セラウェ記憶喪失編 | ナノ


▼  36 呪術師の特訓

クレッドの記憶を覗かせてもらうことによって、忘れてしまった記憶を呼び戻せるかもしれないーーそんな希望にすがりついた俺は、短期間ではあるが、なんと同僚の呪術師の弟子になっていた。

ここは領内にある魔術師専用特訓ルームだ。しかし以前見学した下っ端用ではなく、エブラルのような上級者向けの豪華な暗黒ホールにいる。

「セラウェさん。言いたくはありませんが、さすがメルエアデの弟子なだけあって、あなたは基礎がきちんと出来ていますね。妖術と呪術は似て非なるものですが、これほど教えやすいとは思いませんでしたよ。もともと霊感があるのでは? 素質が見られますし」

灰ローブをまとう長身の紳士が、銀髪をなびかせて語りかけてくる。
褒められて嬉しい気はしたが、俺は霊とかそっち系は大の苦手なのだ。

「そうですねえ……ホラー嫌いですけど、エブラルさんの特訓はすげえ勉強になります。ちゃんと理論立てて教えてくれるし、理不尽もないですし。もう俺あなたの弟子になろうかなぁ、はは」
「ふふ。是非、と言いたいとこですが、あの男の目の敵にはされたくないので、それは勘弁してください」

笑顔でぴしゃりと断られてしまった。ち、せっかくこの男からさらなる未知の秘術を引き出せると思ったのに。人生そう甘くはないらしい。

「とにかく、術者の感受性が豊かなのは良いことです。その分対象と同化出来ますからね」

微笑むエブラルにより、洗練されたレッスンが続く。

訓練は瞑想と詠唱が中心だ。練度はまだまだ足りないが、魔術師ならば日常的風景なのでさほど難しいことではない。
欲を言えば他者を使って直に実験をすべきなのだが、内容が非合法なこともあり、少なくとも領内では禁じられている。

ちょっと困ったなぁ。ぶっつけ本番でいくしかないみたいだが、俺としてはもう少し確信を得たい。
そう思っていたところ、俺達の訓練場にある人物が姿を見せた。

防音の固い扉が、ゆっくりと開かれる。外にいたのは、茶髪に大きな茶目をした俺の弟子だった。

「マスター、エブラルさんっ」

はあはあと大げさに息を切らしながら、近くに走り寄ってきた。

「なんだ? 何急いでんだお前」
「オズさん。お疲れ様です。頼んでいたものはどうなりましたか?」

平然と喋りだした呪術師を驚いて見やる。なんだよ、俺の弟子は教会だけでなくエブラルのお使いまでやらされてんのか。

じろっとオズを見たが、俺の予想は少しズレていた。

「いえ、すみませんエブラルさんっ。ネイドさんにこっそりお願いして、何回も試そうとしてくれたようなんですが、クレッドさんの隙が全然なくて……やっぱり無理だったみたいです。任務失敗してしまいました……」

しょんぼりと悔しげに眉を落とす弟子を訝しむ。
クレッド? こいつら、俺の弟に一体何を。

「待てよ、何の話だ? 何試そうとしたんだよ」
「ええと、それは……」
「ではやはりセラウェさんに頼みましょうか。対象にあまりバレて欲しくはないのですが、仕方ありませんね」

全く話が飲み込めない俺に、呪術師が耳打ちをしてくる。
奴の目的を知った俺は、目を見開いた。……そうか、そんなもんが必要だったとは。

「これは呪術の一種ですからね。あなたがメルエアデから教わった催眠魔法よりも、高度なものです。断片的な情報を喋らせるのではなく、直接記憶を覗き見ようとするものなので……一応準備が必要なのですよ」

ふむふむと生徒らしく納得する。
するとオズが遠慮がちに顔を覗き込んできた。

「すみません、マスター。元はと言えば全部俺のせいなのに、頑張るって大口叩いたくせに結局なにも出来なくて……」

可愛らしい目に涙を浮かべる弟子の背中を、ぽんと叩く。

こいつにもかなり心配をかけてきた。発端はどうであれ、師が記憶をなくして心労もあっただろう。

「起こったもんはしょうがねえしあんま気に病むなよ、俺は平気だから。それに今俺すげえやる気に満ちてんだ。方法としてはクレッドには本当に悪いと思ってるが……俺も色んなとこで成長出来てきてるような気がするんだ」

そうだ。今までは悩むばっかりだったが、解決の糸口が見つかった途端、考えが前向きになってきた。
自分の意思で何とかしたいと強く思うのだ。

だから、やるしかない。今こそ魔導師としての力を発揮し、この苦境を乗り越えてみせるのだ!

