いつかの5月23日
 しなったように曲がる猫背。
 小難しそうな本棚の前で立ったまま動かないその背中は女にはない広さで、つい魅入ってしまう。開いた書物へ没頭しているところを割り込んでしまったらお邪魔かも。途中まで上げた手は、触れようか止めようか迷いながら数秒間、宙を彷徨った。
 でも今日くらいは悪いように思われないといいな、そう願ってとんとん。斜め上にある肩を軽く叩く。

「なんスか? おや、」

 珍しい。そう言い切る前に、振り返った彼の頬を目掛けて背伸びする。筋骨隆々な肩を持って、爪先立ちで。彼が体を傾けてくれたら、唇を寄せて、そっと触れる。

 ──ん。短い髭がなまえの口にちくりと刺さって痛痒い。ほんの一瞬の、愛の体現を残すと、音も鳴らさずに離れた。

「浦原さんも、案外無防備ですね?」

 いつものお返しと言わんばかりに彼の意地の悪さを倣ってみた。すると思った以上にぱちくりと瞠目を晒していて、これは成功。大成功と言ってもいい。どうだ、してやったり。なまえは嬉々としてこの日の為の雑学を口にする。

「あ、何の日か知ってます? 実は、──」

 ぐいっと腕を引かれて、その先の言葉は塞がれた。

「むっ、」

 待って、違う。違うの。
 自信に満ちたこちらの企みは色慾を孕む双眸を前に呆気なく消えていった。

「ええ、知ってますよ。無防備ななまえさんの唇を堪能する日ってことくらいは」

 ぱたん、と片手で閉じられた書物。
 その表題には辞典なる文字が。その前置に記念日とあったような。いやまさか。最初から彼の思惑に乗せられていたの。そんな、これは偶然たまたまだ。だって、そうだとするとこちらから行動するのを待っていたということになってしまって。

「あたしの背中に穴が空くほど見つめられてちゃ、今か今かと待ち遠しくもなりますって。待った挙句、ほっぺなのは物足りなかったわけですが」

 悪びれもせずぺらぺらと出てくる小っ恥ずかしい事実たち。先手に回った筈が結局は辱められて、けれど与えられた口づけが嬉しくて自分だけが熱を上げてばかりだった。
 大成功から一変、惨敗した気分だ。

「ま、貴女にしては頑張りましたよね、それは褒めて差し上げます」

 徐ろに捕われていた腕をまた上げられて。その手首に生温かな舌を這わせた。僅かにあたる歯は意図的に立てられたようで、ぞくりと肌が粟立つ。
 情慾に富む眼光、縛られたみたいに逸らせない。褒めてくれるはずのこの行為は身動ぐこともできず、されるがまま、もうどっちの褒美かもわからない。

「好きでしょ、こういうのも」

 やっぱりすべてが上手な男の思惑通りだったと気づいた時には、むっとするどころか尻尾を振る犬みたいに善がってしまう。さっきまで自分が願っていたように今日くらいはいいかと観念して、浅く首肯いた。

 ……好きですよ。一年に一回くらいの、よくわからない記念日に踊らされてみるのも。


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