セラウェ記憶喪失編 | ナノ


▼ 37 大切だから

弟が任務へ出て一週間ほど経った頃、俺は司祭に呼び出された。
その内容はなんと、緊急召集命令だった。今回の騎士団主軸の任務において多数の負傷者が出ているらしく、治癒を施せる魔術師らが駆り出されているというのだ。

クレッドは大丈夫だろうか?
騎士団の苦境も心配だが、俺にとっては弟が一番気がかりだ。
仕事の隙にでも一目会って無事を確かめられたらいいと、意を決して現場へと向かった。

そこは、数十年前に住人が絶え、今はもぬけの殻となっている村里だった。
だが寂れた建物や住居に様々な怪奇現象が起こっているという噂が立ち、死霊や悪霊の類いがいるのではないかと、面白がって訪れる人が後を立たない。

瘴気に満ち、夜間は魔物さえも出没するこの地で、そうした人々の負傷や消息が途絶える事態が起こり、教会直属のソラサーグ聖騎士団による悪霊退治が行われているのである。

「すごい、無事に治ったみたいです。肩の重い感じも取れました。ありがとうございます、団長の兄上様」
「いやいや、わりと覚えたての聖力を使ってみただけなんで。まあ効いてよかったっす。念のため今日は大事とってくださいね」

教会の跡地を使った負傷者収容所で、俺は他の魔術師に混じり、騎士らを手当てしていた。周りにはずらりと簡易ベッドが並び、屈強な男達が痛々しい姿で横たわっている。

最初ここに来たとき、大変なことになっていると焦ったが、大がかりな任務では珍しくないようだ。だが俺は玄関口から運ばれてくる人々にクレッドの姿がないと知るたびに、密かに安堵していた。

束の間の休憩時、俺は少しでも騎士団の動向を知ろうと、邪魔にならないように教会内をうろついていた。
そこで俺を呼び出した張本人、上司の司祭を発見した。古めかしい石畳の廊下を静かに歩く、白装束の男だ。

「イヴァン! 戦況はどうなんだ? 大丈夫なのか」
「ーーああ、セラウェ君じゃないか。君の活躍は耳に入ってるよ。来てくれて助かった、礼を言おう」

この男はいつ見ても落ち着いていて、ほんとに任務に勤しんでいるのかというほど服装の乱れもない。余裕の笑みを見てもそれは明らかだ。

「騎士団もかなりの負傷者が出ているが、心配いらないよ。治せば済むことだし。こういう状況では治療体制を整えることが大事だから、僕ら魔術師の体力のほうが重要なんだ。交代で休んでくれ」
「……ああ、それは分かってるけど……あのさ、弟は大丈夫かな? ちょっと心配で」

大丈夫に決まっているさ、あのハイデルなんだから。そう言われることを当然のように期待した俺だったが、司祭の顔が渋くなる。

「……ハイデルか。いや、それは……」
「え? ちょっと、嘘だろ? 今不謹慎な冗談やめろよ」
「冗談ならいいんだが……とにかく、今ハイデルには会わないほうがいい。というか、会っては駄目だよ、セラウェ君」

一方的に言われて一瞬怯む。胸騒ぎが全身に広がっていくが、平静を保とうとする。

「まあ、そうだよな。もちろん邪魔する気はないし、むやみやたらに近づかねえって」
「いやそういうことじゃなくてね。これは君のために言っているんだよ」
「……あ? どういう意味だ?」

俺はなぜかその言葉を聞いた途端に、カチンときてしまった。ほとんど脊髄反射のように身を乗り出す。

「……なにロイザみたいこと言ってんだあんた、あいつに会えないってどーゆーことだよ! 説明しろコラ!」

頭が沸騰した俺は、気が狂ったように司祭の胸ぐらを掴んで脅しに入った。
バカな、俺はなにチンピラのようなことをしてるんだ、そう思ったが衝動的な怒りが治まらない。

「ロイザ君だって? 何の話だい、落ち着いて、セラウェ君。とにかく今のハイデルに会わせるわけにはいかないんだ。分かってくれたまえ」
「嫌だね、ふざけんじゃねえ、あいつに会わせろよ、俺はクレッドが心配なんだよ! そうだ、あんた何か隠してんだろ!」
「……仕方がないな。また君の様子がおかしくなってしまったらしい。……ほら、少し眠っていなさい」

