「おはよっス、よく寝れた?」

ぱち、と目を開けて。どこだっけ、と小首を傾げる。
道に迷ったままだった、夢だと思った昨日は夢じゃなかった。燦々と照りつける太陽の季節、歩き回って不安がいっぱいで疲れてしまい。いづみは早々に深く寝てしまった。
聞かれたことに、うんうん、と目蓋を擦りながらふわあ、とひと欠伸。

「…おはよっす、きすけさん」

隣で胡座をかいて座る喜助へ、大人の真似をするように返せば、彼はあははと戯けていた。そして被っていた帽子は外していた。初めて見る喜助の顔に昨日とは違う印象を受ける。

(きょうは、おじさんじゃない)

体をむくりと起き上がらせ、いづみは喜助に向き合う。

「きすけさんは、きのうとおなじきすけさん?」
「なんスか、おかしな事を聞いて。そりゃあそうだよ」
「だって、おぼうしがないから」
「ああ、これっスね。ない方がいづみは好きなのかな?」
「うん、おじさんじゃない」
「ハハハ…そういうことっスか、」

喜助は苦笑気味に頬をぽりぽりと掻く。
起きて早々。保育園へ行く前の習慣が自然と身についていたいづみは、部屋に運ばれた朝食をささっと済ませて、用意された服へ腕を通す。備え付けの歯ブラシで綺麗に磨き、あっという間に準備完了。どちらかと言えば母親の準備の方が長いことが通常だ。

「いづみは一人で準備できて偉いね」

褒められて、えへへ、と口元が緩む。あまり褒められ慣れていなかったいづみは、当たり前のことをしただけに妙に照れ臭くなった。

「今日はちょっと行きたいところがあってね、お外へ行くよ」

それ聞いて自身のリュックを背負う。自ら進んで準備をした満身創痍のいづみだが、年は六。それゆえの不安感は拭えなかった。

「わかった、きょうはかえれるかなあ?」
「どうだろう、頑張るけどあと数日必要かもしれない」
「ええー、かえりたいよ…」
「ごめんね。でもね、いづみ」

喜助はにんまりと唇に弧を描いた。

「ボクと居たらお菓子がいっぱいあるんだよ、駄菓子屋さんの店長だからね」

ほら、と差し出されたラムネ菓子にゴクリと唾を飲む。

「きすけさんのおうち、おかしいっぱいなの?」
「うん、そうだよ」
「うわあ、いいなあ。いいなあ」
「今度遊びにおいで」
「うん!」

傷口の絆創膏を変えてから、よし行こう、といづみを抱える。
二日目にして、幼いながらにいづみは恥じらいと嬉しさを覚えた。帽子のない姿が感じていたほどおじさんではなく優しそうで新鮮だからなのか。
この感情が意図することはよく分からず、祖母や両親に感じたものにも似ていた。すると、連鎖的に。ばあばやみんなに会いたい、と寂しさが心に響く。だが不思議なことに、この人といるとそれは次第に和らいだ。







行きたいところと言って来た所は、出逢った場所にほど近い山の中だった。少し登ると大樹が現れる。どうやら此処が目的地だったようで、そこへ着いたところでいづみは腕から降ろされた。と同時に、喜助が出てきた巨樹に似たものだったために、その景色に親近感が湧く。
すると喜助は「やっぱり」とぼそり、呟いた。なんだろう、傾げながら彼を見上げると、その木にもしめ縄が施されている。何とも奇異な偶然だった。

「きすけさんがでてきたのとおなじだね」

いづみは喜助のことをある特別なひとなのでは、だと思い始めていた。

「よく気がついたね、ボクは此処が気になってて」
「うん、だって…きすけさんは、もりのようせいさんでしょ?」

それを聞いた喜助は「アハハハ!」と大きな声を上げて笑った。
こんなに破顔する彼を見たのは初めてで、いづみもつられて嬉しくなった。ちがうの? と真面目に問う彼女に、喜助は答える。

