セラウェ記憶喪失編 | ナノ


▼  7 弟の異変

「兄貴……ッ!」

殺気を放ち走り寄ってくるクレッドの姿に、俺は説明の出来ない既視感に襲われた。
あれ……この光景、初めてのはずなのになぜ覚えがあるんだ?

扉を開け放ち、目の前まで向かってきた。
弟は騎士を真上から睨み付ける。

「お前、こんな所で何をしてるんだ、ユトナ」
「何って、見ての通りセラウェとお茶だよ。自己紹介がてらな」

優美な笑みで語る騎士に、険しい眼差しが降り注いでいる。
クレッドのやつ明らかに不機嫌そうなんだが、一体どうしたんだ。

「自己紹介だと……? 何か変なこと言われてないか、兄貴」
「……えっ。いや別に、それは……」

一瞬ぎくりとするが、なんで分かるんだこいつ。
だが今、さっきの話は恥ずかしくて、とてもじゃないが言い出せない。
口ごもっていると騎士の笑い声が響いた。

「ほら、言った通りだろうセラウェ。ハイデルはものすごく焼きもち妬きでね。俺たちのデート中に、よくこうやって邪魔してくるんだよ」

騎士が優しげな瞳で俺に語りかけるが、いやこれデートじゃねえし。変な言い方すんなとキレそうになった所で弟が口を開いた。

「……その辺にしておけ。あんまり俺を怒らせるなよ、ユトナ」

クレッドは顔に貼り付いたような笑みを浮かべていた。
対してユトナも意に介してない風に、笑顔を返す。

なんだこの混乱を誘うやり取りは。場にそぐわない殺気が充満していて息苦しい。

「ふふ、どうした団長。いつもの元気がないみたいだが……お兄さんの前だからか?」
「ああ、そうだ。俺は今すごい我慢をしているんだ」
「珍しいな。まあ猫を被ってもお前のことだ、すぐ剥がれると思うぞ」
「うるさいぞ、知った風な口を聞くな」
「友人として知ってることだが。……とにかく、俺がセラウェと再び親睦を深めようとするぐらい、許してくれてもいいんじゃないか」
「駄目だ。だいたい再びってなんだ、お前が兄貴と親しかったことなんて一瞬もないだろ」

二人が勝手に喋っている間、なんとなく間に入りづらく、置いてきぼりを食らったみたいに感じた。

「……なんかお前ら、仲良いんだな。むしろ俺のほうがお邪魔じゃないか」

ぼそっと呟くと、男達の驚きの視線に晒される。

「はっ? 兄貴、邪魔はこいつだ。変な誤解しないでくれ。大体いつも俺と兄貴の仲に入ってきてーー」
「そうなのか…? ていうか俺達いつもそんなに一緒にいるのか?」

怪訝に思い尋ねると、顔を赤らめたクレッドが小さくこくりと頷いた。
……なんでそんな照れた雰囲気なんだ。なぜかこっちまでどぎまぎしてくるだろうが。

様子を見ていたユトナがまた笑いながら、ゆっくりと立ち上がった。

「さて、もうこんな時間だ。俺はそろそろ行くよ。団長は?」
「……後で行く。先に戻ってろ」
「了解だ。じゃあまた今度な、セラウェ。今日は楽しかったよ」

ぱちりと目で合図をして、優雅に去っていった。
食堂の個室に二人で残ってしまい、また緊張感が走る。

バカか、こいつはただの弟なんだぞ。考えすぎだ。

クレッドはなぜか俺の隣に腰を下ろした。
いや近いんですけど。男二人で並んで座ったらおかしくないか。

だが突っ込む勇気がなかった。それに俺の中では、まださっきの衝撃から覚めていない。

「お前、仕事大丈夫なのか?」
「え? うん、時間は大丈夫だよ。それに、こっちのほうが大事だし」
「……あ、そう…」

また沈黙が流れる。
どうしよう、やっぱ昨日の今日だし、少し気まずいな。
思いきって話しかけてみるか? いや、でもーー。

「兄貴、あいつに何言われたんだ?」

気がつくと、俺に向き直ったクレッドが真剣な顔で覗き込んできた。
やけにドキリとするが、家族ながら奴の整った顔立ちを見て、さっきの騎士よりもさらに男前だな、などと無関係のことを考えてしまう。

