セラウェ記憶喪失編 | ナノ


▼  16 少しずつ? U

そして昼になった頃を見計らい、騎士団本部棟にある団長室へと向かった。
やべえ、ドキドキが半端ない。
やっぱり頼まれてもないのに急にこんなこと、変に思われたりしないだろうか。

作ってた時の高揚感が、弟に近づくにつれて激しい緊張感に変わっていく。

団長室の前に着いた時、ひとまず深呼吸をして扉を叩いた。

「あのう、すみません。団長の兄ですけど、どなたかいらっしゃいますかね?」

声をかけると、分厚い扉がわりとすぐに開いた。
中から出てきた制服姿の男に、びっくりする。こんなにすぐに、間近で顔を合わせるとは思わなかったのだ。

「兄貴……!」
「あ、あのクレッド。今大丈夫か…?」
「もちろん大丈夫だよ、さあ入って」

にこりと微笑まれて安堵する。
良かった……この前の別れ際のことがまだ頭にあったのだ。

招かれたそこは、格式張った机やソファが配置された、広い書斎室のようだった。ガラスケースに剣や装備類が、近くに団旗なども飾られており、やや緊張が走る。

室内にいたのは、弟だけではなかった。
同じく青い制服を着た長髪の騎士、ネイドも立っている。

「セラウェさん、こんにちは。お元気ですか?」
「ああ、まあまあ元気だよ、君は? ネイド。あ、いつもオズが世話になってすまないな」
「いえいえ、こちらこそお世話にーーもちろん団長には一番お世話になっております。……あっ、どうぞ、私はこれから事務室へ行きますので。ごゆっくりお過ごしください」

礼儀正しく礼をし、爽やかに笑みを浮かべると、静かにその場を去っていった。
彼はクレッドの部下であり一番近くで働いている、頼もしい側近でもあるらしい。

まだ知り合ってあまり時間は経っていないが、四騎士の中で最も常識人ぽく、良い奴でもありそうだ。

二人になって、またドキドキし始めた。
俺は隣にいたクレッドに向き直る。

「あのさ、お前昼ご飯食べた?」
「ん? いや、まだ食べれてないんだ。タイミング逃しちゃって」
「そっか。じゃああの……良かったら、これ食う?」

ずいっとカゴに入った弁当箱を差し出すと、弟が蒼色の瞳を最大限に見開いた。
中身を凝視し、しばらく止まっている。

げ。やっぱ嫌だったかな?

「ごめんいきなり、もしいらなかったら自分で食べーー」
「俺に作ってくれたのか……? ありがとう兄貴……っ!!」

すごい言葉尻を興奮させた感じで感極まったクレッドに、力いっぱい抱き締められる。
カアッと熱くなった俺だが、何かこの光景も覚えがある気がした。

「はは。大袈裟だよお前、こんなのいつでも作れるし……ていうか、前にもこういう事、あったのか?」

体を少し離したクレッドは、頬を少し染めて頷いた。

「うん。前もよく、作ってくれたよ。だからすごく嬉しい、また兄貴のお弁当食べれて」

そんな風に心の底から喜ばれると、こっちも照れてどうしていいか分からない。
まごまごしている俺を、弟がテーブル近くのソファへと招いた。

二人並んで腰を下ろし、隣で弁当箱のふたが開けられる。

「うわ、やばい、美味しそう。兄貴もお腹すいた? 一緒に食べる?」
「んっ? いや大丈夫。お前のだから全部食べて」
「…分かった、いただきます」

終始笑顔のクレッドが、おかずを口にするとまた喜びに溢れた表情を浮かべる。
ずっと美味しい、最高だ兄貴、ありがとう。などと連呼されて、そんなに褒められたことがない俺は、赤面しっぱなしで頭を掻くしか出来なかった。

「なあ、お前揚げ鶏好き?」
「ああ、大好きだよ。とくに兄貴が作ったやつ」
「そ、そっか。…でも昔は苦手だったよな、確か」

俺が尋ねると、弟は驚いたように顔を上げた。

「よく覚えてるな、確かにそうだったかも」
「……だよな。俺なんでか分かんないけど、急にそれ作ろうと思って。お前の好みとか、なんか身についてたのかも。不思議な話だけど」

軽い感じで微笑むと、クレッドの瞳がうるっと潤みだした。
えっ。また俺変なこと言ったか。大丈夫かこいつ。

「兄貴、無意識に思い出そうとしてるのかもしれないな。もしそうだったら、嬉しいな」

柔らかい眼差しで見つめられて、俺も思わず頷いた。

「お、おう。俺も思い出したいなって思ってるんだ。……ほら、お前ともっと仲良くなれるかもしんねえしさ。……ってすでに結構良いけど、アハハ」
「……そんな風に思ってくれてるのか?」

