セラウェ記憶喪失編 | ナノ


▼ 21 話し合い

俺達が連れられた先は、すぐそばの別荘ではなく、なんと師匠の本宅だった。
別宅の情報漏洩を恐れたのかもしれないが、行った先で更にとんでもないことが起こる。

「…………くぅっ!」
「……ッ大丈夫か、兄貴」

ふらついた体を、隣の弟にしっかりと抱き留められる。
木造で広い吹き抜けの住居に、俺とクレッドは立っていた。

ここはよく見慣れた居間だ。二年経過しているらしいが、わりと神経質な師匠らしく、綺麗に整理整頓されていてほとんど変わっていない。

いつの間にか絨毯の端に座っているナザレスは、冷めた目をソファの上に向けていた。
目の前に仁王立ちになっている師匠と横にいるクレッドも、同じ方向を見ている。

その気配にまるで気がつかなかった俺だが、師匠の背から顔をひょっこり出してみると、予想だにしない人物が目に入った。

「お帰りなさい、皆さん。やはり私がここで待っていて正解でしたね、ハイデル殿」

耳障りの良い低音で話すその男は、灰色の上質なローブをはおった呪術師、エブラルだ。
話を振られたクレッドは、当然のように頷いた。

「ああ。お前の言った通りだったな。助かった」
「いえいえ。無法者のメルエアデを相手にするのは、いくら貴方といえど相当骨が折れる事ですし、我々が一丸となって戦う事案ですよ。それに私はお二人の友人ですから」

にこりと俺に微笑んで立ち上がるが、もちろん渦中の巨体は黙っていない。

「て、てめえ……エブラル。何勝手に俺の家でくつろいでやがる。お前に合鍵渡した覚えはねえぞ!」
「そんなものは必要ない。お前の家の結界を解くぐらい、教会に所属する者ならば誰でも出来るぞ。ねえセラウェさん」
「えっ。いや出来ませんけど…」

ぴりぴりと殺気を放っているのに、笑顔を崩さない呪術師が実に怖い。
師匠の連れというのは本当らしく、相当の手練れのようだ。この二人、なんだか仲が良くなさそうだが……格上の魔術師達に囲まれ、ついブルってくる。

でも確かに、なんでこの男がここにいるんだ。
弟を助けに来たのは分かったが、俺の連れ去られ事件がそんなに大事になってるのだろうか。

「ふん、まあいい。お前がいようが居まいが知ったこっちゃねえ。ほらセラウェ、昨日の話の続きだ。そろそろ決心はついたか?」
「……は? なんの?」

師匠は黒い革張りのソファにドサッと腰を下ろすと、俺達をテーブルの周りに座るよう促した。

依然として警戒しているクレッドだったが、奴隷根性の染み付いた俺がサッといつも通り正座で座ると、渋々隣に腰を下ろし、俺のそばにぴたりと寄り添った。

あ、やばい。今そんなことを考えている場合じゃないのに、こんな風にくっついているとまた意識してしまう。

「ほらよ。この薬だ」

師匠が取り出した紫の小瓶を、テーブルの中央に置いた。
それを見て度肝を抜かれると同時に、即座に昨日の悪夢が甦る。

「なっ、なっ、いきなり何してんだよ! 今その話すんじゃねえよ! 皆いるんだぞ!」
「……何だ? なんなんだ兄貴、これは……薬、だと?」

隣のクレッドが混乱の表情で俺に問いかけてくるが、言葉に詰まりうまく説明できない。
というか、言えるわけがない。きっと弟は卒倒するだろう。

「い、いや、何でもないんだ。どうでもいいものだ、こんなもん」
「どうでもいいとは何だ。せっかく俺が弟子の為に苦労して作った、この記憶抹消薬を」

ドヤ顔で声を張る男に、一同の注目が集まる。
ああ、言ってしまった。恐る恐るクレッドを見ると、奴は目を見開いたまま硬直していた。

「……記憶、抹消って……どういうことだ。嘘だろう? まさかそんなものーー」

青ざめた弟に見つめられ、鼓動がどんどん速まっていく。
俺は思わずクレッドの手を握った。そして首をぶんぶんと横に振る。

「違えよ、確かに師匠が勝手に馬鹿みたいな魔法薬を作って、飲ませようとしてきたけど、俺はそんなの絶対飲まねえから。大丈夫だ、クレッド」

俺は必死だった。
まるで絶対絶命のような気持ちで、弟の目を見て真剣に話す。

クレッドの蒼い瞳は揺れていて、まだ衝撃を受けたままでいる。

「あ、兄貴……」
「本当だ。そんな最悪なこと、俺考えたりしないよ。だってーー」
「おいおい、お前まだんな甘いこと言ってんのか? てことはあれか、セラウェ。実の弟とそうなってもいいってことか。本当に互いの人生潰す覚悟があって言ってんのかよお前」