はあ、と気だるげな溜め息をついたイヴァンは、俺の額に手のひらを翳した。そして短い言語を唱えた瞬間に、俺の意識は遠退いていった。

「……く、う……」
「まったく。……これは一体なんなんだ? どうやら記憶が混同してしまっているようだ。これは急いだほうがいいかもしれないなーー」

視界が眩み、司祭がぶつぶつ言っている。 
どういうことなんだ。普通に会話をしていただけなのに。
なんで俺は上司から、最大級レベルの気絶魔法浴びてんだろう。




俺はぱちりと目を覚ました。
白い古びた石の天井に、宗教画が描かれている。え、教会内じゃん。

寝そべったまま横に視線を移すと、さっき俺が治したばかりの騎士が横たわっていて、心配げにこちらを見ていた。
おい、俺は意識を失わされただけなのに、負傷者扱いかよとすぐに反感が湧いた。

「兄上様、お目覚めになられましたか。数時間前に司祭からの命令で、少しそこに休ませておけと……」
「……あっ、そうだったの。ありがとう。お恥ずかしいわ」

体をむくりと起こし頭をさすると、頭痛がした。これは疲れからなのか術のせいなのか、記憶喪失のせいなのか。もはや判別しにくい。

ぼうっと遠目になった時だった。向こうから灰色のローブをまとった銀髪長身の男が近づいてくる。
術をぶっぱなしてきた司祭ではなく、二人目の師匠の登場に俺は安堵し、手を振った。

「おーい、エブラル師匠! あんたも来てたのか? こっちこっち!」
「……セラウェさん。やめてください、その呼び方は。お元気そうで安心しましたが」

近くまで来た呪術師は、身を屈めてそっと顔を寄せてくる。何かを勝手に調べてるのか知らんが、こんな時でも大人の美形紳士の所作にどきりとした。

「イヴァンに聞きましたよ。あなたが急に発作を起こしたと。大丈夫ですか?」
「発作ってなんだよ。あ、そうだ。あんた、クレッドのこと何か知らないか? あの上司のおっさん、俺に会うなとか言ってきてさ。絶対何か隠してんだよ、なんかあったのかもしれねえーー」

畳み掛けると、若干眉を潜めたエブラルが俺の腕を取って、立つように促してきた。「ここではあれですから、あちらで話しましょう」と言われ、二人で収容所を出た。

廊下の隅まで歩いて行き、呪術師が向き直る。

「あまり時間がないようなので、セラウェさんにはこれを差し上げます」

手のひらに置かれ握らされたのは、薄い紙に入った粉薬のようだった。
俺は事態が飲み込めず首をひねる。

「な、なにこれ。見るからに怪しいが……飲めばいいのか?」
「あなたにじゃないですよ。ハイデル殿にです。この眠り薬は中々強力なので、あの方でもすぐに効き目があるはず。そしてあなたはもう記憶を見る秘術を修得したのですから、彼が眠っている間に、さっそく試してください」

真剣な表情の男を見上げ、理解するのに数十秒かかった。 
……眠り薬を、クレッドに盛るだと?
どんな展開なんだそれは。意味がわからない。

「ちょっと待ってくれよ。今任務中だろ? 記憶云々は帰ってからのほうがいいだろ、忙しいんだし。ていうか司祭には会うなって言われたのに、どういうことなんだ? マジでクレッドになんかあったのか? ……教えてくれよ!」

両腕をがしりと掴んでエブラルに迫るが、奴は表情を変えなかった。
それどころか黙って言うことを聞けとでもいうような冷たい気迫を出してきて、寒気が襲う。

「ええ、ありましたよ。ハイデル殿は今非常に緊急事態なのです。任務に関わることではなく命にも別状はありませんので、ご心配なく。困っているのは本人だけです」

そう断言されて益々混乱した。

「なんだよそれ……でも怪我とかじゃないんだな? あいつは元気なんだな?」
「はい。元気すぎるほどでしょうね……かわいそうに」

なぜか憐れみの瞳のまま、エブラルは呟いた。何度も信じていいのかと念を押したが、奴の真剣さを見るに他に方法はなさそうだ。
よく分からないが、弟の記憶を読んで俺の記憶喪失を治すというタイミングが、今来てしまったらしい。




俺のポケットには呪力を高めるために、革袋にいれた弟の髪の毛を常に携帯してある。
術の施行は今すぐでも問題ないだろうが、その際には対象は意識を失っていなければならない。

催眠魔法を施すことも考えたが、俺の中の上ほどの魔力量や呪術の経験値からして、術の掛け合わせはよくないと判断し、素直に眠り薬をもらった。

でも、どうやってあいつに飲ませればいいんだ。
考えた末、夜間の戦闘任務が終わり騎士団の帰還の一報を受けた頃、俺は夜遅い時間にも関わらずクレッドのもとに向かうことにした。