「はっはっは……ふははははっ!」

その時を想像し、俺はひとり高らかな雄叫びを上げていた。






その後、俺はクレッドの姿を探した。
あいつも最近忙しく、色々な場所に出向いているのか、領内を歩いてもすぐには見つからなかった。

団長室にもおらず、そこらへんの騎士に声をかけて尋ね、やっと聞き付けた会議室の周りをうろついた。

すると制服に身を包んだ団長が、書類や資料などを手に扉から現れた。
難しい仕事モードの顔を見て一瞬どきっとするが、俺は偶然を装い奴に近づいた。

「あっ、……よう、クレッド!」
「…………兄貴?」

目を凝らした弟が、途端に表情を柔らかくして俺の近くに歩み寄ってくる。
すると奴は少し前で立ち止まり、何を思ったのか左右を確認した。

誰もいないのを見て俺の手首をそっと掴む。
廊下の角を曲がった階段の下に連れられた。

人気のないとこで向き合い、どきどきしながらクレッドを見上げた。

「あの……元気か?」
「うん。兄貴は? 大丈夫か? 訓練とか……」

心配したように自然に頬を撫でて問われる。
俺は何度も首を頷かせた。すると弟は安心したように微笑んだ。

「兄貴、もうすぐ任務があるんだ。だからちょっとの間、あんまり会えないんだけど……」
「えっ、そうなのか。気を付けろよ、クレッド」
「ありがとう。兄貴も。……それで、……俺の術のことなんだけど、その前に兄貴に話したいことがあるんだ」

意外なことを告げられて瞬きをする。弟の顔つきはやけに真剣で、緊張の色が伺える。
俺は奴の気持ちを感じとり、深く聞くことはせず素直に承知した。

「分かった。大丈夫だよ」
「……うん。少し長くなりそうだから、俺が帰ってきてから…」

何の話なのか気になったが、クレッドの表情はやや曇りがちに見えた。疲れてるのだろうか。
それにやっぱり、不安があるのだろうか。

「俺のことは心配すんなよ。お前のことちゃんと待ってるから。いつも通り元気に帰って来いよ。……さ、寂しいし」

どさくさに紛れて付け足すと、クレッドがばっと頭を上げる。
赤みを帯びた顔で見つめられて、恥ずかしさから目を逸らした。

すると体がふわっといい匂いに包まれた。
弟の温かさと、いつの間にか覚えてしまった香りに抱き締められる。

「兄貴……一回だけ言わせて……」
「な、なにを?」
「好きだ。……兄貴が好きだよ」

二回言ってるが。
そんなことを思いながら、俺はクレッドの甘い言葉を耳元で聞いていた。
そして突然、迫ってきた奴の唇に、キスをされてしまう。

「んっ……」

おい、ここ廊下なのに。こいつは何してるんだ。

半分パニックになりながらも、あれ……前にもこんなことがあった気がするなと、俺はぼんやり考えていた。

意識が気持ちよくなったところで、俺はある使命を思い出す。
そして次第に、弟に対して罪悪感が募り始める。

俺がやろうとしていることを何も知らないクレッドは、うっとりした顔で俺にキスを与えてくれている。

「んむ……っ」

合間に息継ぎをしながら、俺は弟の首に腕を回した。
きつく抱き締めると、驚いた様子のクレッドに、また熱い抱擁をされる。

そうして俺は心の中で「ごめんっ」と呟いた。
奴の後頭部に手を伸ばし、数本ぶちっと引き抜く。手応えを感じた。

「……いてッ」

小さい声が聞こえたが、俺は素早くポケットにそれを隠した。

「はあはあ……」
「…………今なんかした? 兄貴……」
「え? いやなにも……」

若干怪しむ弟に焦った俺は、「気持ちよくて力が入り過ぎたごめん」と抑揚のない声で弁解した。

そして奴の胸にすがりつき、じっと見上げた。
クレッドはまたぽっと夢見心地の表情を浮かべ、俺に口づけをしてくれたのだった。

二人で秘密の行いをしていたが、遠くから足音が聞こえてきた。俺達は体を離し、また照れながらも向き合う。

「じゃあ兄貴、行きたくないけど、そろそろ行くな」
「うん。またな、クレッド。帰ってきたらまた会おうぜ」

二人で固く頷き合い、笑顔でその場を離れる弟を見送る。

寂しく思いながらも、まだ鼓動の高鳴りは静まらなかった。奴との触れ合いが気持ちよくて、心はときめいて、頭もくらくらしてくる……。

いや、ちゃんとしないとな。
しなきゃいけないことも、達成出来た。
大切な弟に痛い思いをさせてしまったことは、悔やまれるが。

これは呪術の成功の為に、やむを得ないことなのだーー。


ポケットの中で握ったままのブツを取り出し、確認する。金色の美しい髪が数本あった。
それをエブラルから貰った黒の革袋にしまった。

ふふ……媒介となる毛髪は、術者が直接採取した、フレッシュなものが一番効き目が強いのだ。

さて、これで準備は完了だ。
腐っても魔術研究の鬼である俺は、人知れずにやりと不気味な笑みを浮かべるのだった。



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