追想と独白 (1)
 文を綴った。汲んだ水でごりごりと墨を摩れば硯石に溜まる墨汁。こうして筆を執るのはいつぶりだろうか。時が経つにつれ、今ではめっきり減ったように思う。

 畏まった奉書紙に意識を注ぐと、曲がった背筋がぴんと張る。筆の動きにぎこちなさを伴いながら敬具で締め、それなりに形式には沿っているかと満足げに終えた。だらりと繋がって歪んだような筆跡を眺めていると、朧げに。呼び起こされる。
 そうだった、いつも仕上がった書を持っていくと言葉を交わして、それが妙に心地よかった。

「次は読める字でお願いしますね、隊長──」

 幽かなそれは、誰が放ったものだったか。声の主はどんな容姿なのかも目蓋裏に描けないが、いつかの隊士かもしれない。司書の者かそれとも別のどこかに属する、わからない。ただ彼女とのやり取りは僕の中の燈火で、短い任期ながらも水面に咲く睡蓮のような女性だったと、心証だけが独りでに蘇る。

「店長の字、読めねーよ」

 通りすがりのジン太が言った。些か崩れた行書体が現代の彼にとっては歪に映るのだろう。脳裏に残る柔らかな声色に重なって、あの頃と似た安息を得た。

 名前すらも記憶の残滓に消えたあの女性はどうしているのだろう。ああ、一旦気に留めてしまうと筆を執る度に遠い追想を繰り返すのだろうな。

「そんな、これでも綺麗に書いたんスよ」

 あのヒトに告げた言葉を彼に言ったところで、同じ返事は戻ってこないのに。


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