保健室の浦原先生と女の子
「うーらはーらせんせー!」

 ガラッと保健室の戸を引いた。
 目的は見ての通り。サボりというか暇つぶしというか。正直それ以外の理由はないし、内申もどうでもよければ進学もどうでもいい。うちは名高い進学校でもなく、わたしは普通科。ってことで今日も気怠そうな浦原先生のところへ遊びに来た。キィ、と丸椅子を回転させれば、ボサボサの前髪に剃り残したような髭。全身から漂わせるゆるい空気が開放感に富む。なによりこの部屋は陽当たりがよくて、たくさん寝られるしわたしを匿ってくれる。

「また来たんスかみょうじサン、さっきも来たのに怒られますよ」
「じゃあ先生が怒ればいいじゃん」
「そういうのは学級担任がすることなんで。で、次はなんです? 悩み事でも?」
「や、別にないけど暇なんできちゃいましたー」

 はあ、と先生は浅く息を吐く。口にはしないけれど、仕方ないっスねぇ、と言っている。だいたいわかるようになってきた。いつ来たってわたしを無理に追い出すことは絶対にしない、生徒に甘い先生。
 ただ、そういう優しさを利用しちゃうのはごめんねって少しだけ思う、ほんの少しだけ。

「暇って、授業はじまってるでしょ」
「だって涅せんせーの化学、気持ち悪いんですもん」

 げぇ、と口から舌を出せば「まあわからなくもないですけど」と苦笑気味に頷いた。
 涅先生が知ったら怒るだろうなーって思いながらもわたしもわたしで「でしょでしょー」と同意を求める。バレたら浦原先生諸共、居残りさせられる。

「ま、ボクだと保健の授業になりますけど、……いいんスね?」

 流すようにふっと細められた目。先生にはあっちゃいけないような、妖しい笑みを向けられた。

「後でどんな思いしても知りませんよ、なまえサン」

 机に頬杖をついて、わざと名前を呼ぶ。
 ああ、これに落ちる同級生もいるだろうな。ま、わたしは騙されないけど、多分。これも浦原先生お得意の冗談であり、教室へ返す常套手段。なのでスカートのポケットからスマホを取り出した。

「大丈夫、ボイスレコーダーあるんで」
「あら用心深い」

 すっとぼけたように目を見開く。教員らしくない表情に、一瞬だけかわいいなって思った。

「ってか聞いてくださいよ、さっきつるりんがひどいんです」
「え、つるりんって斑目サンっスか、そんな言い方かわいそうに」
「別に斑目くんのことなんて言ってないけど、浦原せんせーそう思ってたんだ。へぇー」
「ひどい」

 午後の一限は始まったばかり。
 わたしが一方的に言いたいことを先生にぶちまける健全な保健授業、胸がスカッとして清々しくてデトックス効果抜群だ。

「ほら、次までに戻らないと」
「いやだー、お爺ちゃんの古文はねむいー」
「元柳斎先生をそう言わない」
「山本先生なんて言ってないですけど」
「そんな二度もひどいっス」

 溜め込んだものを喧しく放てば、まあまあ、と眉尻を下げ宥めてくれる浦原先生。先生には珍しいだらしない見た目だけど、ふざけてるようで真面目。いやちょっと評価しすぎたかも。ただ周りみたいに口煩くないし、この毎日をどう感じているかは聞けないけれど、あんまり疎ましく思ってなければいいなと思った。

「ねえ、先生ってさ、毎日ヒゲ残ってるよね」
「残してるんじゃなくて整えてるんですって」

 嘘だな。わかりきっているけど、ふうん、と天井を見上げた。

「彼女いなさそー」
「はいはい、そういうことは本人に言うもんじゃないっスよ」

 聞かれたら困るのかな、なんて薄っすら頭で考えて先生の方をちらり。一瞥したら、さっきみたいにまた眉を垂らして笑っていた。ふん、いつまでもそうやって小さい子供みたいに接してればいいさ。卒業したらびっくりさせてやる。ってなに急に意気込んでるんだ、わたし。でも本当にいないのならついに弱味を握ったも同然では。

「あー否定しないってことは、やっぱいないんじゃん彼女」

 先生の方へ向き直してここぞとばかりに追撃すれば、細めていた眼を僅かに見開いた。

「そんなこと言って」

 やけに抑揚のない声で返されたと思えば、

「……いたらいたで悲しむでしょう? なまえサン」

 と。さっき見せたのと同じ、妖しい笑みで。
 真っ直ぐにこちらを見据えながら、口端をゆっくりと吊り上げた。

 わたしは騙されない、騙されないって。他の子みたいにはならない、そんなことミリもなかったはずなのに。突然、先生の質問に何て答えたらいいかわからなくなって、
「な、なに言ってんの」と目を逸らすことしかできなかった。

 そのあと、浦原先生とどんな会話したか、よく覚えていない。


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