「……いや、別に……つーかなんでお前そんな、すごい気にしてんだ?」 

何げなく尋ねると、クレッドは若干頬を赤らめて俯いた。

「嫌だったか…? ごめんな、癖なんだ。心配で」

恥ずかしそうに話す弟を見て、突然胸がぐっときつくなるのを感じた。

なんだ? 今のは。
なぜ俺は鼓動が速まったんだ。

「嫌とかじゃなくて、気になっただけだから。珍しくてさ。……あ、なんか昔のお前みたいで…」

笑ってごまかそうとすると、余計にクレッドが赤くなる。
そう、本当に小さい時の弟のようだった。俺を兄ちゃん、とかそう呼んでた時のあどけない可愛かった頃。

今の弟の雰囲気は時々それを思い出す。体格もさっきの同僚とのやり取りも、全然違っていたのに。
なぜか俺の前では、こんな風に、昔に戻ったかのように見える。

「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど。お前と仲良くなったってことは、たぶん俺の事も知ってんじゃないかと思って…」
「……なに?」

このままじゃ心のモヤモヤも晴れないと思い、意を決して口を開く。

「さっき俺とあの騎士ーーユトナのこと、親しくないってお前言ってただろ、あれほんと?」

弟が目を見開く。そして断言するように頷いた。

「ああ。全然親しくないぞ。やっぱり何か妙なこと言われたんだろ? それ全部嘘だからな」
「マジで? じゃあ俺とあいつ、付き合ってないよな?」
「つ、付きーーは!?」

さらっと流して欲しくて早口で聞いたが、クレッドが微動だにしなくなってしまった。
そしてぷるぶると震えだしている。

「あるわけないだろう、そんなこと! あの野郎、さっそく兄貴に有ること無いこと吹き込んできやがってーーッ」

一瞬ほっとした俺だが、弟の熱すぎる反応にびっくりして言葉がでない。
あの騎士が言っていたように、どうやら俺の弟がひどいブラコンだというのは、事実らしい。

計算すると25才になった、見目麗しい立派な青年なのに、こいつはなぜこうなってしまったんだ。
考えようとするが何か恐ろしく、止めておいた。

「大丈夫だって、そりゃそうだよな。からかわれただけだ。なんで俺あんなビビっちゃったんだろう」

奴をなだめつつ自嘲気味に話す。
それは本当だった。どういうわけか騎士の冗談が一瞬そう聞こえなかったのだ。

やっぱりまだ記憶が不安定なせいかな。

「兄貴。あいつにはくれぐれも気を付けてくれ。……いや、他にも色々いるが。とにかく身の安全が第一だ」
「え、どういう意味だ? 他にもああいう危ない奴いるのか? この騎士団どうなってんだよ」

焦りながら聞き返すが、弟の衝撃的な発言は止まらなかった。

「騎士団だけじゃない。兄貴はすごく可愛いから、すぐ狙われるんだ。気をつけないと駄目だよ」

真剣な表情でじっと見つめ、忠告する弟。

か、可愛い……だと?
頭大丈夫かこいつ。なんかもう昨日から驚愕しっぱなしなんだが。

まさか俺が弟との冷えた関係に思い悩んで、怪しげな術かなんかで洗脳したとか?

駄目だ、もはや本気なのかどうなのか分からないし、聞き返せない。

「あのさ、クレッド。昨日からお前ずっと、俺のことすごい好きみたいに聞こえるんだけど……なんちゃって」

一旦冷静になろうと、冗談めかして探りをいれる。
すると俺はこの日一番の、奴の赤面を見た。

「…………ッ、兄貴」

え?
耳まで真っ赤に染めて、潤んだ蒼い瞳が動揺に揺れる。
ちょっと待てよ、全く兄弟への反応に思えないんだけど。どゆこと?

「あの……もちろん、好きだよ。兄貴のこと好きに決まってる」

それは心のこもった言葉だった。
ふざけてるとかじゃなく、まっすぐに目を見つめられては、俺は何も言えなかった。

自慢じゃないが、こんな熱っぽい告白をされたことなんてない。

いや、弟だぞ。
家族としてのあれだと分かっているが、なにか違う。

「だから、そのことだけは忘れないで……兄貴」

手を握られたが、わずかな時間でそっと離される。

「え……?」

心臓が鳴りっぱなしだ。どうしたんだこの空気、一体二人の間に何が起こってるんだ。

「ええっと……分かった……。覚えとく、から」

俺はクレッドに面と向かって、そう答えるのが精一杯だった。



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