▼ 12 急な訪問
その朝、俺はおかしな状態で目を覚ました。
十分な間隔を保ってたはずなのに、ベッドの中心で丸まり、あろうことかクレッドの胸に潜り込むように眠っていた。
その上、弟の腕が俺を抱くように腰に回されていた。
なんだこれは。衝撃的過ぎてしばらく動けなかったんだが。
いくら寝相が悪いとはいえ、こんなぴったり偶然重なるのか。
「……おいっ」
「ん……」
「起きろってば、つうかなんで離れないんだ、この腕っ」
もがいていると、クレッドの蒼い瞳がゆっくりと開いた。
まだ寝ぼけてるのか、目を細めて笑いかけてくる。
「兄貴……かわいい。おはよう」
「……はっ?」
こいつ一体何の夢を見てるんだと思いつつ、軽くなった腕を無理やり引っ張がした。
羞恥を隠しつつジリジリ離れる。するとクレッドは瞼をこすりながら起き上がった。
「……えっと。ごめん、俺何かした?」
「ああしたよっなんか抱きついてたぞ!」
「それは兄貴だろ。昨日早々に俺のとこ来たぞ」
欠伸しながらあっけらかんと述べる弟に、愕然とした。
「な、なんで俺がんなことすんだよ、おかしいだろう!」
「……うん、なんでだろうな。俺も知りたいよ」
クレッドが何故だか幸せそうな笑みを浮かべているので、大混乱に陥った。
良い年して年下の弟にくっついて寝ていたなんて、恥ずかしいにもほどがある。
それだけじゃない。俺は昨日こいつが寝る直前にほっぺにちゅーしてきたこと、忘れてないぞ。
このやり場のないモヤモヤは、どこに向かわせればいいんだ。
「お、お、お前も拒否しろよっ。普通に受け入れやがって!」
「兄貴落ち着いて。……まぁそれは、なんというか、癖だな。というか俺は嬉しいから、何の問題もないよ」
おい待てよ。どこから突っ込めばいいんだよ。
俺達は一体、どういう関係なんだ。なんかもうただの兄弟じゃない気がする。
考えれば考えるほど、頭の芯まで熱くなって動悸がしてくるんだが。
「……大丈夫か? ちょっと顔が赤い。興奮し過ぎだ、熱はないよなーー」
伸ばされた手にビクッと反応した時だった。
家のベルがこの部屋まで鳴り響いてくる。俺たちは会話を中断し、二人で顔を見合わせた。
え。誰か来たのか。
こんな風にくつろいじゃってるが、ここ一応騎士団本部の最上階だった。
「誰だ、こんな朝早くに……」
一転して苛ついた表情を見せたクレッドが、俺に「ちょっと待ってて」と声をかけた後、ベッドから立ち上がった。
シャツの上からガウンを羽織り、扉を出て玄関へと向かう。
無性に誰が来たのか気になった俺は、こっそりと後をつけた。
廊下の角を曲がり、頭だけを出して確認する。
すると弟の前には、背の高い金髪の男が立っていた。
青い制服姿で、年は若いが一見してクレッドに……似ている。
背格好や顔つきなど、そっくりなんだが。
「ーーというわけで、おやすみの所申し訳ありませんが、司教から至急会合の要請が出ています。よろしくお願いします、団長」
「……司教か。お前の家系はほんとに空気が読めないよな、ジャレッド」
「ちょっと、酷くないですかそれは。仮にも俺の親父に向かって……というか団長の寝起き姿、珍しいな。レアですね」
「余計なことを喋るな。……今用意するからそこにいろ」
二人で親密そうに喋ってるが、騎士はどうやらクレッドの部下のようだ。
息を殺して様子を伺う中、弟が突然くるりと振り返ったため、俺もすばやく隠れようとした。
しかしその一瞬に、目を見開いた弟の背後の騎士も、こっちを見た気がした。
「……あれ、もしかして。誰か連れ込んでるんですか? いけないなぁ、団長。セラウェさんに言いつけちゃいますよ?」
楽しそうに放たれた台詞に、すぐに引っかかる。
俺に言いつけるって、なんでだよ。どういう意味だ。
「おいジャレッド。お前そこにいろよ、動くなーー」
「あっ、えっと、こんにちは……いつも弟がお世話になってます。いやお世話してます、か?」
どうせ見つかったんだしと、俺は頭を掻きながら廊下に出ていった。
驚きで顔を引きつらせる弟だが、一応兄として自己紹介しとかないとな。
それになんだかこの騎士、言動も弟似の外見もだが、少し気になっていた。
「……兄貴。なんで…」
「セラウェさん? えっ、いたんですか。うそ! というか泊まり? マジかよ、いいなあぁ」
ぱっと表情を明るくし、大げさに前のめりになった騎士の肩を、クレッドががしりと掴んだ。
眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな雰囲気だ。
「俺のこと知ってるのか? 悪いが君のこと覚えてないんだ。ちょっと記憶が飛んじゃって、はは」
「はい、ユトナ隊長から聞きました。俺心配です、セラウェさん。どうかお大事にーーあっでも俺とあなたの関係はいつでもやり直しがきくんで、気になることがあれば、何でも聞いてくださいね」
姿勢を正し、にこりと笑うその笑顔が、隣の弟に重なる。まるで昔のクレッドみたいだ。
なんかよく分からんが、この男にわりと好感を持たれているようだ。
「ああ、よろしくな。助かるよ」
「兄貴、こいつはいいからあっちでーー」
「団長。俺はここで待っていますので、準備をお願いします。あ、ごゆっくりどうぞ」
「……お前至急って言っただろさっき! いいか余計なことするなよ、じっとしてろッ、兄貴もだ!」
明らかに苛ついた口調で、ドタドタと廊下を去っていく弟。
突き当たりの書斎らしき部屋に入ると、また大きな騒音がした。
急にどうしたんだ一体。実際は仲悪いのか?
