▼ 35 目覚めたセラウェ
俺は夢を見ていた。時間も季節も人もばらばらな、断片的な夢だ。
騎士や魔術師、家族や友人などと過ごしていて、どれも真新しく感じる風景だったが、その中で俺はいつも弟を中心に見ていた。
瞳の中にはいつも、穏やかに笑うクレッドがいた。夢だから現実を忘れていて、あれ、こいついつも冷たい奴だったのに、どうして俺にこんなに優しくしてくれるんだろう。
俺のこと、愛情のこもった目で見つめてくるんだろう……。
そんなことを考えながら、暖かい幸せの中にいた。
目が覚めて数秒、天井を見ながら「……今日は淫らな感じじゃなかったな。すごい長かったけど」と心の中で呟き、また目を閉じようとして気づいた。
見慣れぬ白い無機質な天井。小さめの寝台に寝ている。
そして周りには……俺を信じられないものでも見るかのように、背の高い三人の男達が囲んでいた。
「う、わッ」
びっくりして飛び起きた。俺を見下ろすクレッドに、エブラル、司祭までいる。それに普段俺の仕事場にはあまり近づこうとしない使役獣まで。
「……なにやってんの、皆……? ここどこ?」
訳が分からず顔を動かすと、視界が急に青い制服に包まれた。弟の大きな腕が、その胸に俺のことを閉じ込め、ぎゅうっと抱き締められている。
「兄貴……やっと起きたのか……! 良かった……!」
苦しいぐらいの抱擁を受け、周りの面々も安堵を浮かべる表情を見て、俺はじわじわと思い出してきた。
眠る前、クレッドと一緒にいた。こいつの部屋で、ベッドにいたはずだ。
記憶がそこで途切れている。
もしかして俺は……それからずっと眠っていたのか?
「く、クレッド。俺もしかして……結構長く寝てた?」
「……ああ、三日間眠ってたよ。また意識を失って、すごく心配だった……」
顔を上げた弟が悲痛な面持ちで告げる。俺は驚愕するとともに、すぐに事の異常さを把握し、申し訳なさに襲われた。
「ごめん、ほんとごめん、でもなんでそんなことにーー」
「セラウェ君。何も心配しないでいい。ハイデルが僕を信頼して君を預けてくれてね、今まで色々お世話してきたんだが。ロイザ君のおかげで眠りの理由も分かったし、事態はどちらかというと上向きになっている。あ、それと君達の秘密の関係ももう全て知っているから、安心してくれたまえ」
微笑みを浮かべる白衣姿の聖職者に一気に説明される。
目が点になった直後、頭も真っ白になる。
……えっ?
秘密の関係がバレた? 優しい眼差しで見守る銀髪の呪術師だけでなく、この上司のおっさんにまで?
「う、嘘だろ、やべえよ、どうしようクレッド! お前の仕事が! 首になっちまう!」
取り乱した俺はすぐに立ち上がり、まるで許しを乞うように司祭に迫ろうとしたが、ずっと寝たきりの身体だったため無様にふらついた。
クレッドに支えられて、背中をさすられなだめられた。
「大丈夫だよ、兄貴。事情は分かってくれたから。……今回のことで、ここにいる皆に助けてもらってるんだ」
優しく伝えられるが、にわかには信じがたい。
禁断の関係が上司にまでバレて、本当に生きていけるのだろうか。ここ神聖な教会領なのに。
「本当ですよ、セラウェさん。私達を信じてください。ハイデル殿がそうして下さったように」
一瞬何かのトラウマなのか、笑みを浮かべる呪術師から微量な胡散臭さを感じたのは事実だったが、こいつは師匠の薬のときも助けてくれたんだよな。
だから俺も、ひとまず納得することにした。
それからエブラルは、事の経緯を説明してくれた。司祭とともに俺の体を調べ、治療を施していたが効果がなかったこと。
そんなとき、ちょうどロイザが現れ、とんでもない事実が明らかになったこと。
俺は絶句した。魔導師のくせに、力の差は歴然としてるものの奴にやられていることに全く気がつかず、のほほんと…ではないが生活していたことに。
「おっ、おま、何やってんだよ! 一言いえよ! あの夢全部お前のせいだったのかよ、恥ずかしいだろーがっ」
「俺は夢には関与していない。全て主のためを思って獣が健気に行ったことだ。許せ、セラウェ」
腕を組みながらいつもの調子で宣うロイザに文句を言いたくなるが、しばらくして飛び出た手を引っ込めた。
確かに……それはそうなのか。
主従の関係において感情を共有し還元させるなどという、あまりに現実離れしている手法は未だ信じられないが、俺は明らかにそのせいで、更にクレッドのことを考えるようになった。
まるで以前の自分に、見えない力で後押しされてるように。
実際にはロイザがそれを助けてくれていたのだが。
「兄貴、こいつなりに考えてやってくれていたみたいだ。気を失うまで効果が強くなったのは勿論危険なことだが……これからはもう起こらないはずだ」
意外にもクレッドにフォローされている使役獣を見て、何かが引っ掛かった。
いや、皆で意見がまとまるのはいいことだし、有り難いのだが。
「なんか、どうした、クレッド。あんなに仲悪かったのに、お前ら……」
ぼそりと出た疑問に、弟とロイザが驚きの視線を投げてくる。
「……兄貴、何か思い出したのか?」
「ああ、そうだな……セラウェ。確かに俺達は好んで喧嘩をするのが趣味だったが……」
ロイザのわざとらしい台詞にクレッドがじろっと奴を見返すが、俺はそんな二人を見て不思議に思ったりした。
なんだろう、この感じ。
俺が記憶を失ってから、この二人が揃ってるのはあまり見たことがない。でも今、既視感みたいなものが漂っている。
ふわふわとしていて、手で掴めないがーー。
