▼ 8 呪術師と出会う
あれから数日。クレッドはほぼ毎日、夜になると俺たちの仮住まいにやって来た。仕事も忙しいというのに、合間をぬって俺の様子を見に来てくれているのだ。
記憶は相変わらず戻らないが、優しすぎるほどに接してもらい、感謝の念すら湧いてくる。
領内の家では皆でオズの夕食を食べ、歓談をして過ごすという穏やかな日々が続いた。
そして毎回玄関先で見送る際、奴は俺をしっかりと抱き締め「おやすみ」と別れの挨拶をする。
正直これにはまだ慣れない。だが以前の俺たちの習慣なのだろうと、恥ずかしく感じながらも受け入れていた。
昼間はというと、まだ本格的な任務は決まっておらず、記憶が戻ることを期待して、家や領内を見て回り過ごしていた。
ある日のことだ。魔術師専用の別館をうろついていた時、見知らぬ男に声をかけられた。
「こんにちは、セラウェさん」
耳障りの良い低音に振り向くと、そこには灰色の上質なローブを羽織った、銀髪の男が立っていた。
背が高く、とんでもなく顔立ちの整った、大人の紳士に見える。
「……えっと、こんにちは。すみません、どなたでしょうか? ……もしかして、同僚の方ですか」
おいおい俺はまたこんな美形と知り合いなのかと驚きつつ、この場所や男の桁違いの魔力量から、瞬時にそう判断した。
男はにこりと妖艶な笑みで頷き、藤色の瞳でまっすぐ見つめてくる。
「ええ、そうですよ。初めまして、ではもちろんないですが……私は呪術師のマキア・エブラルと申します。この教会ではセラウェさんと最も親しい魔術師であり、あなた方ハイデル兄弟の近しい友人でもあるんですよ」
言いながら俺のすぐ目の前まで来て、顔を覗きこむようにお辞儀をしてきた。
……あ、やばっ。
すげー美形だ。弟のおかげで慣れているはずだが、大人の色気に圧倒され、なんだか汗ばんでくる。
いやそれよりも、こんな格上の魔術師と友達って……マジかよ。
知らないうちに俺どんだけ出世してんだ。信じられないんだが。
「ええっ、それは光栄といいますか……はい。あなたに比べたら俺なんか下っ端レベルですし……あ、やっぱり弟のおかげかな? あいつ凄いしな、こんな所の団長やってるんですからね…」
正直混乱していた俺はペラペラと喋るが、呪術師は驚いたような顔を向けた。
「何をおっしゃるんです、セラウェさん。そんなに謙遜しないでください。……というか、本当にあなたですか? 随分性格も違うような…」
何気に失礼なことを言われた気がしたが、前の俺は一体どんな振る舞いをしていたのかと自分を訝しんだ。
だが昨日のデカ騎士同様、俺の素の態度もすでにバレている仲なのかもしれない。
これはあまり気を張っても、疲れるだけかもな。
「ふふ。私に対しては敬語など使わずに、気楽に話してくださいね。……ところであなたにお聞きしたいことが。ロイザさんはどちらですか?」
「……え、ロイザ? ……うちの使役獣に、何か用があるのか?」
「はい。あなたの記憶喪失の原因は、そもそも幻獣の神秘魔法によるものですよね。解決のために、一度彼からお話を聞いてみたいのです」
エブラルという呪術師が真剣な表情で申し出る。
この男はきっと教会で働いているぐらいだから、実力も相当なもののはずだ。俺と同じく、魔術を嗜む者としての探求心もあるのだろう。
「そうか。気持ちはありがたいんだが、今あいつがどこにいるか、俺にも分からないんだ。というか俺がこうなってから、あまり領内にも寄り付かなくなって……夜はちゃんと帰ってくるんだけど…」
情けなく思いつつ、奴が自由気ままで使役者の俺でも完璧な制御が難しいことを説明する。そもそもロイザが自ら協力するとは思えなかった。状況的にいわば人体実験のようなことになるからだ。
あんな奴でも大事な使役獣なのだ。俺もまだ教会のことを、そこまで信用していないというのもあるしな。
「そうですか。さすがロイザさんは勘がいいですね。では仕方ありません。……セラウェさんのことを、ちょっとだけ調べてみてもいいですか?」
「……えっ? な、何する気だ、あんた」
思いも寄らぬ提案に、俺の腰が引ける。
だが呪術師の瞳はどこか影を映しながら、不気味な笑みを浮かべたままだ。
なんだろう。この既視感は。
感じの良さそうな、美しい紳士なのだがーーなんか危ない匂いがする。
「心配いりませんよ。あなたも馴染みがあるでしょう、催眠魔法のようなものです。私も得意なんですよ。やや高度なものですが。記憶の裏側に何か手がかりがあるかもしれませんし」
催眠魔法、という言葉に引っ掛かる。
それは俺の専門分野だ。
この男の実力は確かに信頼出来そうなものではあるが。人としてはまったく初対面なのだ。
「嫌ですか? セラウェさん。あなたの気持ちはわかりますよ、まだ知り合ったばかりのようなものですからね」
「そ、そうでしょ。怖いだろ普通に考えて」
「分かりました。ではもうひとつ提案が。……メルエアデを呼びましょうか?」
にやりと銀色の眉を動かし、突如とんでもない名前を口にした呪術師を見やる。
