セラウェ記憶喪失編 | ナノ


▼ 17 お出かけ

約束の日曜日。クレッドは時間ぴったりに、俺の仮住まいに迎えに来てくれた。
いつもより大人びた黒シャツにジャケット姿で、一体どこに行くんだろうと緊張しながら、弟と一緒に馬車に乗りこむ。

領内を出発してから数十分、俺達は意外な場所へと辿り着いた。

「うわっ、すげー! ここ、エルヴァンガー動物園だ! 世界の珍獣が一番多く展覧出来る有名な場所なんだよなっ」
「うん。兄貴動物好きだろ? だから気に入るかなと思ってさ」

門の前で年甲斐もなくはしゃぐ俺に、笑顔で話す弟。
こいつ、俺の好みを完全に把握しているとは流石だ。というか妙齢の男二人で行く場所なのかどうかは分からないが、これは想像していなかったし嬉しかった。

まるで森の中のように広々とした庭園内に入る。沿道は木々や鳥達が自然に彩りを添え、野うさぎや鹿などもわらわら集まってきた。

「可愛いー……天国だここ……」
「はは。人気者だな、兄貴。でも兄貴のほうがかわいいよ」
「えっ?」
「いや、だって……本当にそう思ったから」

腕組みしながら動物に囲まれた俺を見下ろし、にこりと言い放つ。
なぜか熱くなった俺は立ち上がりすたすた歩き出した。
呼び止めてきた弟に振り返ると、なだめるように俺の肩を抱いてきた。

「おい、あんま変なこと言うな、外でっ」
「ごめん。中ならいいのか? じゃあ気を付ける」

素直なのか一言多いのかよく分からない。
こいつ、なんでこんな異様に甘い雰囲気を醸し出してるんだ。
俺達は兄弟なんだぞ。兄貴のことが好きだと言っても、限度があるだろうが。限度が。

しかし弟にはそんなもん関係ないみたいだった。

その後も、パーク内をわいわい言いながら見物していく。
滅多にお目にかかれない猛獣や、小動物コーナーなどにも立ち寄った。

自分好みの充実した時間が進んでいく。
ガラス越しの爬虫類コーナーに足を踏み入れた時には、珍しく弟も強い関心を示していた。

「すげえ、見てみろよクレッド。あの馬鹿でかいヘビ、熱帯の奥地に生息する有名な毒蛇だ。ロイザが好きそうだな〜。そういやあいつ、昔俺に古の大蛇の毒瓶をプレゼントしてくれたことがあってさ、驚いたよ。ハハ。さすが動物だよな」
「へえ、そうなのか。あのぐらいなら俺も狩ったことあるぞ。毒蛇ではないけど、僻地の任務で食料が尽きて、仕方なく。当然だけど味は良くなかったな」
「……えっ!? 食ったの? 可哀想なことすんなよ! つうか動物園でする話じゃねえぞ!」

平然と話す弟に思わず突っ込むと、奴は驚きつつも、すぐに苦笑を浮かべた。

「ごめん。他に食べ物なかったんだよ。……でもあれだな、やっぱり兄貴だな。また怒られたか」
「……ん? またってどういう意味だ。前にも聞いたのか?」
「いや、えっと……違う話だけど。実は……俺達、ここに来るの初めてじゃないんだ」

予期せぬ言葉に目を見開く。
クレッドは恐る恐る俺の様子を伺っているようだった。

「言わなくて悪かった。けど、今の兄貴にとっては初めての場所だし、ここが一番楽しめると思って。それに……」

若干歯切れが悪くなる弟が気にかかる。
俺はそばにいる奴の肩をぽんと叩いた。

「謝んなよ、連れて来てくれて俺も嬉しいから。ほんとすげえ楽しいし。あれだろ? なんか記憶が戻るきっかけになるかもしれないもんな」
「……兄貴。……うん、そう思った。でも自然に、というか……ほんとに、急ぐ必要はないから」

そう言って目をじっと見つめられると、急に緊張が走る。
失った記憶の話をすると、こいつはいつも少し切なげな表情で、俺の心を探るような眼差しを送ってくるのだ。

弟の気持ちと優しさを同時に受け取り、すぐに応えてやれない歯がゆさもある。
しかし、俺は大人で兄貴のくせに、こうしてクレッドから気にかけられていることが、どこかで嬉しいと思ってしまっている。ずるい奴なんだ。





それから二人で遅めの昼食を取ることにした。レストランに入り、和気あいあいと食事を楽しむ。
こんな風に満喫して、俺と弟は完全に、距離の近い親しい兄弟仲に戻ったようだった。

