08
はあ、……憂鬱、だなあ…………。
私はとぼとぼと重い足取りで鏡をくぐり抜け、女子寮から玄関ロビーへ出た。
普段なら授業が終わったあとは食事以外ではなるべく自室から出ないようにしているのだけれど、今日はそうするわけにはいかない。
今日は当番だからなあ……はあ…………。
もう嫌すぎて、ため息しか出てこない。
今日で何度目かのため息をつくと肩にぽんと手を置かれる。
「っルミア!こんなところで会うなんて奇遇ね。もし良かったら私たちと一緒に娯楽室に行かない?」
そっと首を後ろに捻るとルルさんと……その後ろにアルバロさんがいた。
「こんばんは、ルミアちゃん。これから俺たち、第一娯楽室でベターカードをしに行くんだけど良かったら一緒にどう?」
楽しそうな笑みを浮かべて誘う2人に私は戸惑いながら頷き、一緒に行くことにした。
「私も、今……向かってたから……」
「そうなんだ!あんまり学校でルミアと会えないから嬉しいわ」
「そ、…だね………あんまり会えない、から……私も、っ嬉しい……よ」
「でも来週からは私もみんなと一緒に授業を受けられるから、これからはもっとたくさん会えるでしょ?だから今からすっごく楽しみなの!」
そっか、と笑うと視界の端で目を開いて意外そうな顔をしているアルバロさんが映る。
「アルバロ…?どうかしたの?」
「ちょっと意外だったから驚いちゃったよ」
「何が意外なの?どこも変わったところなんてないと思うんだけどなあ……?」
「そう?ルミアちゃんがラギくんやエストくん以外の人と喋ってることってかなり珍しいと思ったんだけど」
「……?ルミアってラギとエストのお友達なんだね!」
ルルさんは、アルバロさんの言葉に一瞬不思議そうな顔をするがすぐに笑顔に戻る。
……そういえば、ルルさんって普段の私を見てないから知らないんだ……。
少し、無邪気に笑う彼女に胸が痛んだ。
しばらく歩いていると第一娯楽室と表示された部屋につき、私たちはその中に足を進めようと扉を開く。
娯楽室の中はベターカードで盛り上がっている生徒が多く、また他のゲームをしている人も少なくはなかった。
私は中にいる人たちをぼんやりと眺めていたら、すでに中に入っていたルルさんに遠くから声を掛けられる。
「どうしたのールミア?中に入らないのー?」
「あ、…ううん…………ごめん、ね……」
私は首を振り、苦笑を浮かべながら部屋に入る。
すると奥から人が現れ、穏やかな笑みを浮かべて私に話しかけた。
「やあルミア、相変わらず此処が苦手そうな顔をしているね」
「…………」
私に話しかけたのはマシューさんだった。
彼とは同じ連盟に所属していて、なにかと一緒になることが多い。
私は腕に抱えていた鏡をマシューくんに向けて見せる。
『こんばんは、マシューさん。私……やっぱり、そんな顔してた?人が多いところは苦手みたいで……気後れしちゃってたんだ』
鏡に映る文字を見てマシューさんは苦笑いをして、そっか……と呟く。
私は……本当に極少数の人としか話さない。
その人が苦手だから……というのも少しあるけど、私の特異体質の影響が強い。
だから話せない人とは、こうやって私の魔法媒介である鏡を通して会話や意思の疎通をしている。
マシューさんはとても優しくて素敵な人だとわかってはいるのだけれど……やっぱり怖くて話せない。
今まではエストくんとラギくんだけが私と話せる唯ニの生徒だった。
でも今は違う。
今は……ルルさんとアミィさんがいる。
はじめて人間の友達になったルルさん。
ルルさんのおかげで友達になれたアミィさん。
ルルさんが来てから私の周りが、ほんの少しずつだけど、変わってきている……気がする。
だからいつか……私の体質が改善されたら、彼とも自分の口でお話してみたいなあと思ってる。
「それで今日は珍しく此処に来たけど、どうかした?」
『今日は私、当番だから……、マシューさんに全ての仕事を押し付けるわけにはいかないなって……』
その言葉にマシューさんは、ああと頷いた。
そう、今日は当番なのだ……第一娯楽室の生徒監督……所謂、生徒の見張り役をする仕事だ。
どんなに投げだしたくても誰かに仕事を押し付けるわけにはいかない。
ただでさえ、まともに仕事をしているのが私を除くとマシューさん、ただひとり。
……勿論、私もあんまり進んで仕事をしてないからなんとも言えないけど。
でも、仕事で決められた当番の日は嫌でも必ず来るようにしている。
これ以上、マシューさんが働くと疲労と心労で倒れてしまいそうだし……。
それをマシューさんに伝えると、彼は苦笑いを浮かべたまま、ありがとうルミアと笑いかけてくれた。
私たちはしばらく2人で話していると、向こうからマシューさんと私を呼ぶ声がする。
