すれ違いの交響曲[1]「お疲れ様でした」
そう言って小さく頭を下げた彼女の肩で、再び長くなり始めた髪が揺れた。
あんたの長い髪が好きだった。
そう漏らしてしまったのは、ほぼ無意識だった。
決して強要するつもりなどなかったし、短い髪も似合っていた。
だが彼女は、思わず口をついて出た俺の言葉に対し「じゃあまた伸ばしますね」と笑ってくれた。
その結果、一度顎の下辺りまでに短くなった髪が、今ではもうすっかり肩についている。
毎日見ていると、変化には気付けぬ。
だが確実に長くなっていく髪が、まるで彼女の俺に対する想いのようで、嬉しかった。
「どこかで食事をしていくか?」
月曜日の仕事上がり、18時30分。
この週末は、互いに予定があり会えなかった。
明日も仕事がある故にあまり遅くまで飲むわけにはいかぬが、少しくらいならば良いだろうかと声を掛ける。
しかし彼女は、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ごめんなさい、今日はこの後用事があって」
「…そうか、」
残念だが、用事があるならば仕方ない。
「承知した」
「本当、すみません…」
「いや、気にすることはない。気を付けて行って来い」
そう言って、オフィスから出て行く姿を見送った。
彼女にだって、予定はある。
それは仕方のないことだ。
そう、頭では理解している。
だがこの状況が面白くないのもまた事実だった。
「あれえ、一君。あれ浮気じゃないの?」
そして、背後から掛けられた声にますます神経を逆撫でされる。
一部始終を聞いていたらしい総司が俺の前に回り込み、その顔をだらしなく歪めた。
「馬鹿なことを言うな」
即座に切り捨て、デスクに置いていたビジネスバッグを掴む。
しかし総司はしつこかった。
「へえ、随分と余裕だね?ナマエちゃんって結構人気あるんだよ、知らないの?」
オフィスを出てもなお、追いかけてくる総司の声。
そのようなことは、言われなくとも知っていた。
二年前、彼女が入社してきた頃から好いていた。
他にも彼女に好意を持つ男がいることも分かっていた。
少し抜けているところはあるが、仕事に対する真摯な姿勢。
誰にでも優しく接する、明るい性格。
男が放っておくはずがなかった。
叶わないと思っていた。
俺は何の面白みもない、つまらぬ男だ。
周囲と比べて、何か特別な長所があるわけでもない。
この想いが成就することはないのだろうと、諦めていた。
だがせめて、職場の先輩後輩という関係でも構わぬ故、傍にいたいと思った。
だからこそ、彼女が土方さんに失恋したと聞いた時、いても立ってもいられなくなり酒の席に誘った。
話を聞いてやるくらいは出来るかもしれぬ、と。
恋人という立場には立てずとも、せめて彼女にとって信頼のおける先輩という認識をされれば良い、と。
そう考えた。
奇しくも、それが交際のきっかけとなった。
彼女が失恋したという話は総司のでっち上げだったことが判明し、その時にはもう俺の想いが曝け出されてしまっていた。
今思い出しても、あまりに情けない告白の仕方だったと思う。
だが彼女は恥ずかしげに笑って、俺の想いに応えてくれた。
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