あの日届いた最愛[2]
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その姿をようやくこの目で見たのは、入学式でのことだった。
列を成して入場した大きな体育館の舞台下、スタンド式のマイクの前に立って進行役を務める姿があった。
あの、べらんめえな口調はどこへ行ったのか。
それでも、丁寧な言葉を紡ぐ低い声は、あの頃と全く同じまま。
私は、彼が新入生に着席を促す声を聞いていた。

もちろん入学式なのだから、ぶっきら棒に話すわけにはいかないのだろう。
そう、分かってはいるのだけれど。
初めて聞く形式張った口調が可笑しくて。
そしてその声が、その姿が、あまりに懐かしくて。
私は、笑いたいのか泣きたいのか自分でも分からないまま。
他の新入生たちがみんな、壇上で熱烈な歓迎の言葉を披露する学園長に視線を向ける中、私はずっと彼を見ていた。
一度だけ、視線が交わった気がした。
でも、彼はすぐに別の方を向いてしまった。
気のせいだったのだろう。
彼が見たのは私ではなく、新入生の一団だったのだろう。
それでも、一度。
あの紫紺の瞳に、見つめられた気がしてしまった。



達者でな、と言い残して。
あの日彼は、私の前から立ち去った。
その背を、見送ることしか出来なかった。


あれは、私の勘違いだったのかもしれない。
私の切望が聴かせた、幻聴だったのかもしれない。
でも。
迷いのない足取りで真っ直ぐ前に進んでいく、大きな背中越しに。

ナマエ……っ

そう、名前を呼ばれた気がしたの。



式は滞りなく終わり、教室で簡単なホームルームがあって、今日はそれでお終いだった。
同じ中学から進学してきた友だちもいないので、一人スクールバッグを持って教室を後にする。
見てみたいものがあった。
例の、裏庭にあるという桜の木だ。


彼が函館で戦死したと知ったのは、今世に生まれ変わってからだった。
前世で彼と別れた数年後、私は流行り病に罹って命を落とした。
最期まで、独り身のままだった。
年頃の娘だ、もちろん嫁入りの話は幾度もあった。
でも、私は頑として頷かなかった。
彼を待っていたわけではない。
二度と会えないことは、充分に分かっていた。
それでも、私は誰にも嫁がなかった。

現の出来事であったかどうかも定かではない、あの掠れた呼び声が。
ずっと、耳にこびりついて離れなかったのだ。


樹齢300年という桜の木は見事な大木だった。
満開の時期を終えてはいるものの、まだ充分な見頃と言える。
風が吹く度に花弁が舞い、美しかった。

彼には桜がよく似合った。
美しく気高く、そして潔く。
安穏とした長い生よりも、一瞬に命を懸け、そして散っていった。
桜のような、生き様だった。
本人はきっと、否定するだろう。
そんな綺麗なもんじゃねえよ、と言って苦笑するだろう。
今世の彼も、そんなふうに笑うのだろうか。
少し困ったように、眉間に皺を寄せて。

ナマエ、と。

いつか、呼んでもらえるだろうか。
それとも教師として、ミョウジ、と生徒を呼ぶのだろうか。

彼に前世の記憶があるのかどうか、私には分からない。
全てを憶えているのかもしれないし、何も憶えていないのかもしれない。
最初の古文の授業で、彼は私にどんな顔を向けるのだろう。
何も憶えていなければ、教師として一生徒を見るだろう。
全てを憶えていれば、一度捨てた女だと思い出して、鬱陶しく感じるのかもしれない。
憶えていた方がいいのか、忘れていた方がいいのか。
自分でも、どちらを望んでいるのかは分からなかった。

でも、あの声にもう一度名を呼ばれたいと思った。


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