私とマシューさんは声のした方へ顔を向けると、ルルさんとアルバロさんがいた。
どうやらルルさんは娯楽室の中を回っていたようで、それをアルバロさんが簡単に紹介していたそうだ。
「ああアルバロ。君もカード?」
「いや、今日は俺じゃなくてこの子。初心者だからやさしく教えてあげてよ」
「ああ、ルル!君もベターカードに興味があるの?」
「えーと……、興味があるっていうか、まだどんな遊びなのかよくわからなくて。でも、寮の伝統なんでしょ?なら私もやってみたいな!」
「はは、そうなんだ。カードを愛する生徒が増えるのはいいことだと思うよ。ね、ルミア?」
私がマシューさんの言葉に頷く。
「こう見えてマシューは、学生寮ベターカード連盟の代表なんだ。そして隣にいるルミアちゃんはその連盟の一員」
誰もやらないからやってるだけだよ……という少し疲れたような声でいうマシューさんの言葉に、私も頷いて同意した。
それにアルバロさんが、まあ自分からこんな事やりたいなんて言う人なんていないだろうなって思ってたけど、と笑いながら言う。
それにマシューさんがあははと乾いた声を漏らすが、すぐに気を取り直して説明をはじめる。
「ベターカードっていうのはこの学校で生まれたカードゲームなんだ。確か100年くらい前に原型となるゲームができたって言われてたと思うな」
「そ、そんなに古くからあるんだ……」
ルルさんは、へえー…と感心したようにマシューさんの説明に聴き入っていた。
「ゲーム自体はすごく単純なんだよ。やってみるとなかなかハマっちゃう面白さでね、のめり込んだ生徒が続出しちゃったくらいなんだ」
「みんながのめり込んじゃうくらいの面白さってどれくらいなんだろ…?ね、ルミア?」
ルルさんが私を見て尋ねてきたので、私はうーん…と唸る。
「……確か………賭け事にまで、発展…した……事件があった……みたい……?」
私が言うとルルさんが、そうなんだ、すごいね!とコメントするがマシューさんとアルバロさんの視線が痛い……かも。
「へえ……、それは初耳。俺としてはそれくらいスリルがあった方が面白そうだと思うんだけどな」
「金銭トラブルはご法度だよ、アルバロ。だから学生寮ベターカード連盟なんて組織ができたんだし」
「なるほど。よくわかったわ、ありがとう!……じゃあ、とにかく遊んでみたいな!」
「そ、そう?……うん、まあ実際やってみて覚えるのもいいかもしれないね」
ルルさんの言葉にマシューさんは呆気をとられながら、簡単にゲーム盤の使い方とルールを教えていく。
そして、アルバロさんとベターカードをすることになったらしく、ゲーム盤の方へ移動していった。
「ちょっと意外だったなあ」
「………?」
マシューさんが、2人の様子を見ながら私に話しかけるが、私は何のことだか判らず首を傾げて続きを促す。
「君はあんまり自分から話そうとしない子だから。ルルに話しかけてたのを見て驚いちゃったよ。……でも、少し安心したかな」
「…………?」
「ちゃんと話せる友達が出来て安心したよ」
そう言って微笑むマシューさんは少しかっこよく見えて、思わず目を瞬かせてしまった。
私は口パクでありがとうと言うと、どういたしましてと返される。
うん、やっぱりマシューさんは優しいし、かっこいいなあ。
私はひっそり思いながら、ルルさんたちの勝負の行方を見守った。
「ま、最初だからね。こんなもんじゃない?」
どうやらアルバロさんが勝ったらしく、ルルさんはむーんと唸っていた。
それを見ながら私とマシューさんは2人の側に行く。
「あ、マシュー!このベターカードってゲーム、すっごく楽しかったわ!」
「よかった。君もベターカードの奥深さを楽しんでくれるといいな。カードをやりたいときは、平日の夜に第一娯楽室に来てくれればいいよ。僕かルミアが案内するから」
「あれ、俺いつもマシューに案内されてるけどルミアちゃんも案内してくれるの?」
「まあ一応案内をしてるよ。ルミアは自分の当番の時にしか来ないから滅多にしないけど……。それに娯楽室にいても極力目立たないように隅で本を読んでたりしてるし」
「へえ、じゃあ今度はルミアちゃんが当番の時に来ようかな?」
ニコニコと笑顔で言うアルバロさんに、私は不思議に思って彼を見つめる。
アルバロさんは、私が当番の日を知ってるのかな……?
「あー…頑張ってねルミア!私、応援してるわ!」
「う、うん……ありが、と……?」
……私、なにを頑張るの……?
少し次の当番の時を怖く思いながら頷くと、ルルさんが、もしよかったらルミアが次の当番の時に私と一緒にベターカードをやりましょう!と誘ってくれた。
ルルさんの気持ちはすごく嬉しいけど……余計に次の当番の時に何が起きるんじゃないかと、怖くなってきた。