じっと視線を捉えられて、また静かに頷く。
弁当を机に置いたクレッドは、俺に向き直った。

何故だろう、また心臓が高鳴りを覚えていく。
大きな手が俺のほっぺたに伸ばされたが、動くことが出来なかった。

熱っぽい眼差しとともに指先で優しく触れられて、ぴくりと肩が跳ねる。
俺は今日見た夢を思い出していた。
あれはどうしてあんなに現実味があったんだろう。何故夢のなかで、当たり前のようにクレッドを受け入れていたのか。

「……今日はキスしないのか?」

口から滑らかに出た台詞に驚いたのは、弟だけじゃなかった。
数秒して、俺はバッと自分の口を両手で押さえる。

「あっ、うそ、今の冗談。なに言ってんだ俺……そうだ、別れの挨拶だったよなーー」
「してもいいの?」

だがクレッドは真剣な表情で、問いかけてくる。
固まる俺に構わず、耳元の髪をそっと指でといてきた。

「……っ」
「なあ、してもいい? 兄貴……」

まるで色気に満ち足りた声音が、耳の近くで囁いてくる。
どうして俺は、信じられないほどにドキドキしているんだ。早く、反応しないとーー

弟が顔を少し傾け、俺の顔に近づく。
俺は目を閉じた。自然に、そうしてしまった。
言い訳のしようがない。弟の唇が、俺の口元のすぐそばに、ちゅっと触れてきた。
また体を離し、若干ぼうっとして見えるクレッドと見つめ合う。

…………口じゃなかった。

最初に思ったことがそれだった。
俺はしばらく微動だに出来なかった。

「兄貴……? 大丈夫か」
「……えっ。ああ、平気だ……」

全くの嘘だが、焦点を一点に合わせたまま、同意する。

「ごめん。俺、……兄貴に、キスしたかった……」

俺はさっきの行為よりも、突如放たれたクレッドの台詞に、驚愕した。

「そ、そっか。別にいいけど」

そして自分の返事にも驚きを隠せない。
ほら、弟も俺に対して目を見張っている。
おかしいよな、当たり前だ。こんなの、俺どうかしている。

クレッドはぐっと身を乗り出し、俺をソファの背に押し付けて、じっと瞳を覗きこんでくる。
これほど真に迫った表情は見たことがない。

「どういう意味だ? 俺にキスされても、嫌じゃないってこと?」
「……え? そ、それは……」
「今全然いいよって言ったよな、兄貴」
「いや全然じゃなくて別に、だろ。脚色すんなよ」

思わず突っ込んでも、弟はどこかメラメラ瞳を輝かせて迫ってくる。

「俺、兄貴とキスしたい。意味分かる?」
「いや……だから……」
「ほっぺたじゃなくて口に、だよ。そういう意味だ」

そそそそれは、それこそどういう意味だ。
頭の中が一気に混乱をきたしていく。

「お前、俺と……兄貴としたいのか?」
「うん。したい」
「ちょ、それおかしくないか。さすがに口は…」
「おかしいよ。でもしたいんだ。俺は正常だよ」

言っている意味が分からない。
だが俺をからかっているわけじゃないらしい。
こいつは俺に対して、いつも本気なのだ。そのぐらいはもう、俺にも気づいていた。

「正常じゃないだろ……でも俺も、おかしいのかな」
「どうして? 兄貴も何か、感じるのか…?」

一転してすがるような眼差しを向けられる。
ああ、またこの顔だ。
不安げなのに、心に強い感情を秘めていそうな、それを俺に吐き出したそうな表情。

こいつのこの顔を見ると、俺はすべてを受け入れたくなってしまうのだ。

「うん。感じるっていうか、俺最近変なんだ。ずっとお前のこと頭にあったり、今日も変な夢見て…」
「本当に? どんな夢?」

そんなの言えるわけないだろう。
だがこの弟は想像よりもしつこい。昔のクレッドを思い出すほどに。

俺が何度拒否っても、答えを探ろうとしてくる。

「ーーだから、絶対言えねえって! もういいから忘れろっ」
「恥ずかしいのか? 大丈夫だ、何でも聞くから。お願いだ、俺に教えて」

吐くまで解放してもらえそうになかった。さすが鋼の精神の騎士、いや団長というべきか。

「うう……だからお前と、部屋でちゅーしちゃってた……夢だよ。おかしいだろ、笑うなよっ」
「ほ、本当か? 全然おかしくない、大丈夫だよ。心配しないで兄貴」

途端に顔を赤らめ、明らかに幸せそうな顔つきで頭を撫でられる。
いや変だろどう考えても。なんでこいつは普通に受け入れてんだよ。

しばらくその話題を聞きたがってた弟だが、俺はのらりくらりと交わし続けた。
しかし突然、話題が変えられる。

「なあ、あいつは……どうなってる?」
「え? なんだあいつって」
「ジャレッドだよ。この前、会っただろ? 庭園で」

どきりとした。まさか面と向かって聞かれるとは思ってなかったからだ。
俺が即座に反応できないでいると、弟が落ち着かない様子で顔色を伺ってくる。

「だから、兄貴、その……あいつに好意とか、ない……?」

そんなことを気にしていたのか。
あの時異様に素っ気なかったから、今の弟の態度に驚いた。

「えっ、ねえよ全然。勘違いしないでくれ」
「……そうなのか? なら良かった……」

なんだ?
これじゃまるで……だって口にキスしたいとか、今の焼きもち、妬いてる感じとか……俺のこと好きみたいじゃないか?