「森の妖精っスかあ、同じような木から出てきたから?」
「そう。あとね、みどりいろ」

いづみはそう言って、くい、としたから喜助の羽織りを引っ張った。

「ああ作務衣の色か…。しかし子供は想像力が豊かっスねぇ」

暫くしてもくいくいと引っ張ることをやめないいづみに、喜助はニヤリと口角を上げる。

「なあに、抱っこして欲しいの?」

ムム、と口を一文字に結ぶ幼女は、正直に言わずに強がっているようだ。言葉にしづらいのか、両腕を伸ばして無言で抱っこを訴えている。

「……いづみは甘え上手だ」

ひょいっと持ち上げられた。片腕を彼の首裏に回して、糧の腕にちょこんと乗る。同じ目線を共有できて、高い高いとはしゃぐいづみは「きすけさんのだっこは、たのしいからすきー」と喜んだ。

喜助は、ありがとっス、と軽く返したものの頭を捻る。

「うーん、それはそれで嬉しいんスけど、そういう真っ直ぐな言葉は慣れないっスね……」
「?」

複雑そうに喜助は、まあまだ幼いから流石に分からないか、と懐からまた小物を取り出した。
「それなに?」きっと玩具だと彼女は興味津々に覗き込む。

「元に戻れるかもしれない魔法。今からちょっと動くからいづみはしっかり掴まってること」

いい? と念を押せば、いづみは意気込むように眉間に皺を寄せ、うんうん、と柔順に肯いた。喜助は「よし」と頭を撫でる。

「行くよ」──その直後。その小さな道具から光が放たれ、辺りを眩しく包む。刺さるような煌めきに思わず目を瞑った。それでも目蓋の裏に明るさが視えて怖い思いをしたが、喜助の温もりに顔を埋めて堪えた。
何秒過ぎたのだろう。いづみは言われたとおり、ぎゅっと喜助の羽織りを掴み続けた。「もういいよ」と耳元で囁かれ、恐る恐る目を開けたら、同じような巨樹の前にいた。

(おなじ、ところ?)

よく分からない、と喜助の顔を見つめる。
「うん、此処の見た目は似てるね。あと少しだ」ぺたりと樹の表皮に触れた喜助は、何かを確信したように自信に満ちていた。

「ねえ、もうかえれる?」

なにがなんだか分からないいづみは、もう待ちきれないと言った様相で喜助を見た。それに対して彼は、ただ眼尻を垂らして笑むだけで、うんとは言わなかった。その代わりに、「確かめに一回山を下りてみようか」そう告げていづみを抱えたまま山を下って行く。

すると、道が開けたところでいづみは「あ!」と大きく叫んだ。

「ばあばのおうち!」

見間違えることのない古民家、その近くには自畑の野菜。いつもの見慣れた光景に足をじたばたさせ、喜助の腕から飛び降りようとした。「待って、危ない」と喜助が彼女の腰を押さえる。
そっと地面へ下ろした喜助は、駆けていくいづみの姿を申し訳なさそうに見つめていた。喜助は嬉しそうな顔をしなかった。いづみもそれに気づいていたが、それよりもばあばの家に戻れたことが嬉しくて、体が先に動いていた。駆け足になっては、「ただいま!」と口にした。







「ただいまばあば、いづみだよ! かえってきたの、おそくなっちゃったけど」

溌剌に玄関口で叫ぶ姿は、誰から見ても健気で幸せそうだった。
堪らず喜助は参ったなという顔をして首裏を掻く。が、その本意は言えるはずもなく。蒼天を見上げながら、山々に反響する蝉の鳴き声に耳を傾けていた。その後聞くであろう彼女の声を想定しながら。

(計算が正しければまだなんスよ、)

ひょんなことで彼女と出逢ってしまったが、少なくとも自分が招いた種だと自覚していた。詫びや当然の行動を兼ねて、理論上此処まで来たのは良かったが、相手が幼子というのは盲点だった。万が一、元へ返せなかったら。その先は言葉にしたくはないが様々な選択肢が過る。

