セラウェ記憶喪失編 | ナノ


▼ 5 ロイザとクレッド

午後の空いた時間を利用し、俺は白虎のあの男を探した。
側近のネイドによると、兄貴はオズとともに聖堂での研修に参加しており、鉢合わせる恐れもない。話す内容は兄の耳には入れたくないからだ。

だが、あの自由奔放で人の枠にはまらない獣の、足取りを掴むことは容易ではなかった。

領内にいることを願い、仮住まいや敷地内を数度往復した時だった。

騎士団本部の屋上に何やら気配を感じ、そこへ向かうと奴がいた。
人型のまま長椅子の上に寝そべり、空を仰いで目を閉じている。

「おい。ここは許可なく入っていい場所ではないぞ」

ものすごく時間がかかった苛立ちから、奴を上から見下ろし凄む。
すると片目を開けて確認された。日の光のためか、動じない灰の瞳がさらに透けて見える。

「ほう。そんな所に団長が何のようだ。まさかやっと俺との決闘を承諾しに来たか」
「……兄貴の一大事にそんなことをしている場合か」

腕組みをして舌を打つと、白虎は褐色の体を起こした。足を大きく開き、下から不遜な眼差しで見つめてくる。かすかに上がった口元が余計に不快だ。

「お前の一大事だろう、弟」
「ああ。分かってるなら話は早い。お前、何か隠してるんじゃないか」

時間がもったいない為核心を問う。
表情の変化を伺うが、奴は普段からほぼ無表情だ。身体も人とは違う不気味な静けさを纏っているため、非常に挙動が読み取りづらい。

しかし、白虎の答えは意外だった。

「どういう意味だ。セラウェのことか。……なるほど、お前は俺を疑っているのか」

ぴくりと奴の眉が上がる。
真っ向から見つめると、鼻で笑う声が聞こえた。いちいち癪に障る男だ。

「事故に疑いはない。だが、兄貴の症状を戻す方法を知りたい。お前に心当たりがあるのならーー」
「俺は知らん。治せるものならとっくにやっている」

白虎が目力を強めて立ち上がる。
その言葉を信じたいだけなのかもしれないが、奴が嘘を言っているようには思えなかった。

「そうか。お前にも分からないということだな。……ではひとつ提案がある。いや……これは俺の頼みだ。事故解明の為、教会の魔術師達に協力してくれないか?」

真剣に尋ねると奴は目を見開いた。

「お前自ら俺に頭を下げるとは、よほどこの状況が堪えているらしい」
「まだ下げてないだろ。ただ頼んでるんだ」
「ふっ、同じことだ。なんと愉快な……だが待て。幻獣の俺に奴らの実験体になれというのか? 非情な男だな。動物好きの兄が泣くぞ」

相変わらず口の減らない獣だ。
最初からすんなり受け入れるなどとは思っていないが、すでに骨が折れてくる。

「そもそもお前が俺に協力する理由もないか……兄貴から今の俺の記憶が無くなったところで、好都合ぐらいに思ってるんじゃないか」

ため息まじりに卑屈な言葉が出る。
すると奴は、今度は明らかな怒りの表情を浮かべた。

「俺の主への思いを甘く見るなよ。あの事故からセラウェの幸福感があきらかに下がったぞ。お前のせいだ。主の感情の変化は、感覚を共有する俺の飯にも影響する。これはまずい」

予期せぬ言葉を突然告げられ、途端に力が抜けてくる。

幸福感、だと?
信憑性などは正直分からないが、今の俺の胸には十分な衝撃を与えた。

「兄貴は俺といるとき、幸せだったってことか……」

そんな事は、考えたこともなかった。俺がいつも幸せにしてもらっているばかりなのだ。

「……お前、なんでそういう有益な情報を、早く言わないんだ?」

頭を抱えながら呟く。白虎は再び短い息を吐き、後ろの長椅子へと腰を下ろした。

「ふん、俺の特権を何故お前にただで教えてやらねばならん。図に乗るなよ、小僧」

上から目線の言葉にも、何も言い返せなかった。
こいつにやたらと敗北感を感じるなんて、俺は孤独のあまり弱ってるんだろう。

「おい。いつもの威勢はどうした? 団長」

いらっとくるが、今の自分は反抗心が削がれているようだ。

「俺は兄貴に弱い。知ってるだろう」
「……知っているが、弱いお前はつまらん。前は面白い面もあったが、やはりお前は少々傲慢なぐらいが良い。好敵手としてはな」

ニヤリと笑いかけられる。もはや馬鹿にされているのか発破をかけられているのか、考えるのも煩わしい。

「分かっている。俺がもう一度、兄貴の記憶を甦らせてあげられればいいんだ」
「どうやって?」
「分からない」
「ほう。なるほど。矛盾しているな」
「…………」

完全に調子が狂い、髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。
獣とこんな所で会話している場合ではないのに、俺はこの拠り所のない気持ちを、誰でもいいからぶつけたかったのだろうか。

白虎はそんな俺に、さらに追い討ちをかけてきた。

「ではセラウェに、素直に言ったらどうだ?」
「何をだよ。言えるわけないだろ。嫌われて終わりだ」

きっと俺達の関係のことを示しているのだろう。
だがそんなことをすれば、改善しそうな兄弟仲ですら、完全に壊れてしまうかもしれない。

「そんなことはない。もう一度愛を伝えればいい。セラウェのことだ。困ることはあっても、嫌われはしないだろう」

さらりと言い放った奴の台詞は、青天の霹靂だった。

自分の想いを、改めて兄貴に伝える。
一瞬迷うが、とめどない恐れを感じた。目の前で愛する人に拒絶されたら、俺は一体どうなるのかーー

でも時間の問題だ。いつか言ってしまうかもしれない。
昨日だって、頭では抑えようと思っても、衝動的に抱き締めてしまったのだ。

「……はっ。お前に助言されるとはな……この世の終わりのようだ」
「まあ、そんな顔をしているな、今のお前は」

もう一度深いため息をつく。

この男とこんなに長い間話をしたのは初めてだ。何年も使役獣として飼ってきた兄の偉大さを思い知り、心から尊敬をした。

「それで、結局魔術師に協力する気はあるのか」
「ない。今の話で忘れてくれるかと思ったが、目ざといなお前は」
「……あのな、ふざけんなよお前ッ」
「慌てるな。まだその時期ではない。いいか、しばらく弟のお前が頑張る時だ。人間の愛の力を証明してやれ」

こいつ、だからこんな話を長々としてたのか。
俺はただ、この獣に良いように励まされただけじゃないのか。

うんざりしながら結局その場を去ることにした。

まあ、あれだ。
この件が全てうまくいったら、一言礼を言ってやってもいいかもしれないなどと、血迷ったことを一瞬だけ考えたのだった。



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