朝は陽が照りつける前に出ることにした。
ここからは車で数時間。山道もあるので早めに出た方がいい。それに気紛れな山の天気も心配のひとつだ。まあ、ずっと晴天が続いていたので、降られることはないのだろうけど。

そうして、早朝から身支度をして、遺品や思い出の品々を後部座席に乗せて。祖母へ「いってきます」の挨拶を終えてから、よし、出発。

意気込みを胸に、バン、と運転席の扉を閉める。
すると、暫くして漂う違和感。ひとの気配。
何気なく横を確認すれば、──ぎゃあ! いづみは勢いよくドアに身を寄せた。

「な、なんで、あなたがここにいるんですか……!」

身の危険を感じ、荒げた声。
心拍が上がり、バクバクと叩き鳴らしては危険信号を発している。
助手席の人影に気づかず乗車した自分も大概周りが見えていないが、流石にこれはドッキリを超えてホラー。死神男が昨日のままの恰好で、ニタニタとこちらを眺めていたのだから気味が悪い。単なる悪戯にしても限度がある。

「なんでって、明日きますって約束したじゃないっスかあ」

やだなあ、そう可笑そうに言ってから、おはようございます、と取って付けたような挨拶をされ。一応それに、「……お、おはようございます……」と消え入りそうな声で返した。

確かに明日伺う、とは言っていたが。会う約束まではしていない。それにまさか早朝に顔を合わせるなんて。昨日の会話はてんで噛み合っていなかった。
てっきり。あの「そっスか!」という空返事は祖母を訪ねるため親戚に会うのを承知した意、ではなかったのだろうか。

(ええ……なんなの、怖いんだけど、)

昨日はほんの少しだけ良い人へ心持ちが傾いたばかりに、一気に不信感が募る。死神と自称するだけあって、ひょっとして自分の命を狙ってるのでは、と嫌な予感がした。狙ったところで目的は不明だけれど。

「はあ、びっくり……。いったいどうやって入ったんですか、そっち鍵かかってましたよねぇ」

息を整えるように胸に手をあて、落ち着かせる。

「はい、ロックされてたんでそちらの運転席側から」
「子供みたいな真似しないでください、不法侵入ですよ」

だろうとは思ったが、本当にそうだったとは。
会って早々、立て続けに驚くことへ疲れを感じ、猜疑心が増す一方だった。

「…それで。なんの御用でしょうか」

逃げ場がないこの危機的空間。その上、朝っぱらからの低血圧も相まって体も声も強張る。

「そんな恐い顔なさらずに。実は折り入ってご相談がありましてね、聞いてくだされば、と」
「相談内容によります」

恐い顔をさせているのはどこのどいつだ、といづみは顔を顰めたまま、睨めるように横眼で見やる。

「少しの間、いづみサンのお家を間借りさせてもらえないかなあ、と思いまして」
「……はい?」

気の抜けた返事が出た。
何の脈絡もない申し出に、いづみは呆気にとられながらも体を彼の方へ向ける。なんとも不審すぎる相談、というより懇願。車だけでは飽き足りず、家まで上がるというのか。非常識極まりない内容に恐怖を覚え、剥き出しにしていた敵対心が動揺を伴っていった。

「ですから、あなたの家を拠点に活動させていただきたいなー、と」

拠点? と首を傾げ、「なに言ってるんですか」と小さく吐いた。門前払いにしてはあまりに弱々しい。

「駄目っスか? お手伝いもお支払いもしますし、隅っこでいいんで、期間限定っス」

目前の声はまるで遠くの方から響いているかのようで、とても現実のものとは思えず、頭を抱えたくなった。しかも、まるでこちらが得をするような言い草。期間限定のお手伝いに、恐らく賃料も支払われる。そういうことなのだろう。──いやいや、おかしい。これは冷静にならなくても明かに答えは一択。

