不器用に織りなす想い「じゃあな、俺は先に上がるぜ」
デスクの上をある程度片付けて立ち上がると、まだ書類と格闘を続けている新八が情けない声を上げた。
「おい左之!お前、俺を見捨てて帰るつもりか?!」
「真面目にやってなかったお前が悪いんだろうが」
何とかなるって、だとか何だとか言って先延ばしにするから後でツケを払うことになるんだと、一体何度経験すれば学習するのか。
生憎俺は、それに付き合ってやるほどの広い心を持ち合わせてはいない。
「さては女だな!左之!クリスマスは可愛い彼女と過ごしますってことなんだな?!」
今夜は、特に。
「そんなんじゃねえよ。……じゃあな、お疲れさん」
本当は、そのつもりだった。
今年のクリスマスは曜日の並びが悪く、生憎24日も25日も平日だ。
だが、何とか25日だけは都合をつけた。
定時で上がれば、ディナーくらいは連れて行ってやれると思っていた。
先週末、ナマエが家に泊まりに来た時に誘った。
日中はナマエも大学の予定があるかもしれないが、夜ならば当然空けてくれているだろうと。
そう、信じて疑わなかったんだが。
「ごめんなさい、左之助さん。その日はゼミのみんなと飲みに行くことになっていて……」
25の夜なら空いてるから、と言った俺に返されたのは、やんわりとしたお断りだったわけだ。
「そっか、だったら仕方ねえな。楽しんでこいよ」
平静を装ってそう答えたのは、年上の、そして男としてのプライドだった。
別に、大学の友人と飲みに行くなだなんて言うつもりはない。
大学三年生、何をするにも楽しい時期だ。
二十歳を過ぎ、世界もぐっと広がっただろう。
友人を、出会いを、大事にしてほしいとは思う。
思う、が。
クリスマスの夜という特別な時間に、俺よりも優先するものがあるという事実が、面白いはずはなかった。
俺自身は別に、大したこだわりがあるわけではない。
街を彩るイルミネーションやそこかしこで流れるクリスマスソングに良い雰囲気だな、と感じる程度で、プレゼントだ何だと浮かれるような年ではない。
だが、可愛い恋人がいるとなれば話は別だった。
特にナマエは、俺からしてみればまだ子どもなのだ。
きっと楽しみにしているだろうと、そう思っていた。
だが実際は、そんなことはなかったわけで。
まるで俺の方が年甲斐もなく期待していたかのような状況に、バツが悪いやら情けないやら。
その上に誘いを断られたショックも重なり、ここ数日俺の気分は低迷したままだった。
会社を出て、突き刺さるような寒さの中を帰路についた。
すれ違う幸せそうなカップルから、意識的に視線を外す。
街路樹を彩るイルミネーションも、駅前の広場で流れるクリスマスソングも。
今は鬱陶しくて仕方なかった。
あの時、言えば良かったのだろうか。
その日は俺といてほしい、と。
そう言えば、ナマエは頷いてくれたのだろうか。
優しくて、押しに弱いナマエのことだ。
友人との先約を断ってでも、俺の誘いに乗ってくれたのかもしれない。
「……そんなみっともねえ真似、出来るかってんだ」
普段、年の差をそんなに気にしているわけではない。
だがどこかで、常に大人の男でいなければならないと気を張っているのも事実だった。
餓鬼っぽい嫉妬心、みっともない独占欲。
そんな、余裕のなさを見せてはいけない気がしていた。
「その時点でもう餓鬼か、ってな、」
短い嘲笑と共に吐き捨てた言葉が、エレベーターの上昇音に紛れて消えていく。
途中で夕飯を調達する気にもなれず直帰したマンション。
溜息を吐きながらドアを開け、壁に手を這わせて探り当てた照明のスイッチを押す。
そして、固まった。
まず視界に飛び込んで来たのが、明らかに女物のショートブーツだったからだ。
見覚えのある、黒のそれは。
「ナマエ………?」
今頃友人と飲んでいるはずの恋人のもので。
俺は慌てて革靴を脱ぎ捨て、廊下を大股で突き抜けリビングのドアを開け放った。
そこは、今朝俺が出て行った時とは全く違う部屋になっていた。
あちこちに散らばっていたはずの洗濯物やら雑誌やらは全て片付けられ、代わりに飾られた小さなクリスマスツリー。
一続きになったダイニングを見れば、テーブルの上にはワイングラスが二脚並べてあった。
呆気に取られて立ち尽くしていると、不意にキッチンから聞こえてきた小さな悲鳴。
俺は我に返るとビジネスバッグを放り出し、慌ててキッチンに飛び込んだ。
「おい、どうした?!」
そこには当然、ナマエがいた。
「え?!左之助さん?!」
キッチンは、ハッキリ言うと凄まじい惨状を呈していた。
食器や調理器具の溢れ返ったシンク、床にまで飛び散ったソース、コンロの上には焦げた鍋。
なぜか、驚ききった表情で俺を見上げてくるナマエの頬にまでクリームらしきものがついていた。
思わず、吹き出した。
するとナマエは急に不貞腐れたように唇を尖らせ、顔を背けた。
全てが、分かってしまった。
「なんでこんなに早いんですか、もう」
本人は文句を言っているつもりなのだろう。
だが俺には、あまりにも可愛い台詞に聞こえてしまう。
「別に早くねえぜ?ほら、もう7時だ」
「え、うそ、もうそんな時間?」
腕時計を見せてやれば、ナマエは本当だ、と呟く。
作業に熱中していて気付かなかったのだろう。
「……サプライズ、のつもりだったのに、」
恨めしそうに、そう言って俺を睨み付けてくる。
だが、下から見上げられれば、それはただの上目遣いでしかないわけで。
「ナマエ、そんな顔しても可愛いだけだぜ?」
そう言って手を伸ばし、ナマエの頬についたクリームを指先で拭った。
そのまま口に含めば、しっとりとした甘み。
「ケーキか?」
ナマエは俺の質問に答えることなく、恥ずかしそうに俯いた。
急激に募った愛おしさを、俺は持て余す。
後ろ髪を乱暴に掻き混ぜてみたが、大した意味なんてなかった。
料理は苦手なくせに。
俺のために、何かしようと思ってくれたのだろう。
きっと、友人と飲みに行く予定というのも嘘だった。
サプライズという言葉の通り、料理を作って部屋を飾って、俺を出迎えるつもりだったのだ。
「ナマエ、」
名前を呼ぶ。
だがナマエは顔を上げなかった。
途中でバレてしまった恥ずかしさや、申し訳なさを感じているのだろう。
つくづく、可愛い女だ。
「ナマエ、」
前屈みになり、ナマエの耳元に唇を寄せた。
呼気が掛かりそうなほど近くで、そっと言葉を選ぶ。
「顔、上げてくれ。そうじゃねえと、ケーキよりも先に食っちまうぞ」
きっとすぐに、ナマエは真っ赤になった顔を俺に見せてくれるだろう。
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