俺はじりじりと後ずさった。
「お、お前……何者だ。なんでそいつを知ってるんだ? これはなんかの罠だったのか? くそ!」
「……落ち着いてください、セラウェさん。ただあなたの師の名前を言っただけで、どうしてそこまで動揺するんです。……まあ気持ちは分かりますが」
だってこんな所であの暴君の名前を聞くとは思いもしなかっただろうが。
エブラルは苦笑し、説明をし始めた。
なんと奴は、俺の師匠と同門で、昔からの付き合いがあるらしい。
俺自身、師匠のグラディオール・メルエアデとは多くて年に数回ほど会う間柄だが、まさかここにいることを知っているとは思わなかった。
「そうなのか。じゃああんた師匠の知り合いなんだな。てことはロクな奴じゃねえな」
「ちょっと、酷いですよセラウェさん。そこまで私の評価を急に下げないで頂きたい」
立腹した様子のエブラルだが、さらに怪しさがつのる。
師匠のハチャメチャぶりを知っている弟子からしたら、その仲間の呪術師を前に安穏とはしていられない。
「とにかく、この事師匠には黙っててくれよ。確実に面倒なことになりそうだし。……弟の職場だからな。気をつけねえと」
そうだ。俺の状況を面白がられて、引っ掻き回される懸念もある。師匠に関しては考えすぎということはないのだ。
「もちろん言いませんよ。それにしても、今のセラウェさんも弟のハイデル殿のことが大切なようですね。私も安心しましたよ」
さっきまでの緊張感をやや解いて、人間味のある表情で話され、こっちも面食らった。
「そりゃ、弟だしな。ダチなら俺の師匠のやばさ知ってるだろ。ここに来られたくないんだよ。……つうかなんであんたが心配するんだ? 俺と、クレッドの仲……」
戸惑いつつも尋ねた。
こいつの口ぶりからすると、俺達のことを少なからず知っているのは事実のようだ。
自分は何も思い出せないため、気を遣われるとなんだかモヤモヤする。
「もちろん、心配ですよ。お二人のことは近くで見守ってきましたからね。セラウェさんのことも気になりますが、私はハイデル殿のことも心配なんです。あの方、セラウェさんのことが大好きですから。きっとあなたのことを、これまで以上に毎日考えていると思いますよ」
俺は勢いよく顔を上げた。
その台詞が頭の中で響いて、ぐるぐると駆け巡る。
だが、すぐになんて答えればいいのか分からない。
「どうですか、何か思い出したり……しませんか?」
「いや……」
「ハイデル殿があなたを好きだということ、そのことについて……何を感じます? 嫌ですか、嬉しいですか?」
なんだその質問は。
個人的なことすぎるだろうと文句を言いたくなったが、なぜか体に力が入らなくなってくる。
呪術師のほの暗い藤色の瞳から、目を逸らせない。
「嫌、じゃない……俺はあいつと、仲悪くて……それが嫌だったんだよ。……本当は、またなついてきて欲しくて……昔みたいに……だから、今……一緒にいるのが、嬉しいって思って……」
何を見知らぬ男にぺらぺら話してるんだ。
そう思うのに抗えない。こいつ、一体俺に何をーー。
「そうですか。ではあなた方はひとまず両思い、ということですね。良かったです。……セラウェさん、私からひとつお願いがあるのです。よろしいですか?」
エブラルは手を差し出した。俺の顎を取り、まっすぐ見つめてくる。
おかしなことに俺は抵抗もせず、ただその事態を受け入れていた。
「どうか、ハイデル殿のあなたに対する気持ちを、大事にしてあげて頂きたい。強い言葉で拒絶するようなことだけは、しないであげて欲しいんです。……これから、何を知ったとしても」
何故だかは分からないが、その真剣な言葉に、俺は衝撃を受けていた。
胸の奥を抉られたような得体の知れない感情だ。
脱力しどこか意識もぼんやりしていた中、一方で、心の奥底では反発心のようなものが芽生えていた。
「そんなこと、俺はしない。あいつの気持ちを拒絶、なんて……絶対しねえよ……」
自分でも驚くほど素直な気持ちが涌き出ていた。
記憶がないことによる混乱は治まらないが、それはずっと前から潜在的にもっていた、クレッドに対する兄としての思いだ。
どうしてそんなことを聞いてくるのか、分からないが。
オズにしても、昨日の騎士にしてもそうだ。
皆して、俺と弟の仲を気遣っている。それも過剰と思えるほどに。
不思議に思いながらも、俺はだんだんぼんやりしていた。
突然足ががくん、と折り曲がる。
とっさに手を伸ばした呪術師によって、支えられた。
「お前、マジで、何したんだ。……ふざけんなよ……すげえ眠い……」
「申し訳ありません、セラウェさん。本当にあなたは術に対する抵抗が薄いですね……大丈夫ですよ。私の研究室で少し休んでいってください。ほら、すぐそこですから」
そう言われて体がふわりと持ち上がる。
俺はいつの間にか重い瞼を閉じ、しっかりとした男の腕に身を預けていた。
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