「ダメに決まってるじゃないですか」
「まぁそうっスよねえ〜」
「なにを根拠に大丈夫だと思ったのか逆に聞きたいですね」

はあ、と今度は向こうが溜め息を落とす。いよいよ訳がわからない。こっちが溜め息を落としたいところだったが、やり返すのは大人気ないのでやめた。

「お優しいいづみサンのことです、こちらに家がないアタシのために、寛大な心を以て宿を貸してくれないかなー、なんて単純に期待してしまいまして」

太鼓持ちのような常套句を受けると、むむ、と拒否するはずが尻込みを覚えた。彼の姿はあからさまに、へつらうように、媚びるように。分かっているが、そんなに言われると悩む。

「ですが。昨晩はくらーい山の中、じめじめとした湿地の上でも睡眠はとれましたんで、問題ないっス」

まさか、昨日は宿無しで、尚且つ土の上で寝たのか。
少しだけ夜風は涼しかったものの、あの気温。熱帯夜には変わりない。
同情を誘うような事由に、「う…」たじろぐいづみは軽く耳を疑った。しかし彼のことだ。安直に信用してはならないのだが、ふと視線を落とせば、羽織りについた土汚れが目につく。野宿をしたのは限りなく事実に近いようだった。せめて、それらを払い落としてから乗って欲しかった、と別の方へ意識が向かせられた。

「……ホテルとか、他にあてはないんですか」
「まあ身分を証明できるものがないですし、ホテルですと資金がすぐに底をつきそうで」

つまり、自分が断ったらホームレス。彼の言う調べたいこととは、ひょっとしてお家に帰れないのでは? いづみの良心が囁き始めた。過去、幼少時に別の場所に迷い込んだとき、どうしようもなかった。もしも今、この人も何か事情を抱えていて宿がないのであれば。
──だとしても、良心と実際問題は別だ。無理なものは無理だと示さないと。

「うちは一人暮らしなので、リビングと寝室ひとつしかないですし、男女が同じ家に暮らすのはどう考えても無理ですよ」

そして自分自身を納得させるように、無理です、と二度重ねた。

「そういった部分が気になるようでしたら、間違ってもあなたに変な気は起きませんし、間違ってもあなたの倫理観を欠くような行動はしませんので、ご安心いただけたらと」

満面の笑みで言う男。自身の安全性を証明しようとしたのだろうが、思いの外、心が甚大な損傷を受けた。
顔には出さぬよう努めたが、ヒク、と頬が引き攣る。腹立たしくはない、ただ、立場が失くなるような虚しさ。確かに幼少期を知っていたらそうなのだろうが、些か直球すぎやしないだろうか。

「そんな二回も言わなくたって」
「いづみサンも二度言いましたし、きっぱり告げた方が説得力があるかと」

助手席から降りる気配を微塵も見せない彼は、本気で家へ上がり込む気か。いづみは、どうしよう、と再び眉を顰めた。

(おばあちゃんだったら……困ってる人を見捨てたりしないんだろうなあ、)

でも私はばあばじゃない、と強く言い聞かせてから、ぐっとハンドルを握る。なにしろ他人を住まわせるなんて面倒でしかない。利点もなにもないのに、冗談じゃない。やっぱり断ろう、もう帰らなきゃ。保身に走る決心を胸にいづみが降車を促そうと口を開きかけた、その時、──。

「…あのー、雲行きが怪しくなってきましたし、とりあえずいづみさんのお家へ向かいません? ほら、上」

「えっ」彼の送る視線につられ、フロントガラス越しを見上げれば、ポツ。そして数秒おいてまた一滴。

「あ……そ、そうですね。ひどくなる前に行かないと……。えっと、じゃあ、向かいながら考えましょう」

降りそうだなんて予報はなかったのに。山の天気はそれの例外か。
暗雲が垂れ込める中、宿無しの人へ降りろなんてこと、決心を遮られたいづみには言えなかった。言えるとしたら、心が氷みたいに冷たくて、良心の呵責にも耐えられるような、喩えばそう、今を迎える直前の自分。かつて世話になった人にさえ、こんなにも情がなかったのか、と自嘲すら起きなかった。

対する彼は、これからを何も考えてなさそうな素振りで、赤の他人を信頼しきっているような。それに気づいた時には彼に言い包められたかの如く、先程までの敵対心が消沈していた。


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