「……あー……くそっ。駄目だ……思い出せない……」
俺が頭をうなだれて抱えると、司祭が口を開いた。
「そうか……しかしセラウェ君。いい兆候だよ。引っ掛かりというのは、思考や記憶においてとても重要な糸口になり得る。……そうだな、極論ではあるが……過去をもう一度やり直してみることが出来るといいのにね」
司祭の言葉に思わず顔を上げた。
するとエブラルが奴に突っ込みを入れる。
「イヴァン。やり直すというのはさすがに無理ですから、もう一度経験させる、という表現に留めては?」
「ああ、そうそう。僕もそれが言いたかったんだよ、エブラル」
生き生きと話す魔術師達に比べて、クレッドの表情は曇りだした。
気になった俺だが、奴らと同じく唸りながら考えてみる。
俺は、焦っていた。この、手が届きそうで届かない感じが気持ち悪い。
本当に早く思い出したい、失ったものを取り返したいという気持ちがさらに強まっていたのだ。
そこであることを口走る。
「……うーん……うーん……。……ああっ……クレッドの記憶が覗けたらなぁ……同じものが見れたら、さすがに俺だってなんかしら思い出せそうなのに、なあ……」
なんちゃって。
そんなの無理だけど。
おどけて魔術師達の反応を伺おうとすると、なぜか二人は、真面目な顔で動きを止めていた。
特にとりわけ冷静な顔つきで佇む、灰ローブの呪術師に注意を引かれる。
「……ふふっ。そんな禁忌じみたことを思いつくなんて……メルエアデに毒されすぎですよ、セラウェさん」
冷たい感じで言われ、だが同時に真剣な目つきで見つめられた俺は「だよね、スマンスマン」と急いで取り繕った。
しかしそこに司祭が無遠慮に首を突っ込んでくる。
「禁忌ねえ……死者を操り、口寄せを生業とする君が言えるのかい? エブラル。……記憶を読むというのは、ロイザ君の方法よりもさらに直接的に感覚を共有し、刺激し、思い出すことに繋がるんじゃないか? 僕はいい考えだと思うけどね」
本気で言っているような司祭に対し、呪術師は依然として厳しい姿勢を崩さなかった。
「私のように第三者ならばいいのです。ですがセラウェさん、あなたは身内でしょう? ハイデル殿にも見られたくない記憶はあると思いますよ。反対に、あなたが見たくないことだって……」
途端にエブラルが俺達に同情的な視線を向けてくる。
俺ははっとした。本当にその通りだ。
「だっ、だよな、ごめんクレッド。俺ほんと自分勝手な思いつきを……」
ああ、馬鹿すぎる。だから魔術師は駄目なんだ。いや少々マッドな思考に侵されている俺が馬鹿だったと、弟に向き直り頭を下げた。
しかしクレッドの反応は、その俺もびっくりするものだった。
「いや、大丈夫だ。兄貴に見られて困る記憶はない。やってくれ」
思案顔をしていたクレッドが、至極落ち着いた様子でそう述べた。
男達の驚愕の眼差しが突き刺さる。
……え? マジで?
「いやハイデル、そんなことはないだろう。一旦賛成しといてなんだけどね、後で後悔しても知らないよ? というか君の慌てる姿が見れると思ったのに、どこまでおかしな男なんだ君は」
「そうですよハイデル殿。あんな事やこんな事を愛する人に知られてもいいんですか。そんなことをして二人の愛に傷が入ったりなんかしたら、私は悲しくてなりませんよ」
一体弟にどんなヤバい記憶があると想像してるのか知らないが、男達はなぜか必死に意見を述べてきた。
しかし奴らの言うことは最もだ。言い出しといてなんだが、俺だったら知られたくない恥ずかしいことやまずい事もたくさんあるし。普通はそうなのだが。
「兄貴が助かるなら……記憶を取り戻したいって、そう望んでくれるなら……俺は構わないよ。出来ることなら何でもするって、決めてるから。……だから、可能ならば、試してみてほしい」
真剣な蒼い瞳が、俺の心をわしづかむ。
なんだろう。この……聖なる騎士は。
弟なのに輝いて見えてきた。
俺にそこまで、全てを捧げてくれるのか?
「ほ、本当にいいのか、クレッド。やっぱり、プライバシーの侵害じゃ……」
「いいよ。大丈夫。だって、俺たちの思い出のほうが、大切だから」
クレッドに抱き締められた。固い決意を覗かせる抱擁に、心が揺れ動く。
俺は隣でずっと突っ立っている使役獣をちらっと見た。
「セラウェ。俺にはお前が、小僧の記憶を全て読めるような芸当がすぐに出来るとは思えん。こう言ってるんだ、むしろ全力でやってやれ」
無表情のロイザが励ましてくる。
何気にすごく失礼なことを言われたような気がしたが、確かにそうだよな。
俺の力量からして、大事な記憶を少しでも感じ取れれば良いような気がしてきた。
そうしてその場の皆が、俺の予期せぬ提案によって、ひとつにまとまったのだった。
希望に近い思いつきではあったが、呪術師によると、それはれっきとした秘術として使用可能な領域であるという。
「ーーお二人の覚悟は分かりました。では、私が責任を持ってセラウェさんを特訓しましょうか。記憶を読むというのはいわば禁術ですし、一朝一夕で出来るものではありません。完璧に行える保証もありませんが……セラウェさんの力を信じて」
味方になってくれたエブラルの言葉に、俺も感謝の意をこめて頷く。
なんだかとんでもない事になってしまったが、これは俺と弟の強い気持ちによるものだ。
上手くいくように、マジで頑張るしかない。
そうして俺は、絶対に記憶を取り戻すんだ。俺たち二人のために。
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