時は一刻を争うみたいだししょうがない。
そう思って教会から程近いところにある、旧役所の跡地へと忍び込んだ。

「あの、すみません。団長はいますかね、緊急の用がありまして」
「はっ。ハイデル様は上階の団長執務室にいらっしゃいます。今ご案内致しますので」

部屋が分からなかったので、門番の人にお願いして連れていってもらう。
分厚い木の扉の前で立ち止まった制服姿の騎士は、コンコンと戸を拳で叩いた。中にいるのは弟なのだが緊張が走る。

「ハイデル様。兄上様がいらっしゃいました」
「……なんだと?」

中からすぐに反応があり、その台詞に驚く。
なんだとはなんだよ。明らかに低い声で怖そうな感じだ。 

それきり静まった室内だったが、程なくして違う男の「開けていいぞ」という声が聞こえた。
どこかで聞いた覚えがあったが、戸を開けて敬礼をした騎士に促され、俺は恐る恐る中に入った。

中央に暗めの照明が灯るその部屋は、広々とした古い書斎のように見えたが、騎士が三人いた。
戦闘後だというのにこんな夜遅くまで会議でもしていたのだろうか、クレッドの他に、あのデカ騎士とユトナもいる。

「あ……お邪魔だったか。すまんーー」
「何しに来たんだ、兄貴」

低姿勢で近づく俺に、怖い顔をした弟がピシャリと言った。
ひゅうう、と背筋が冷える。まずった。任務中のクレッドはこんなに冷ややかで、殺気だっているのかと恐れが湧く。

しかも奴はなぜか、抱えていた仮面を再びかぶり、その麗しい顔面と眩しい金髪を俺から隠した。

なにそれ、俺に顔も見せたくねえっつうのか?

「セラウェ、こんな夜更けにどうしたんだ? ハイデルに切迫した大事な用でもあるのか?」

冗談めいた声音で、同じく鎧姿の騎士ユトナから声をかけられる。
うさんくさい笑みを自然に警戒した。

「いや、まあ……あるといっちゃあるんだけど……」
「おい魔導師。今日の団長はいつも異常にぴりぴりしてんぞ。俺たちでもこえーぐらいだ。気を付けろよ」

大男の騎士グレモリーに脅され、俺は自信なさげに弟を見る。
奴はまっすぐに立ったまま、微動だにしない。しかも心なしか、俺と距離を取っている気がする。

任務の前は領内であんなに優しい笑みを浮かべて、「好きだよ兄貴…」とか言ってたくせに。なんか悲しいんだけど。

「えっと、ごめん。お前ら忙しいのに。俺も任務に呼ばれたんだけど、心配でちょっとだけお前の顔見たくなってさ。無事かなって」

ちらっと様子を見るが、クレッドは一瞬だけ鎧をまとった手をビクつかせ、また動かなくなった。

おい無言かよ。なんか言えよ。
今暇そうなんだから顔ぐらい見せてくれたっていいだろが。

「……おい、兄貴を連れていけ」
「えっ?」
「ああ。分かった、ハイデル。きちんと部屋まで送り届けてあげるから、任せてくれ。じゃあ行こうか、セラウェ」
「ちょ、いいから、一人で行けるんでッ」
「おいユトナ、離せよ。何考えてんだおめーは、任務中だぞ。溜まってんのは分かるが分別をつけろ」
「ーーやっぱりお前ら二人とも今すぐ出ていけ。早くしろ」

意見を翻したクレッドの命令が下る。すると部下の騎士らはぴたっと止まり、仕方がないといった顔で渋々部屋から出ていった。
執務室に二人が取り残され、ぽかんとした俺は弟に向き直った。

よく分からんが、少しだけ話してもいいのだろうか。
ゆっくりクレッドに近づくと、なぜか奴は一歩後ろに下がった。
さすがにおかしいと思い、俺はまれに見る素早さで弟の目の前までダッシュした。

「……おい! どうしたんだよお前、いきなり俺が来て怒ってるのは分かるけど、顔ぐらい見せろよ。仮面取れってば!」

弟は固まり、まるで俺にそばに来てほしくないかのように、背をのけぞらせる。

「クレッド? どうしたお前……やっぱなんか、おかしーー」
「兄貴。来てくれてすごくうれしい。だが俺に、近づかないでくれ。頼む」

感情の乗らない声が部屋に響いた。
どういう意味なんだ。台詞が矛盾しているんだが。

しかし俺は奴の態度から、思考を最大回転させた。
優しいこいつのことだから、何か事情があるんだ。エブラルも元気だと言ってたし…

もしかして、呪いとかそういう類いの例か?
そうだ。悪霊退治をしていたのだから、何か本人に作用する術をかけられ、苦しんでるのかもしれない。それかーー。

「なあ、とにかくひと目だけでも、確かめさせてくれ。隠すってことは、触っちゃいけないのか? そんなこと、俺は気にしないから」
「や、やめろ、兄貴。ほんとに、来ないで」

