える方へと廊下を進んだ。
半開きになったドアを開けると、そこはリビングだった。
そしてそこには、ソファの上で丸くなって眠るナマエがいた。
「………ったくお前は……」
思わず、そう呟いた。
だが、心の内にじわりと温かいものが広がっていた。
一続きになったダイニングを見れば、テーブルの上には豪勢な料理とシャンパンのグラスが並んでいる。
きっと、仕事から帰って急いで用意したんだろう。
眠るナマエは、まだスーツを着たままだった。
俺はゆっくりとコートを脱ぎ、ナマエの上に広げた。
気持ち良さそうに眠る姿はあどけなく、見ているだけで満たされる思いがした。
フローリングの上に敷かれたラグに腰を下ろし、ナマエの耳元に顔を寄せる。
穏やかな寝息を聞きながら、俺はそっと囁いた。
「………ありがとよ、ナマエ」
きっと、君の傍にいる- やがてその目が俺を映すまで -prev|next