バイト先の高校生くんと女の子
 夜間のバイト。正直眠いし面倒で行きたくないけど、最近は胸が弾む。

 新人さんが入ってからはワンオペが解消されて、難なく業務がこなせるようになった。人手は大事だなって痛感する。その新しいバイトの子、高校生の平子くんは二つ三つくらいしか年が変わらないのに、金髪で舌ピアスがあって大分風紀が乱れてる。
 なのに礼節とやらを気にするようで、なんか珍しいタイプ。教育係だからか、やけにわたしを慕ってくれる。

 そんなに先輩風を吹かせた覚えはないのだけれど、まあ教える事は山ほどあるので「オネーサン物知りやなあ、感心やわ」とテレビで聞くような関西弁がなんだか心地よかった。
 関東生まれのわたしにはそれが新鮮で、ずっと聴いていたくて、何より数ある仕事の中で指導するのが一番楽しかった。今思えば、この高揚感は後輩に抱くそれとは別のものだったのかもしない。

「お疲れー。それじゃお先に、平子くん」
「はいお疲れさん、明日もシフトやんな?」
「わたし? うん、しばらくは平子くんと同じだからね」
「助かるわー。夜道言うてももう朝やけど気ぃつけて帰りや、なまえチャン」
「はーい、って先輩にはさん付けでしょ普通」
「細かいことはええねんて、俺となまえチャンの仲やん」
「仲って……一応わたし平子くんの教育係なんだけど」

 ちょっと言葉尻が雑になってきた気がする。
 初対面から数週間もしたら、「無愛想もほどほどにせえよ」とか「もうちょい目ぇ見て話し」とか時折り口煩く言ってくるようになった。
 持論を通していたはずの彼の礼節はどこへやら。わたしの事はあんまり先輩という認識はないのかもしれない。

 近頃は毎度顔を合わせるわたしにすっかり慣れたのか、もっと砕けたタメ口になった。見下されてはいない、とは思う。別にわたしは敬語だとか上下だとか、そんなこと気にしない。けれど。なんとなくあの感じの呼ばれ方が聞き慣れなくて、僅かに小骨が引っかかる。

 先に上がった朝方、と言っても冬のまだ陽が出ていない暗がり。わたしはいつもの帰り道で体内時計の狂った気怠い体を引き摺る。

 家に帰るだけなのに、肩だけでなく背中も足取りも全部が重くて仕方がなかった。ひょっとしたら体調を崩してしまったかも。あーあ、明日もあるのに休みたくないなあ、なんて真っ暗な曇天に向かって、白い息を吐き出した。
 いつもなら誰かに代わりをお願いして休んじゃえ! ってなるのに、明日だけは休みたくない。どうしてかな、どうしてだろう。分かりきった答えをまた明日に投げ返して、気づかないふりをした。

 その途中の曲がり角。
 体の重さが著しく酷くなった。これは本当に危険。いよいよ寝込まなきゃいけないかもしれない。そう思った矢先、いきなり全身が動かなくなった。ぴたりと硬直して。左足を半歩前へ広げたまま、右手が後ろに。なにこれ。訳がわからなくて。周りには何もないのに、明らかに何かがそこにいて、感触があって、手首を掴まれているのだ。目を開けて立っているのに金縛り、そんなことってあるのか。

「え、ちょ、なに」

 自分の混乱からも、視えない異物からも逃げるように小刻みに唇を震わせていた。寒いのは真冬の外気温だけじゃない。それは凍るような悪寒となって、血の気を引かせながら、足を竦ませる。
 当惑は戦慄へ。人は得体の知れない恐怖に呑み込まれると、何も声が出なくなるらしい。口をぱくぱくと開閉繰り返し、助けを呼ぼうにも陽も昇らない住宅街で、誰もいないのにどうにかなる気がしなかった。

 ガリ、掴まれた右手が引っ掛かれる。痛い。普通に痛い。唯一動かせる首で後ろを見れば、暗赤色したものがぽたぽたと滴っていた。

 嘘でしょ、流血、とか。

 目を見開いた時だった。
 ドォンという激しい轟音が降り注ぐと、荒々しいつむじ風に吹かれた。直後に手の拘束が解かれて、煙のような砂埃の向こうにはついさっきまで一緒にいた、──。

「……せやから夜道は気ぃつけ言うたやろ、なまえ」

 気怠そうな三白眼、風に靡く金糸。すっかり見慣れたはずの彼から紡がれる知らない低音が、冷え切った体温をどくんと上げていく。なんで、どうして。

「ええから早よ手ぇ貸し」

 差し出す間もなく、呆気に取られていたわたしの右手に手際よく包帯を巻いていく。

「ねえ、平子くん、何の冗談……?」
「何の冗談やないわ、危なっかしいねんほんま」
「えっなんでわたしが怒られてるの、何かに襲われたのに」
「なまえがもっと明るい道歩かへんからや」
「そんな無茶な、ていうかしれっと呼び捨てしたけど先輩だよ」
「こないな時に呼び方もクソもあるかい。ま、残念やったな、今日から俺が先輩やわ」
「ええ、ちょっと平子くん何言って──」

 その時、異様な振動が再び地面を揺らした。

「ギェェ、」

 わたしたち以外の、ヒトではないような声が鼓膜を突き刺す。それはガラスを爪で引っ掻くような、聞きたくない断末魔の叫びにも聞こえた。

 薄っすら視界に映る奇形な物体に、平子くんは一般の包丁よりも鋭利で長いものを勢いよく振り下ろした。
 ザクリ。厭な殺傷音はするものの、はっきりと何がとは形容し難い。ただ、この空気にほんのり浮かび上がった透明で奇異なものは散り散りになって消えていったようだった。

「終いや」

 慣れた手つきで一連の作業をバイトの手作業みたいにこなす彼。その様を、一体どっちが危なっかしいのかと、瞠目していた。

「ひ、平子くん、これは」
「あー真子サンな。悪いねんけどもう何百年もなまえよりセンパイやねん、俺」

 わたしと向き合った彼は、妖しく吊り上げた口元を魅せつけて。

「……な、視たやろ?」

 すっと携えた刀を腰元へ戻した。
 彼は二つ三つしか年の変わらない高校生の平子くん。いや真子くん、違うよ真子さんでしょ、こんがらがった頭の中でどうでもいい敬称たちが飛び交って、あなたが何者なのかは知らなくてもよくて。

 ああもう、太鼓みたいにうるさい心臓をどうにか戻さないと。

「バイトは終わったの?」

 なんて馬鹿みたいに平然を取り繕ったら、

「は、今それ聞くか?」

 平子くんが初めて噴き出した。
 どの顔が本当の高校生の平子真子くんか、もうわたしにはわからない。


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