貴方へと続く道のり[1]
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R-18





知らなかったの。

「悪いナマエ、待たせちまったな」
「いえ、大丈夫です」

スーツ姿の土方さんが、重そうなビジネスバッグを片手に。
鬱陶しそうにネクタイを緩めながら、苦笑して。

「帰るか、」

そう言ってくれることが、こんなに嬉しいなんて。
知らなかったの。



あの朝。

それは俺の女だ、手ェ出すんじゃねえぞ!

土方さんは、オフィスのど真ん中でそう啖呵を切った。
一度別れる前、交際をしていた頃は絶対にその関係を職場に持ち込まなかったのに。
土方さんは突然そう宣言して、オフィス中をどよめかせた。
驚いて、顔中に熱が集まるのが分かって、周りから向けられる視線がとても恥ずかしかったのに。
本当は、嬉しくてどうにかなってしまいそうだった。
きっと土方さんには、お見通しだったんだと思う。
彼は穏やかに笑って、優しい目つきで私を見ていた。




「どっかでメシ、食ってくか」

肌寒くなり始めた夜道を、駅に向かって並んで歩く。
人前で手を繋ぐのが好きじゃない土方さんは、手を握ってはくれないけれど。
歩調を合わせて、腕と腕が触れ合うほど近くに寄り添って歩いてくれる。

「いいですね、どこにしましょうか」
「俺は別にどこでもいい。お前、飲むだろ?」

ちらりと腕時計に視線を落とせば、午後8時50分。
決して早い時間ではない。
けれど、土方さんと一緒なら何時だって構わない。
以前は仕事中に私のことなんて見向きもしなかった土方さんが、今日初めて、定時を回った途端に「悪い、待っててくんねえか」と声を掛けてくれた。




「じゃあ、あそこにしませんか?前に一度行ったことがある、居酒屋さん」
「……ああ、駅の向こうのか」

これまでは、土方さんの前であまりお酒を飲まないようにしていた。
苦手な彼に無理矢理付き合わせるのは申し訳なかったし、男より女の方が酒に強いなんて、可愛くないと思った。
でも土方さんは、好きに飲めばいいと笑ってくれた。

可愛くねえだあ?……まあ、お前らしいっちゃあお前らしいがな。
生憎俺も、格好良くねえんだ。
だったらお相子で丁度いいんじゃねえか?

事もなげに、そう言った。
以前とは何もかもが異なるこの状況に、戸惑う気持ちもあるけれど。
やはり嬉しいことに変わりはなかった。


「生でいいのか?」
「…本当にいいんですか?」
「お前なあ、いいって言ってんだろうが」

何度も確認する私に痺れを切らしたのか、土方さんは呆れたように笑うと。
結局私の返事も待たずに店員さんを呼び、生ビールと烏龍茶を注文してしまった。

「ったく、」

頭では、理解しているつもりだ。
土方さんは私に、遠慮をしなくていいのだと言ってくれている。
ありのままの姿で、好きなものを好きと言い、嫌なことは嫌だと言えばいい、と。
そう言ってくれている。
それでも私は、尻込みしてしまうの。
復縁して、再び恋人という仲になって。
それは、とても幸せなことのはずなのに。
心のどこかで、まだ怯えている。
ありのままを全てさらけ出して、嫌われてしまったらどうしよう、と。

三年前、土方さんから告白され、私たちは交際を始めた。
私にとって土方さんは尊敬出来る上司であり、半ば憧れのような存在だった。
そんな人に好きだと言われて嬉しい反面、彼の理想や期待を裏切るのが怖かった。
そんな女だったのか、と失望されることを恐れた。
だから彼の言うこと全てに従い、従順で文句を言わない女に徹した。
面倒臭い女だと思われたくなかった。

それが災いしたのか、それともいずれそうなる運命だったのか。
仕事が忙しい土方さんは、何も言わない私のことになんて見向きもしなくなった。
いてもいなくてもいい。
そんな存在になってしまった気がした。
土方さんの視界に、私はいない。
そう気付いたら、土方さんの前で笑えなくなってしまった。

だから、別れを決意した。




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