というよりこれじゃあまるで、マジでデートみたいだ。あの同僚の呪術師が言ったように、いやあいつだけじゃない。周りの皆も口を揃えて言う通り、相思相愛じゃないかよ。

自分で突っ込むのだが、兄を慕ってくる可愛い弟の笑顔は、まんざらでもない気にさせる。

「あっ、なぁちょっとトイレ行ってくるわ。すぐそこだから」
「分かった。外で待ってるな」
「おう」

店を出た後、そそくさと手洗いに向かった俺に、突如とんでもないことが起きる。

何故だ。
記憶喪失になったとはいえ、ここまで弟のおかげもあり順風満帆にやってきたじゃないか。
なんでいきなり、こんな悲劇が起こるんだ。

「あーっ、すげえ疲れた。あの園長、やたら交渉渋りやがってよ。俺を誰だと思ってんだよ。まぁ結局倍の価格で聖獣売り付けてやったがな。ざまあみろっつんだよ、なあナザレス」

聞き覚えのある荒々しい重低音が、遠くから響いてくる。
声だけではない、筋肉質な巨体から生まれる服のこすれる音、まとう殺気じみた気配に、すぐに全身が凍りついた。

……嘘だろう。何故この男がこんな近くに。

俺はすぐに逃げの姿勢を取った。手を洗い小走りで出口へと向かおうとするが、背後から容赦なく襲いかかられる。

「あ? よお、お前こんなとこで何してんだ。……おい、逃げんじゃねえバカ弟子」

いつの間に至近距離に来たのか、後ろ首をがしりと掴まれ、息苦しくなりながらゆっくり振り向く。

「し、師匠……苦じぃ離せ」
「お前が去ろうとするからだろうが。偉大なる師に挨拶もなしか? ん?」

必死にもがくと、ぱっと解放され深呼吸をする。
目の前には見上げるほど長身で体格の良すぎる、獅子のたてがみのような金髪の男が立っていた。

いかなる時も会いたくない人物、俺の師である妖術師、グラディオール・メルエアデだ。
しかし奴は小脇に見慣れないものを抱えていた。黒い小さなもふもふで、長い耳をぴんと立たせ、丸い可愛らしい黒目でこっちをじっと見ている。

「うわっすげえ可愛い〜。なんだこのうさぎ、師匠盗んだのか? 駄目だよ返さなきゃ。可哀想に……おーよしよし」

丹念に撫でて毛触りを堪能していると、師匠がうさぎを俺から隠し、怪訝な目付きで睨んだ。

「何を言ってるんだ、お前。とぼけてんのか?」
「は? 何がだよ。隠すなよ、独り占めすんなって」
「……おい。ところでこんなとこで何してんだ? あいつもいるのか」

金色の眉がぴくりと上がり、背筋がまた凍る。
やべえこんな無駄話してる場合じゃない。

そうだ、俺は今弟と一緒にいるんだった。万が一この最凶最悪の男に大事な家族の存在が知れたら、絶対良くないことが起きる。
師匠はいつだって災いの種なのだ。そして戦争の火種でもある。

ーーっていうかあいつって誰だよ。まさか知るはずないよな。話したことないし。まじでやめてくれよ。

「あ、ははは。何でもないって。ちょっと友達とね。もうすぐ帰るから。じゃバイバイ」
「おい待て、セラウェーー」
「ーー兄貴? 随分遅いけど大丈夫か?」
「んぶっ!」

ちょうど出口を抜けて外に走り出た時だった。
クレッドの厚い胸板に鼻先がぶち当たり、最悪な事態を招くことになる。

見上げると弟は、俺以上に凍りついた顔をしていた。
視線は背後にある巨体に向かっている。

俺はなんとか弟を隠そうと、奴にしがみついて覆おうとした。

「あ、なんか変な人に絡まれちゃって。もう行こうぜ!」
「おいそれはねえだろ、セラウェ。つーかお前らあれか? 男二人で動物園とは、またデートとかいってイチャついてんじゃねえだろうな。ったく、ハネムーンだの何だので騒いだ後で、すぐこれかよ。あんま調子乗んじゃねえぞ、聖騎士」

流暢に話し出す師匠を唖然と見る。

またデート? ……は、ハネムーン?
急に何を言い出すんだこのおっさんは。

え。まじでどういうことだ。
頭が真っ白になっていく。というか何故弟が聖騎士だって、知ってるんだ。

「……やめろ。黙れ」

混乱する俺の前で、冷たい顔をしたクレッドが声を絞り出す。
もしかして、この二人……考えたくはないが、もう知り合ってるのか?

