重ならないこの手[1]
bookmark


それは、いつのことだったろうか。
あんたが、北の空ばかり見ていることに気付いたのは。



「負傷者の詳細は以上です。それと、」

八畳程の部屋。
机を間に挟んでミョウジと対峙していた。
ミョウジは手元の紙を見ながら、俺に戦況の報告をする。
俺は黙ってそれを聞く。
その内容に違いはあれど、報告をする部下とそれを受ける上役というこの構図は、もう何年も繰り返されてきた。
京にいた頃からずっと、そしてこの会津の地でも。

「以上です」
「承知した、ご苦労だった」

女という身でありながら、これまで立派に俺の補佐役を務めてきた。
確かに、腕力では男に敵わないかもしれぬ。
だがミョウジは鍛錬を怠らなかった。
性別を言い訳にもしなかった。
技術を磨き、経験を重ね、他の隊士に引けを取らぬ実力を身につけた。
女ならではの感覚の鋭さや機転を備えたミョウジは、男所帯である新選組において貴重な存在だった。
無論、彼女はずっと男形をしていた。
彼女が女だと知る者は、局長、副長、そして一部の幹部隊士のみだった。

「今宵は冷えるな」
「そうですね、空気が澄んでいます。…お茶を淹れて参りましょうか?」
「ああ、そうだな。頼めるだろうか」

出会った当初は、どこかぎこちなかった。
俺は女が刀を握るということにどうしても納得し難いものを感じていたし、ミョウジはミョウジで、決して口が上手いとはいえぬ俺との意思疎通に戸惑い萎縮していたようだった。
それが、池田屋、禁門の変、二条城と続く事件の中、そして日々の隊務の中で、少しずつ形を変えた。
今では俺にとってミョウジは最も信頼の置ける部下であり、またミョウジも俺を深く慕ってくれているように思う。
一日の終わりに共に茶を飲んだり酒を酌み交わすことも、頻繁にあることだった。

「お待たせしました」
「ああ、すまぬ」

湯呑みを二つ乗せた盆を抱えて、ミョウジが部屋に戻って来た。
差し出された湯呑みを受け取り口を付ければ、丁度良い塩梅の熱さと濃さで、茶が舌の上を滑っていく。
ミョウジが俺の好みを把握したのは、いつのことだったろうか。
西本願寺に移る前にはもう、この茶の味に慣れ切っていた気がする。
故に、間者として一度新選組を離隊した時はこの茶が恋しくなったものだった。

土方さんの命令で伊東派に付く際、当然俺はミョウジにも事の真相を明かさなかった。
ミョウジは俺の離隊について何も問わず、後を頼むと言った俺に対し、承知致しました、と返しただけだった。
その目に、不信感や嫌悪感などなかった。
常のように澄んだ目で、一切の迷いもなく俺を送り出した。
その時のミョウジが事の真相を察していたのか否か、それは分からぬ。
だがそのような彼女だからこそ、俺は残していく隊を任せられると思った。
事実、後に総司や新八から聞いた話によると、ミョウジは彼らの手を借りながらも立派に三番組の組長補佐として俺の代理を務め、隊を纏め上げていたそうだ。
先頭に立って何かを命じることはせず、影ながら常に隊士を気に掛け支えていた、と。
そう聞いて、俺はひどく心を打たれたものだった。

「空気が澄んでいるせいでしょうか、星が明るいですね」
「そうだな。今宵は月が細い故、余計にそう感じるのかもしれぬ」

開け放たれた障子の向こうに見える夜空は、確かに数多くの星が瞬いていた。
俺の隣に座したミョウジが、真っ直ぐに星空を見上げている。
その視線の先に、何があるのか。

「……北の大星、ですね」

俺は、薄々気付き始めているのだ。






「恐らく土方さんは、北上するつもりだろう。だが俺は、このまま会津に残るつもりだ」

あの日、俺がそう告げた時のミョウジは、伊東派分離の一件の時と同じ目をしていた。
俺を非難することもなく、それに反対することもなく。

「承知致しました。では私も、ご一緒させて頂きます」

事も無げに、そう言った。
当然俺は反対した。
会津に勝機がないことは、充分承知していた。
勝てるか否か、重要なのはそこではなかった。
決して後へは退かぬと言った松平公に、新選組という組織の後ろ楯となってくれた会津に、ただ微衷を尽くすのみ。
この刀を懸けるに、この命を懸けるに、相応しかった。
だが、ミョウジを巻き込むつもりなどなかった。
今更彼女に、女として幸せに生きろなどとは言えぬ。
彼女もまた武士なのだ。
己の信ずるもののために、刀を振るう。
それを咎めるつもりなどなかった。
だが、敗戦の見えているこの地に留まることは許せなかった。
せめて、この後合流する予定の土方さんと共に仙台へと北上してくれれば、と願った。
その方が勝機もあり、生き残る可能性も高いだろう。
だがミョウジは、俺が何と言っても頑として頷かなかった。

「私は刀です。そして主は貴方なのです、斎藤組長」

そう言って、真っ直ぐに俺を見据えるばかりだった。

結局、折れたのは俺の方だった。
命の使い処を決して誤るな、と。
そう言って、共に在ることを許した。

その後、土方さんや平助と再会し、会津本陣から白河城奪還の出陣要請が来た時、案の定土方さんは仙台への北上を宣言した。
俺はそこで初めて、土方さんと道を違えた。
俺が会津に残ると告げた時、土方さんは意表を突かれた様子だった。
申し訳なさがなかったとは言えぬ。
だが、選ぶべくして選んだ道だった。
最終的に土方さんは苦笑し、俺の決意を受け止めてくれた。

驚いたのは、その後だった。
隣に立っていたミョウジが、俺と同様に会津に残ると言った時。
土方さんは、俺がそう告げた時よりも遥かに動揺した様子を見せた。
苦悶の表情を浮かべ、しばらくは一言も喋らなかった。
やがて「分かった」と絞り出された声は、俺の聞き間違いでなければ震えていたように思う。
二人が真っ直ぐに見つめ合う視線の中には、新選組の副長と一隊士という関係よりも深く大きなものが潜んでいるように見えた。
ミョウジを特別扱いはしない、と常に厳しく言っていた土方さんもまた、どこかで彼女を庇護してやりたいと思っていたのかもしれぬ、と。
その時はまだ、事の真相に気付いていなかった。



実際、未だ正確に理解しているのかどうかは分からぬ。
だが、夜になる度に北の空を見上げるミョウジの目は、憂いを帯びていた。
それは、誰かを案じている目だった。
誰か、愛おしいものを。
大切な何かを想い、無事を祈り。
願いを込めるかのように、ミョウジはいつも北の大星を見上げていた。

それを見て、気付いたのだ。

ミョウジは土方さんのことを、愛しているのだと。
その想いが繋がっていたのかどうか、それは分からぬ。
だが、あの日激しい動揺を見せた土方さんの様子から察するに、彼もまたミョウジを愛しているのだろう。

それならば尚更、ミョウジは土方さんと共に行くべきだった。
先の見えぬこの動乱の世において、せめて愛しい者の隣にいるべきだった。
だがミョウジは、女としての心を捨て、武士としての生き方を選んだ。
土方さんと共に戦う道ではなく、俺と共に死ぬ覚悟を選んだ。

その彼女に、俺は最期に何をしてやれるというのだろうか。




prev|next

[Back]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -