甘く蕩けて、その後は[1]
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「よう、お疲れさん」

そう言って片手を挙げた貴方を見て、少しだけ肩の力が抜けた気がした。



色々なことが上手くいかない日というのが、たまにあると思う。

朝、寝坊してしまったせいでメイクが適当で。
急いで出勤したら、バッグに付けていたお気に入りのストラップをどこかでなくしたことに気付いて。
私は悪くなかったのに、上司に散々怒られて。
挙げ句の果てに、後輩の尻拭いで残業までさせられた。

そんな今日は、色々なことが上手くいかない日、に当てはまると思う。
ただでさえ、一週間分の疲れが溜まった金曜日。
体力も気力も底をついて、口を開けば溜息ばかり。
それでも、駅の改札を抜けたところで見つけた姿に、思わず笑みが溢れた。


「大変だったな」

残業のせいで一時間も待たせてしまったのに、貴方は一言も私を責めることなく。
そう言って苦笑した。

「ごめんね、待たせちゃって」

見上げれば、ぽん、と頭の上に置かれた大きな手。
きっと、ずっとポケットの中に入れていたのだろう。
まさに男の人の手、という硬さなのに、温かくて。

「お前はやるべきことをやってきたんだろ?だったら謝るなよ」

一緒に降ってきた言葉が、じわりと心に沁みた。

別に、人に褒められたくて仕事をしているわけじゃない。
だけど。
私の言い分なんて、一言も聞いてくれなかった上司。
私に仕事を押し付けたことすら気付かないまま、定時で早々に帰った後輩。
誰に気付かれることもなく、誰に感謝されることもなく。
一人で終わらせた仕事。
社会人として、それはきっと当たり前なのだと思う。
理不尽だなんて、言い出せばキリがない。

でも、心のどこかで。
誰かに認めてほしかった。

「ほら、早く帰ろうぜ」

そう言って、大きな手を差し出してくれた貴方は。
きっと、お見通しだったんだと思う。

二人手を繋いで駅を後にした。
会社から駅まで一人で歩いた時はあんなに寒かったのに、今はこの寒さすら幸せな気がして。
それを理由に貴方の腕に擦り寄れば、もう片方の手が再び私の頭を撫でた。

「ちょっと寄り道していいか?」

他愛のない話の間に挟まった言葉に首を傾げれば、道沿いにある店を指差された。
何度か二人で行ったことのある、デリカテッセンの店だ。

「今から晩メシ作るの、しんどいだろ?今日は楽しようぜ」

見上げればそこには、悪戯を思い付いた子どもみたいな笑顔があった。
そうやって、私が申し訳なさを感じなくて済むように、さり気なく言葉を選んでくれる優しさ。
こくりと頷けば、貴方は笑って私の手を引いた。

「ちょっと待っててくれな」

店の前に着くなり、貴方は足早に店内へと入って行く。
私は言われた通りに店の前に佇み、ぼんやりと空を見上げた。
冬は、星空が綺麗だ。
あれがオリオン座で、隣が……なんて考えていると。

「ナマエ」

背後から、聞き慣れた声。
振り向けば、店のロゴが入った紙袋を手に提げた貴方がいた。

「あれ、もう買ったの?早くない?」

まだものの数分しか経っていないのに、と言えば、貴方は少し視線を泳がせて。

「待ってる間に、ちょっとな。先に注文しといたんだ。疲れてるお前に長い時間待たせるのはアレだろ?」

何となく気恥ずかしげに、そう言って頭を掻いた。
くしゃり、と乱れる赤い髪。

「……ありがとう、」

貴方だって、仕事だったのに。
疲れているのだって、お互い様なのに。
貴方はいつだって、私に優しすぎるんだ。





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