「ばあば? いないのー?」何度か問ういづみに、ようやく中から人が現れ、──腰を曲げた老女がよたよたと出迎えた。
喜助は眉間に皺を寄せ、目を細めた。この後起こり得ることを見据えるように、いづみを見守っていた。


「おや、知らん子だねぇ、誰だい?」


ああ、やはり。喜助が納得する一方で、いづみは目を見開き絶句していた。
喜助は微動だにする事なく、その様子を眺め続けた。手助けしようにも、この場所がまだ元の居場所ではない、との理解を押し付けるにはこの手が一番手取り早かったのだ。全てを了知していた喜助には、この反応も想定内だったが、流石に心労に堪えたのか、「はあ、」と深く息を吐いた。

「こんなところで迷子かい? ばあばって言われてもねぇ、わたしの孫はこの子じゃないしねぇ」

悪気は全くないのだから老女を咎めることなど出来まい。が、この一言がいづみにとって現実を突きつけられる決定打となった。

「いづみのこと、おぼえてないの、」

これは逆に老婆を困らせ、罪もないのにおろおろと戸惑い始める。次第にふるふると肩を震わせ、目に涙を浮かべるいづみに、ようやく喜助が近寄って事情を取り繕いながら伝えた。

「どーも、おはようございます。不躾にすいません。この子、迷子のようでして。アタシと探して歩いてたんス」
「そうだったの、そりゃぁ大変だねぇ」
「早速ですがこの名前と住所に見覚えはありますかね?」

喜助が昨日と同じようにいづみの名札を見せると、老婆は「残念だけども」と眉尻を下げながら首を横に振った。最後に、住所は少しばかり似ているけどねぇ、と情けばかりの声をかけていた。

(前よりは近くなっているか、あと一回だな)

残数を思い返しながら、けれど確信めいた気持ちを胸にいづみに視線を落とす。「ひぐ、っく、」彼女は過呼吸気味にぼろぼろと大粒の涙を流していた。それでも我慢しているのか、両手拳を握っては肩を揺らし。
老女もこれには参ったようで、慌てながら「一緒にお巡りさんへ連れて行こうかね?」と申し出る始末。違うところだというのにヒトが良い者ばかりだな、と喜助は苦笑しながら「大丈夫っス! お騒がせしましたぁ」といづみを無理矢理横から抱え込んだ。

こうして二人は、出てきた山道へ再び戻るように辿っていく。

「やだ! かえる! いきたくない! おろしてぇ!」

いつまでも騒ぎ立てるいづみに「まだ帰れないんスよー、難しいっスけど分かってください」と子供へ言い聞かせるよりも自身への負い目を含ませながら告げた。そこまで子供は察しないだろうと、喜助は「辛い気持ちは分かるっスけど」と頬を掻いた。

このまま泣き止まないと今日の宿すら取れない。喜助は、悲しみに暮れるいづみへ無限発生のように懐から甘菓子を出し続けた。
「ほら、お菓子あげるから。泣き止んで」泣き叫び続ける子供をあやすことは不慣れである。こういった風に、飴と鞭でしか信頼関係が築けていない自身に呆れた。自分にも駄菓子屋に住まわせている子供が二人いるが、実子ではない上に物分かりはいい。此方側の存在すら深く認知している。ここまで幼くないからだろうか。

暫く駄菓子を頬張らせていると、泣き疲れて腹も満たされたのか眠そうに体を揺らし始めた。いづみの意識が遠のいていることをいいことに、喜助は実験がてら馴染みの歩法で町へと出た。

何処までかは不明だがこの場所でもこの力は使えるらしい。そう確信を得てから、あとは地道に寝所を探す。
ふあ、と欠伸を落としながらも頑張って起きようとするいづみ。その小ぶりな頭を自身の肩口へ戻すように押さえた。

「もう宿に着くから寝てていいよ、おやすみ」

すうすうと規則正しい寝息を聞いたあと、ごめんねいづみ、と詫びた。


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