終わりだ。

「師匠。こいつのこと知ってるのか? 頼むから手出さないでくれよ。俺の弟だからさ」
「なあ、お前さっきから何言ってんだ。弟と付き合い出して、さらに頭おかしくなったか? だから俺は何度も言ってんだろうが、兄弟で恋人ごっこなんか止めとけってなーー」
「やめろ、メルエアデッ!」

クレッドの声が響き渡り、俺はその凄まじい形相に驚いた。

いや待て。
恋人ごっこってなんだ。
さっきの台詞もおかしい。それじゃまるで、え? なんなんだ。

苦悩の顔つきで額を押さえるクレッドを見た。

これまでのことが頭の中を駆け巡る。
知らないうちに、弟との距離が驚くほど縮まっていたこと。
熱い告白をされたこと。大事にされていることを感じ、何度も触れられたこと。

そして、前はなかった感情が心の奥底で、見え隠れしていたこと。

ーーでもそれは、こういう事だとは、俺は分かっていなかった。
昔も今も、俺は変わらず阿呆なのだ。

「クレッド……? どういう事だ? 恋人って……」
「……兄貴」

揺れ惑う視線がかち合う。
何かを言えばいいのに、言い出せない。

「兄貴は、記憶を失っている。俺達の……大切な思い出だ」

消え入りそうな声で、伝えられた。
その言葉に、全てが集約されているような気がした。

途端に、自分に対し計り知れない衝撃と、渦巻く感情が襲い来る。
足ががくんと落ち、腰が抜けそうになった。

クレッドがとっさに手を差し出し、倒れこみそうになった瞬間。
俺の体は後ろからがしりと太い腕に拐われ、奪われた。

「なっ……兄貴ッ!」

弟の焦燥と憤怒の表情が現れる。
気がつくと俺は師匠に抱えられ、弟から距離を取らされていた。

「ほほう、なるほど。セラウェ、お前全部忘れちまったのか。ふーん、そうか。……ハッハッハッ!」
「な、何がおかしいんだよ、離せ師匠!」
「うるせえ、暴れるな。久しぶりに良いニュースを聞いたぜ。いいじゃねえか、やっとまともに戻れるんだからな、お前も」

頭をわしゃわしゃと撫でられ、身震いする。
俺は、一体何をしたんだ。
本当なのか。弟と、そんな関係だったというのか。

今まで感じた既視感も、感情も、あの夢も。
全てそれを仄めかしていたのか。

「こんな形で、伝えたくなかった。ごめん、兄貴……本当に、すまない……」 

クレッドが苦しそうに眉間に皺をよせ、吐き出す。

こいつはいつも、こうして謝っていた。
自分が悪い訳じゃないのに、俺を気遣って。一番心配して。

どうしてだ?
クレッドだって、どんな気持ちでずっと俺と一緒にいたんだ。

ガツン、と頭が殴られたように痛くなり、ぐるぐると目眩が襲う。
その時だった、その場に新しい男の声が加わったのは。

「おいおい、兄貴のこと泣かせんなよ。セラウェがショック受けちゃってるじゃねえか。好きならもっと可愛がってやれよ。……ああ、そうだ。もう弟ラブの記憶がなくなってるってことは、俺にもチャンスあんじゃね? なあおっさん」

気がつくと小麦色に肌が焼けた、厳つい男が立っていた。
筋肉質な体格で、同じく背が高い。

誰だこいつは。見たこともないが、禍々しく嫌なオーラが充満している。
しかも話の内容がいかがわしくて、何も信用出来ない。

「ああ? お前は黙ってろナザレス、勝手に人化しやがって。チャンスなんかあるわけねえだろうが。俺がバカ弟子を更正してやるんだからよ」
「……はっ? ちょ、やめろ! 馬鹿師匠!」
「ふざけるな、兄貴を離せ、このーーッ」
「動くな。丸腰のお前はそんなに怖くねえ。じゃあナザレス、この若造任せるわ。俺は先にこいつ連れ帰っとくからな」
「はぁ? 面倒くせえな。俺も早くセラウェと遊びたいんだけど。……まぁいいか、積年の恨み晴らしてやるぜ、聖騎士」

男が弟に掴みかかり、クレッドも勢いよく応戦しようとする。
どうしてこんなことになったんだ。
全身全霊で振りほどこうとするが、師匠の拘束には手も足も出ない。

「クレッド……! やめろ、弟に手出すな、やめっ」
「……ぐっ……兄貴、待ってろ、絶対に迎えに行く、俺がすぐにーー!」

確かに交わしあった視線も、師匠の転移魔法の光に包まれ、途切れてしまった。



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