いや、弟ははっきり俺が好きなのだと言っていた。
正直そういった経験が少ない俺には、よく判別がつかない。
まぁあり得ないとは思うがーー。

「あのさ。お前に聞きたかったことがあって。もしかして……同姓が好きだったりする?」
「えっ?」
「す、すまん突然こんなこと。プライバシーだとは思うけど、あの、何でも話してほしいなっていうか」

突然弟に抱き締められた。そしてなぜかはぁーっと深いため息が届く。

「……や、やっぱそうなのか? 大丈夫だぞ、俺別に驚いたりしないし…」
「兄貴。よく聞いてくれ。俺が好きなのは兄貴だ。それで兄貴は男だろう? でも俺は、他の男には興味はない。……兄貴だけだよ」

そう言って今度はまた突然、そっと頬に口付けられた。

こいつ、どんどん行動がエスカレートしてないか。
というか今の答えって……結局どういう意味なんだ?

「じゃあ……男が好きなわけじゃない、でも俺は好きだと。本気で。てことは通常時は女が好きなのか?」
「なんだ通常時って。いいか、女も好きじゃない。俺が好きなのは兄貴なんだって」

……えっ。
なんか凄いことを言われた気がする。
つまり男も女もこいつの対象にはならないということだ。なり得るのは兄貴であるこの俺ただひとりでーー

「え、ええーーっ!」
「やっと分かってくれたか。もう俺は開き直ったぞ」
「そっそっそっ、ええーー!」
「……やっぱり嫌? でもこれ以上隠しておけない。色々限界だったんだ。ごめんな兄貴」
「い、いや謝んなよ、そんな」
「……じゃあ好きでいていいの?」

目の前の弟が熱っぽい眼差しで尋ねてきて、俺は口ごもった。
どう、どう答えるべきなんだ。兄として。
これはきっと本気の告白だろう。とてもじゃないが笑い飛ばせる雰囲気ではない。

クレッドの表情を見ていると、俺はなぜか無性に、自分の不用意な答えによってこいつを傷つけたくない、そんなことを思った。

「ええっと、正直なんて言っていいか分からん。すまん。……でも、好きって思ってくれてるのは嫌じゃないし、お前の気持ちは嬉しく感じる……マジで。けどどう、どうすりゃいいのかほんと……どうしよ?」

話すごとに顔が熱くなり、てんてこ舞いになる。
しかし何故だろう、全く拒絶感が湧かない。ただただ焦っていた。

こんな答えじゃ納得出来ないだろう、そう思って上目遣いで弟を見るが、奴はどこか夢見心地な表情のままぼうっと俺を見つめていた。

「いや、それだけで……十分だ。俺、困らせてるよな、兄貴のこと……ごめん。……でも、どうしても伝えたくなって……」

切なげに言う弟を見ていると、途端に胸がしめつけられる。
弟の苦しそうな顔は見たくない。たとえ秘めた気持ちを告げられても、その思いは変わらないどころか、なぜかいっそう強まっていった。

「大丈夫だから、クレッド」

俺は何かしたくなり、弟のそばに歩みより、ぎこちなく奴の背中に腕を回した。
今度は俺が抱擁を行う。
不思議だ。そうすると、俺のほうまで安心するような気がする。

「……兄貴。なんでそんなに優しいんだ」
「えっ。そりゃ……お前俺の弟だし。……大事だし」

クレッドが肩に埋めていた顔を上げる。
赤らんだまま、ゆっくりと口を開いた。

「兄貴。デートしよう」

何の脈絡もない言葉に、俺の目が点になる。
ぱちくりさせても弟の決意のこもった瞳に変化はない。

「……んっ? 何言ってんだお前。デートって……兄弟だぞ」
「あいつとはしただろ? だから俺ともして」

強気な感じで身を乗り出し、迫ってこられる。
おいさっきまでの可愛らしい弟はどこいった。なんで俺はまた変な風にドキドキしてんだ。

「あれはデートじゃねえ! ……つーか出掛けるだけなら別に、いいけど」

違う方向を見ながら告げ、ちらっとクレッドの様子をうかがうと、奴は途端に表情を輝かせた。

「本当? じゃあ約束な。今度の日曜日、迎えに行くから」

にこりと笑い、あっという間に話が決まってしまった。
俺と出掛けることがそんなに嬉しいのか、幸せそうにもう一度抱き締めてくる。

それは、こいつの笑顔には俺は結局敵わないのだと、初めて知ったときだった。



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