浦原さんと謎の箱に閉じ込められました
「……なんでこんなことになってるのかわからない」
「いやぁ、アタシにもさっぱり」

 あっけらかんと悪びれることもなく。いやそんな訳はないだろうと、息もかかりそうなくらいに近い距離から睨め上げた。
 覆い被さる男、謎の空間、狭すぎる壁と天井。
 なぜか仰向けのわたしは折り曲げた脚を角あたりまで伸ばすも、低い天井部に行き当たってしまう。意思表示とばかりにガンガン蹴ってみたものの、爪先と踵が痛いだけだった。

「うそだ」

 問い詰めながら手のひらを頭上に伸ばしたが、この人のひょろ長い体が邪魔で届かない。悪い夢なら醒めてくれ。とにかくこの異様な状況からの脱出を試みるしかなかった。

「ウソじゃないですって、本当に身に覚えがないんスよぉ」
「まずはそのヘラついた面をどうにかしてほしいです」
「これは生まれつきなんで無理っスね」
「そもそも浦原さんの部屋にあった箱を開けたらこんなことになったんですよ! 知らないわけがないですよね」
「と言われましても。開けたのはみょうじサンでしょうに」
「ゴミを片付けてるうちに訳のわからない箱を落としただけですよ!」
「そんなぁアタシの発明品たちをゴミだなんて」
「そうじゃなくて──」

 ああ言えばこう言う典型か。
 ああもう! あと少しでわたしは憤慨する。

 この古めかしい駄菓子屋に通うようになってからは、ここに住む子供たちとも仲良くなって、時にはご飯をご一緒したり遊んだり、ついでに雑用を任されるようになった。要は都合のよいただの客だ。普通ただの客は店長の部屋まで立ち入らないのだけれど。この店長さんものらりくらり掴みどころのない人で、部屋が汚いとは聞いていたがここまでとは思わなかった。書物は積み上げっぱなし、足の踏み場もなくて。畳にはガラクタが散乱していた。

 それが今日のさっき。片付けの手伝いをお願いされ、初めて自室へお邪魔したらこの有り様だ。ふざけるのも大概にしてほしい。
 商いの傍ら、物を作っていると言っていたが、こんなにも理解し難いものだとは。これは一体なんですか。もしかしてあのガラクタの一部ですか。店長さんは知らないと否定していたけれど、そんなはずはないと最初から訝しんでいたのだ。ところがこんな会話が堂々巡りでキリがなく。頭痛がしてきた。数分かもしれない時間が何十分にも感じられるほど、この窮屈な四角い空間が精神を追い詰めてくる。きつくて体の節々もつらくなってきた。堪らず顔を顰める。

「なにもそんなおっかない顔しなくても」

 ──いや誰のせいだよ。
 すっとぼけたようなことを言って、と一瞥した。

「ほんと、この状況でよく平然としていられますね」

 浦原さんはというと、四つん這いの形でわたしの上に跨がってなるべく体重を乗せないように心がけているようだった。普段から猫背の店長さんが、更に丸めた姿勢でわたしを見下ろす。腕を伸ばすとまた体にあたってしまいそうなので動かすのは控えた。背丈がある分、彼なりに多少は気遣っているらしい。けれどその表情がだらしなく緩んでは戯けていて、癪には障る。

 ──あっ、帽子がないからか。

 普段より目尻の垂れ具合や頬周りの髭が多く見えるのは。あの帽子を目深に被っている時、目元は暗がりだしどんな顔をしているかあまり窺えなかった。でも今日は一目瞭然だ。

「平然としてるように見えます?」
「はい、どこからどう見ても」
「参ったっスねぇ」

 全然参ったように見えない様子で頬を掻いた。そのまま彼は片手で壁を押すように体勢を整え、おもむろに身じろぐ。
 途端、作務衣から除く胸元が大きく露わになって正直目のやり場に困ってしまった。わたしはなるべく直視しないよう上を向いたり、それでも視界に入ってきた時にはギュッと目を瞑ったりして、彼のはだけた部分を目に入れないように意識を逸らした。こんな非常事態にそんなことを気にしはじめたら人のことを言っていられない。

「……失礼しますよ」

 断ってから、浦原さんはわたしの手を取った。
 急に触れられてとてもびっくりした。けれどそれに対して驚きの声を出したらこちらも失礼かと思って「あっはい」
 としか返せなかった。

「聞こえますか、あたしの音」

 強く押し付けられたのは避けていた胸元だった。
 思わず眼を向けてしまう。これでは否が応でも意識させられてしまってだめだ。

 手首を掴まれたまま、とくとくとく、と手のひら全体から伝うそれは紛れもない浦原さんの心音だった。理解すると同時に、かあっと灼けるように体温が上がって、自分の鼓動も脳天まで聞こえるくらい全身で脈打ちはじめた。わたしの指から浦原さんの体に伝わるんじゃないかってくらいにうるさくて、いきなりそんな風に乱される自分が恥ずかしくなる。

 なにするんですか! って普段みたいにつんけんと悪態をつけばいいのに、わたしは馬鹿みたいにただ愚直にコクンコクンと、聞こえます、という首肯きを繰り返すことしかできなかった。

「わ、わかりました、から」

 しどろもどろに紡ぐのが精一杯で。一旦距離をとったと思ったら今度はその捕まえた手をぐっと引いて、わたしの体ごと少し浮かせた。首筋に埋めた浦原さんの髪と息が肌にかかってくすぐったい。

「……お願いですから、もう少し、はなれて、」

 最後まで言い切る前に「それは酷なお願いだなあ」と抑揚のない声で遮られた。

「あたしだって大変なんスよ、……あともう暫く生殺しさせられる身にもなってくださいよ、なまえサン」

 意味を訊いたら喰べられてしまいそうな、蛇が獲物に巻きつくみたいに言い退けた。もう思考はとっくに動いていない。互いの気息でさえ荒いと感じてきた。この狭い箱のような異空間の中、夢でありますようにと目が醒めることを願っていたのに、今ではそれを望まないわたしも出てきてしまった。白昼夢じゃなくてもいい。あと暫く、もう暫く。どのくらいなのだろう。彼の放った言葉がぐるぐる巡ってこだまする。
 暫くとは、つまり──。

「……あの、浦原さん。あともう暫くって、いつ元に戻るかわかるんですか」

 わたしが憂いを込めて訊ねると、浦原さんは苦笑気味に答えた。

「ありゃ、あーバレちゃいましたか。ええっと今まだ十分くらいなんで、だいたいあと二時間くらいっスかね」
「は。……さいてー」

 ああほんとに。最低で最悪だ。あと二時間もこんな状況だし、浦原さんからは変な気持ちにさせられるし。
 しかもこの期に及んで若干わたしの下腹部に腰を下ろしてきたんですけど。

「まあまあそう言わずに」
「も、ほんと、なんなの、」
「なまえさん、落ち着いて、ね。なまえさんてば」

 それはもう愉快げに、妖しげに。
 目尻を垂らした彼はさらに口元までだらしなく緩ませながら、わたしの膨れた頬にツツツ、と指を滑らせた。この状況下でこんな言動させられて、落ち着いていられる人がいたら教えてほしい。抗議もできないまま堪らず視線を逸らす。
 ──め、目が合わせられないんですけど。

「ほらこっち向いて、まだまだ長いんスから」

 だめだ。こっちが穏やかでいられない胸中までも見透かされていて。ああ、もうこれじゃあただの客と店長では済まされないと、わたしは僅かに持ち合わせていた社会人としての矜持も半ば諦めてしまった。
 この中に入ってからがたったの十分ならば、あと二時間も耐えられそうにない。


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