急に色々問い詰められて、思考があちこちを駆け巡る。
なんで俺がこの男にそこまで言われなきゃなんねえんだ、と腹が煮えくり返りそうになるが、はっきりとした答えをすぐに出せない自分が嫌になる。

「うるせえな、人生潰すってなんだよ、酷いこと言うな! 俺は……っ」

クレッドの前でちゃんと言い返したいのに、考えがまとまらない。
どうすれば傷つけないで、心に渦巻く気持ちを伝えられるのか、分からないのだ。

うつむいて膝の上で握りしめた俺の手を、弟の手がそっと重ねてきた。

「兄貴は、それでいいのか? 本当に…?」

なんでそんな事を聞いてくるんだ。
心の奥底に湧いた大きな反抗心を無視できず、ぶつけたくなってくる。

「いいに決まってるだろ、なんだよ、お前は俺が完全に記憶無くしたほうがいいと思ってるのか? なんで?」

俺は何故か勢いよくクレッドの胸を掴んだ。
奴は驚いて俺を受け止める。

まただ。時々こうして、自分でも制御できない気持ちに襲われる。
まるで自分の知らない、もう一人の俺がいるみたいに。

クレッドは俺の腕を掴み返し、鋭い視線を向けてきた。

「嫌に決まってるだろ、俺は、兄貴が嫌だって言っても、俺のこと忘れてほしくない。だって、愛してるんだ。俺は兄貴がいなかったら、生きていけない。この世界の何もかもが、意味がなくなる。それぐらい、兄貴のことを、愛してるんだよ……」

言いながら徐々に目元を赤らめさせ、俺をその胸に抱き寄せて、ぎゅっと力強く抱き締めた。
あまりに熱い言葉の数々に、俺は完全に時が止まってしまった。

居間の人々も含め、しん、と静寂が訪れる。

「あ……あの……」
「本当だ、兄貴、愛してる……兄貴だけだ。……だから忘れるなんて、言わないで……」

何回その言葉を言うのかと、俺は頭のてっぺんまで茹で上がりそうになっていた。
ていうかおい、完全に皆が見ているんだが。何を考えてるんだこの弟は。

されるがまま抱擁を受け、俺の肩に額をのせたまま離れないクレッドの背を、そっと握った。

「分かったよ、クレッド。もう大丈夫だから、な? ちょ、ちょっと照れるから落ち着け。皆いるし」

ぽんぼんとなだめても弟は離れようとしない。
もしやこいつ、泣いてないよな。どうしよう。あ、なんか小さい頃を思い出してきた。
でかい図体してほんとにこういうとこは変わってねえなあ、などと羞恥から逃避気味に微笑みが生まれようとした時。

ぱちぱちばち…と拍手が近くから響いてきた。
誰だよおい、と顔を上げると、死んだような表情の師匠の隣にいた、呪術師のエブラルだった。

柔らかな銀髪よりも眩しい妖艶な笑みで、優しく笑いかけてくる。

「素晴らしい。ハイデル殿の熱い思いが溢れる、愛の告白でしたね。感動に絶えません」
「えっ? あ、そうだ。ああーっ!!」
「急にどうしたのです、セラウェさん」
「いやあんた、何勝手に聞いてるんだ、俺達の話!」
「ふふ、今さら何ですか。私はお二人の親しい友人だと言ったでしょう。禁断の関係のことも、全て知ってますよ。その上でメルエアデの魔の手から、守ろうとしたのですから」

どういうことだ?
誇らしく述べられた台詞に目が点になる。ていうか、え、全部知ってんのかよこいつ。

言葉が引っ込みあたふたする俺に対し、仏頂面で黙っている師匠が恐ろしい。

「どうしたメルエアデ。またお前の負けだな。悔しくて言葉も出ないか?」
「……うるせえ。つうかなんだお前、わざわざこの状況を楽しむために来たのか暇人野郎」 
「いいや。きちんとセラウェさんの無事を見届けるためだ。私はきっとお前が暴挙に出ると知っていたからな」
「ああ? どういう意味だよーー」

壮年の男と美形の紳士が一触即発となりそうな雰囲気の中、これまで大人しく静観していた獣のため息が響いた。

「あーはいはい。結局こうなるのかよ、つまんねえ。ていうかさあ、その薬、実はもうセラウェに飲ませてるっていう可能性は考えないわけ? あんたら」

場の空気をものともせず、ナザレスが不敵な笑みを浮かべた。
その言葉に対し、クレッドが即座に立ち上がり奴の胸ぐらを掴み上げる。
一目で分かる怒り狂った形相に、唖然とした。

「ふざけるなよ、まさかお前……ッ!」
「ふん。セラウェはお前だけのもんじゃねえ。平等にチャンスが与えられて然るべきだろーが」

真っ向から言い放ち、二人の男がぎりぎりと殺気を発し睨み合っている。
俺は途端に体が震えてきた。こいつ、昨日気を失ったように見えたが、話を聞いていたのか?

