「はい、存じてます」そう言って彼は微笑んだ。
あっ、小さい頃を知られているんだった、といづみはそれに気恥ずかしさを覚え、思わず顔を背ける。
そうして、先の言葉を反芻した。

────死神。
こちらの常識で云う『死神』というものは、タロットカードで見るような暗色外套が大鎌を持ち、骸骨のおどろおどろしい架空の生物なのだけれど。彼の言うそれとこちらの概念は一致しているのだろうか。仮に言葉どおりの恐ろしいものだとして、今その答えを訊いてしまったら。……夢物語はなかったことにしたのに、想像上の生き物は容易く信じる? ずいぶんと都合の良い脳みそだと思う。

考えた挙句、いづみはこれについて訊かないことにした。時空を行き来する死神からはきちんとした挨拶を受けたものの、まだ完全に彼自身を信用しきったわけではない。幼い頃は良くしてもらって、それなりに好意は抱いたが、それはそれ。成長した今、怪しむべき人物とそうでない人物くらい弁えている。彼は依然として前者。結局、どうして此処へ来たのかはぐらかされたままなのだから。

なけなしの疑心を悟られぬよう、いづみはすっと円卓から立ち上がる。

「…ところでアイス、ほしいんですか?」
「そんなアイスだなんて、お構いなくっス」
「だってさっき美味しそう、って」
「ああ、それは挨拶のひとつで」

初っ端の、美味しそうですねぇアイス、という言葉は彼にとっての挨拶らしい。駄菓子屋を営んでいると聞いたので気にかけたのだが。いづみは、やはりこの人の言葉を鵜呑みにしてはいけないんだな、と心に留めておくことにした。

「でもお食事はどうされるんですか? もうお夕飯どきですし、一人分なら用意がありますが」
「いやーお食事まで。女性のお誘いを断るなんてことは本来したくないんですがね、生憎ちょっと調べたいことがあるんで、今晩は失礼して明日また伺おうかと」
「はあ。…あ、でも明日の朝には帰りますので…代わりの者が対応させていただきますけど」

祖母の遺品整理もようやく終え、彼女の大事な品々だけ車に積んで引き取る。
四十九日忌までは祭壇が残されることになるが、それまで近くの親戚が訪ねる予定のため、明日この家に来られても別の者が対応する羽目に。もしも彼に自分の名を出されたら、と思うと気が気でなくなる。
そもそもどうして明日も来るのか、わからない。
その上、にこやかに「そっスか!」と返されては、訳を聞こうにもまたはぐらかされそうで。軽い返事に本当に分かってるのかなあ、といづみは出そうな溜め息を呑み込んだ。







あれからすぐ彼は縦縞模様の帽子を手に「お邪魔しました」と出て行った。
玄関先まで来ると、彼はお社のある山奥の方へ向かって歩いていく。何やら調べたいことがあると言っていたが。杖一本で機材もなく一体何を調べるのだろう、山の測量士じゃあるまいし、とジャリジャリと土を踏む下駄男の背中を見送った。


しん、と静まり返る居間。独り戻ると、なんだか実体のないものと妙な体験をしたような、力の抜けた感覚に襲われた。香炉からは三本の線香が燻る。細い煙がゆらゆらと立つさまを眺めて、ああやはり幻影なんかではなくて、先ほどまで彼はいたのだと実感させられた。
煙越しの祖母の遺影が、心なしか微笑んでいるような気がした。

遺品整理をしてアルバムを眺めて思い出に浸って。
特段何かをしたわけではないのに、友人が来てからは更に長い一日だったなあ、といづみは最後の夕飯を支度し始める。

夏の間、祖母とよく食べた素麺を一人分だけ作って、「いただきます」
昨晩まで夕飯はあまり喉を通らなかったが、素麺はつるつると食が進む。もう少し茹でようかと思ったけれど、食べすぎると素麺でも太ってしまうと聞いたので腹八分目に抑えた。

……長いこと哀惜の念に堪えず、悼んでいた。
それもだいぶ涙が引いて。食欲が戻ってきたことに、自分の精神面が落ち着いてきたのを感じる。たったの一日で、干からびていた生力が湧いてきたのかもしれない。冷茶を啜りながら、いづみは懐かしい友人とおじさんに心の中で感謝した。

(…あ、おじさんじゃ失礼なのか)

とは言え、子供の頃の印象が残っているから仕方ない。
それに次があるのかわからないし、明日はいないし。まあなんでもいっか、と満腹感にのけぞって外を見つめれば、大窓から覗く星空が眩い。久しぶりに夜空を見て綺麗だなと思えた。リリリリ、と虫の音が、夜風に乗って網戸を通る。ああ、涼しい。ようやくの秋の訪れに、張り詰めていた心が溶かされたようだった。

一人でご飯を食べても苦を感じない、一人のような気がしない。人と会話をするだけでこれほど、鬱した気が晴れるものなのか。ここへ来てからもう十二分に涙した。悲愴に暮れることだけが祖母を想う所作ではない。──強く、そう思う。
そして、おばあちゃん、と呼んでから写真に向かって。

「明日、帰るね。次は四十九日にくるから」

いづみは最後の遺品整理を終えた。


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