何かに取りつかれた俺は、奴の仮面に両手を伸ばした。
すぽっと取り除き、現れた赤面した顔にほっとする。

いつもの凛々しい顔立ちを、少し幼く表情を崩している俺の弟だった。

「待て、伝染病とかじゃないよな。なんの術をかけられたんだ?」

一方的に思い込んだ俺は、クレッドの赤く染まった頬に手のひらを当て、尋ねた。
奴の体は重そうな鎧をまとっているが、どんどん力が抜けているかのように見える。

「なんで……馬鹿か兄貴……そんな病とか、呪いだったら、絶対に触れたら駄目だろ……」

なぜか泣きそうな声で言われ、俺は焦った。でも構わず頬を撫でる。

「馬鹿って言うな。弟なんだからそんなことはどうでもいいんだよ。お前が心配だろ。なあ、マジで何があった?」

クレッドは俺の問いには答えず、頬に当てていた俺の手を、上から握った。
ためらいがちに身を乗り出し、額を俺のおでこにくっつけた。ドキドキしながらも熱いほどの熱が伝わり、びっくりする。

「おい、お前熱でもあんのか?」
「ああ、あるよ。全然治まらないんだ。兄貴のせいだよ……」

そう言って腰に腕を回され、さらに引き寄せられた。
唇を塞がれる。すぐに離しては細かい息づかいを漏らし、またすぐに押しつけ舌を入れられた。どこか切羽詰まったような性急さに驚きを隠せず、体に回される鎧がギシりと締め付けてきて痛い。

「んっ、ま、待って」

鎧の体に覆われて口を貪られる。なんだか今のクレッドは、通常の様子には見られなかった。蒼い瞳はやや瞳孔が開いていて、病とは違った異常な雰囲気を醸し出している。

「ああ、俺の近くにいたら、ダメだ、今の兄貴は」
「……なっ、あ、あぁっ、……どういう、意味だっ…」

混乱した自分の全身が持ち上がった。前から抱き上げられて、目線が高くなる。クレッドは俺をそのまま奥にあった大きな寝台へと運んだ。そしてその真ん中に下ろし、鎧姿のままで押し倒そうとしてくる。

こいつ、どういうつもりだ?
今は任務中なのに、まさかーー。

「え? え? ちょ、ちょっと待ってくれ、クレッドっ」
「もう待てないよ、俺を、受け入れて、くれないの? ……兄貴」
「いやっ、受け入れる、けど、ここはまずくないか!」

そうだよ、流石に今日ここまでの流れは予想していなかったため、俺はたじろいで身をすくませた。
それにまだ目的が遂げられていない。俺は前の自分に戻るため、弟の記憶を見せてもらわなければ……

考えたところで、はっとなった。
しかし顔を上げると、弟もこちらを驚きの形相でじっと見ていた。

「兄貴、今、受け入れてくれる、って……」

少し声を震わせながら、金属に包まれた指先で俺の頬に手を伸ばす。ひんやりとした感触に、なぜか懐かしさを感じながら、こうやって前にも鎧姿のクレッドと向き合った記憶があったのではと、既視感が生まれた。

それともうひとつ、はっきりした。
そうだ。記憶が戻ってない状況でも、俺はすでにこいつを、受け入れている。
今無性にクレッドに対して、そのことを証明したくなった。それは前の俺ではなく、現在の俺の紛れもない気持ちだった。

「……ああ、そうなんだよ。俺、お前が欲しいんだ。今の俺でも、そう思ってる。記憶が戻ってなくても、お前が好きで、……もうとっくに受け入れてるんだよ、クレッド」

上体を起こして、奴の金髪の後ろ髪に手を回した。
ぐっと引き寄せて、俺は自分から弟にキスをした。心の内からあふれる感情によって、思いを伝えるために、口づけをする。

弟は動きを止めて、ただ俺のキスを受け止めてくれた。
ああ、こいつが愛しい。する度に、過去からなのか今なのか、どんどん愛情が巡ってくる。

「……兄貴……っ」

クレッドが声を震わせて俺の背中をがしりと抱いた。俺達はベッドの上に向き合い座る形になって、何度か唇を重ね合わせた。

「嬉しい、兄貴……」

少し照れくさく思いながら、頭を撫でる。弟は浅い息づかいの中、また苦しげな表情に戻った。

「……でも、この前言ったように、兄貴に話してないことがあるんだ。兄貴を抱く前に、伝えなければならない。俺達の、呪いのことをーー」

俺は突然の発言にきょとんとする。
しかし俺達の呪い、という言葉をクレッドの口から聞いた途端に、胸がざわついた。急激に、底知れぬ不安の渦に飲まれそうになる。まるで、何かのトラウマに再び襲われたかのように。