しかし、混乱と恐怖にまみれながらも、俺はすぐに邪な思考を振り切った。

「いや、お前はそんなことしないだろ? あんだけ俺に嫌われたくないって言ってたじゃないか」

半分一か八かの思考で、優しく問いかけた。
するとナザレスは明らかに一瞬怯んだようだった。ガタイの良い大の男が、拗ねたように俺を見てくる。

「……なんだよ。確かにそう言ったけど」
「じゃあ大丈夫だな。お前かなりヤバイ奴だけど、そこまで嫌な奴じゃないと思う」
「そこは良い奴って言えよ、セラウェ。あんた本当ツンデレだな」
「はぁ? どっちがだよ。お前じゃないかそれ。うさぎの時はあんなに可愛いのになぁ、ナーちゃんーー」

笑いながら勝手に言葉が出て、奴の黒目がさらに見開いた。

あ? 何言ってんだ俺、なんだその可愛らしいあだ名は。
そういえば昨日もこの名前、こいつの口から聞いた気がする。

「セラウェ、あんた思い出したのか? 今俺のこと呼んだよな」
「いや思い出してねえ。なんか勝手に……おかしいな。つうかなんでお前そんな嬉しそうなんだ」
「そりゃぁ嬉しいだろ。なぁもう一回言ってくれよ。あ、待て。今獣化するから」
「……えっマジで? じゃあ早くしろよ。俺も黒いもふもふ触りてえんだ」

何故か意気投合し、さっきまでのドス黒いやり取りが消え、和やかな空気が流れた。
そんな中、もちろんこの男は黙ってはいない。

「おいちょっと、なんで急に仲良くなってるんだ……俺の心臓まだうるさくてしょうがないんだが」

絶望的な眼差しで見てくる弟にビクッとなる。

「あ? 今俺のターンなんだから入ってくんな、聖騎士」
「……なんだと? お前が割り入ってきたんだろう! 可愛い子ぶって兄貴に取り入るなッ」
「それてめえにだけは言われたくないんですけどぉ。ていうか俺のほうがぜってー可愛いし。お前に獣化出来んのか? あ?」

二人の幼稚な小競り合いが続く。
すると危惧した通り、師匠の怒号が落ちた。

「おい、てめえら……何もう一件落着みたいに和気あいあいとしてんだ、ここ俺の家だぞ! 少しは緊張感ねえのか!」
「あっ。ごめん師匠。師匠のこと忘れてた。だってエブラルさんいるし任せていいかなぁって」
「ふふ、セラウェさん。それだけは勘弁してください。貴方達のお喋りを聞いているほうが数十倍も楽しいですから」
「お前もとっとと帰れよ! 物見遊山か? あーあ、白けたわ。バカ弟子、おらお前お詫びになんか飯作って帰れ!」
「はぁ? なんだよその言い草っ。自分の悪事が失敗したからってなぁ、俺に当たるな! 大体俺もうクレッドと帰るから、じゃあなさいなら!」

そう宣言して隣の弟の手をバッと掴んだ。
奴は驚いて顔を上げたが、無理やり引っ張りあげ一緒に立ち上がる。

「あ、兄貴。もう帰る?」
「おう。もう行こうぜ、師匠の巣窟は危険極まりないし」
「うん。そうだな、じゃあ帰ろう。一緒に」

二人で頷き合い、とりあえず玄関へ向かおうとした時だった。
ソファに優雅に座っていた呪術師も、見計らったかのように立ち上がる。

「待ってください、私もご一緒しても? お二人を騎士団領内までお送りしますよ」
「……そうか? じゃあお願いしようかな。実は結構疲れが溜まっててさ」

思わぬ申し出をあっさり引き受けることにした。
疲労を感じていたのは本当だった。色んなゴタゴタや昨日あまり寝てないせいか、集中力が切れていたのだ。

そうして俺達三人は、呪術師の転移魔法により無事に帰途を辿ることになる。
帰り際また師匠の捨て台詞や、ナザレスのちょっかいなどを受けたが、ここから逃げさえすりゃこっちのもんだ。

やがて鮮やかな詠唱に包まれ、再び瞳を開いた先に映ったものはーークレッドの団長室だった。



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