「……呪い……? なんだ、それ。どういうことだ、クレッド」

まさか。
目の前が勝手に真っ暗になった。パズルのピースが途端に埋め込まれたように、合点がいき始める。けれど、同時に自分の心を襲ったのは、絶望と激しい拒否感だった。

「い、いやだ、嘘だろ、お前の気持ちが呪いのせいだなんて、言わないよな? 全部嘘だったとかじゃないよな!?」

何を勝手に叫んでいるのだろうと思ったが、言葉が、恐怖が止まらない。
この巨大な不安は確かに前にもあった、思い出せないが。

弟はそんな俺の態度に驚愕していた。

「え? 落ち着いて兄貴、どうした、大丈夫だよ。呪いのせいじゃない、俺は小さい時から兄貴が好きだったって、話しただろ?」
「……本当か?」
「ああ、本当だよ」

その返事を聞いて、徐々に困惑と絶望が取り除かれていった。
戸惑いを見せていた弟に「何か思い出したか?」と聞かれるが、俺は頭を振るしかなかった。
とにかく、弟の口から出た『呪い』の話に恐怖が募る。クレッドに抱きつき、頭を胸に埋めた。

「なあ、早く鎧、脱いでくれよ。俺、分からないけど、すげえ不安なんだ。お前がまたどっかに行ったら嫌なんだよ。頼むから、抱きしめてくれ、クレッド」

記憶はないのに、押し潰されそうになった俺は弟にすがった。
しかし見上げた瞳は俺を捉えたまま、揺れ動いている。

「不安に、させたか? すまない、兄貴。でもーー」
「……早く、クレッド、」

どうして言うことを聞いてくれないんだと、不満が募る。ただ今は温もりが欲しかった。こいつにしか与えられない、あたたかな温もりが。

弟は俺にまたゆっくり、キスをする。見つめ合い、一緒にいてくれるのだと俺は期待した。
なのに、奴は苦渋の表情で口を開いた。

「兄貴。俺は今、兄貴のことが死ぬほど、たまらなく、欲しい。頭が狂いそうなほどだ。でも大事な兄貴の、初めての時間を、そんな風に抱き潰したくない。ーー俺の勝手な願いだ、すまない、けれど、兄貴を抱くときは、大切に愛したいんだ」

そう言って再び唇に触れた。言葉を失う俺の前で、クレッドは立ち上がる。そして近くにあった机の引き出しから、何かを取り出した。赤い紙片だ。
ペンで文字をすらすらと書き終わったかと思えば、振り向いてそれを宙に掲げる。

「な、なにしてんだお前、それ、魔法……か?」
「……ごめんな、兄貴。少しだけ、待っていてくれ」

呟くと赤い紙はキラキラと光粒を空気中に放ち始め、俺達の目の前で、尾の長い炎の鳥のようなものに変化した。
幻想的な術式に目を奪われ、同時にこれを弟がやってのけたことに度肝を抜かれる。

「クレッド、おい」
「俺はどこにも行かないよ、必ずまた一緒だからな」

そう言って真剣な眼差しで弟が頷く。俺は状況が分からず、声を発しようとした。
奴の台詞に反して、明らかに別れの挨拶に聞こえたからだ。

しかし急に部屋の照明がすべて落ち、辺りは真っ暗になった。窓からの月明かりが、弟の見開いた蒼目を照らす。
背筋にぞわっと大きな気配を感じた。漆黒のローブが、背後から俺の体を包み込んでいく。

「なっ」

後ろを振り返ることも出来ず、身動きも取れないまま俺の背中は何か大きな体に抱き締められた。

「……遅かったな、クレッド。心配したぞ。まあ、俺を頼るのは悪いことではない、案ずるな。お前の兄は約束通り、俺が預かってやる」

見知らぬ男の声が聞こえた同時に、視界までそのローブに覆われた。
そうして俺はまた大事な弟と、離ればなれになってしまった。



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