騎士を見ると再び微笑まれる。
「そうだ、待ってる間珈琲でも入れるよ。どうだ?」
「え、本当ですか。嬉しいです、ありがとうございます」
爽やかに礼を述べる騎士を連れて、居間へと向かった。
昨日の弟のやり方を思い出しながら、台所で準備をする。初めてだというのに動作がすんなり馴染んで、不思議な感じがした。
「ああ……セラウェさんお手製の珈琲が飲めるとは。俺今日最高にツイてるな」
三つ用意したうちの一つのカップに、感激した様子で騎士が口をつける。
低い机を挟み、ソファに座ったジャレッドという若者は終始嬉しそうだ。
「おいおい、大袈裟だな君。こんなもんいつでもご馳走してあげるよ。まぁここ俺んちじゃねえけど」
「ほんとですか、約束ですよセラウェさん! ……それにしても団長が羨ましいな。あなたの記憶が無くなったって聞いて、死ぬほど落ち込んでると思ったら、すでに一緒にお泊まりしてるなんて……一体どんな手使ったんだ、ずるくないですか? あの人」
足を開き、身を乗り出して尋ねる屈強な騎士の言動に、だんだん俺も首をかしげてくる。
さっきから何を言ってるんだ?
こいつもちょっとおかしくないか。というか俺たちの親しげな関係、こんな若い騎士にも知られてんのか。
「あの……ちょっとさ、さすがに恥ずかしいんだが。俺と弟が仲良いこと、まさか有名なの?」
「…え? はい、それはもちろん。団長が兄命なのは、騎士団でも知れ渡ってますよ」
「はあ!?」
思わず出した大声を手のひらで押さえる。
なんだその恥ずかしい事実は。嘘だろう、あいつは団長という重要な立場なのに何故平気なんだ。ありえん。
「あいつ全然気にしてないのか? やばくないか、過度のブラコンばれたら」
「……まあ、変わってますからね。団長は。常人には理解しきれないというか…」
真面目に頷く騎士の気持ちは分かる。
ぐるぐると考えていると、目の前の男も信じられないことを言い出した。
「でもこれって、本当にチャンスだよな……今なら俺にも入り込む隙あるかも……よし。セラウェさん」
「あ? 何?」
「実はセラウェさん命なの、団長だけじゃないんです。俺もそうなんですよ。良かったら、今度二人でお食事にでも行きませんか? 俺何でもおごりますから」
……ん?
突然いろいろ言われて理解が追いつかない。
けれど騎士は至極まじめに俺を誘っているみたいだ。
「君、俺のファンなの? でも年下におごられるのはちょっとな……格好悪いし」
「いえいえ、いつもセラウェさんにはお世話になってますし、あ、そんな畏まった感じじゃなくて。じゃあ一度お茶でもどうですか? 気軽な気持ちで。ね?」
騎士が半分焦った様子で一生懸命になっている。
こいつ、そんなに俺とお茶したいのか。変な奴だ。
「まぁそんぐらいなら断る理由もないか……」
「本当ですか? やった! 俺めちゃくちゃ嬉しいです、約束ですよ!」
「ああ。じゃあ一応クレッドにも聞いてーー」
「え? いやいやダメですって、絶対二人でお願いします」
迫真の表情で念を押す男に、口をぽかんと開ける。
その時遠くから扉がバタンと閉まる音がした。
ジャレッドが身を乗り出し、俺に顔をそっと近づけた。
「広場前に今度の日曜、五時に待ってます。セラウェさん」
「は? いやちょっと」
ぼそりと告げられ断る間も無く、居間にクレッドが現れた。
満足気な顔を見せ、騎士が即座に立ち上がる。
この男、強引過ぎないか。勝手に日時指定されたんだが。
まだ全然知り合って間もないのに。
「兄貴? 大丈夫か。何か変なことされてないか、こいつに」
「……えっ、いや……」
「何もしてませんよ、団長じゃあるまいし。では俺は外で待っていますので」
騎士は敬礼をして俺にちらっと視線を送り、「セラウェさん。ご馳走さまでした」と笑顔で頭を下げその場を去っていった。
クレッドはため息をつき、一度俺の隣に座る。
向き直ってじっと見られて、緊張が走った。
「兄貴、あいつに飲み物まで……優しすぎだ」
「あっ、お前にも入れたぞ。一口飲んでけよ。あと仕事頑張ってな」
弟に勧めると奴は微笑む。珈琲を飲んだ後礼を言い、立ち上がった。
青い制服姿は凛々しくて、見惚れるほどだ。
さっきあの騎士と似ていると思ったのだが、我が弟ながらやっぱりこいつのほうが何倍もかっけーな、などと兄バカのようなことを思ってしまう。
「美味しかった、兄貴。ありがとう。ごめんな、朝早く起こして。……もっと一緒に居たかったよ」
「はは、んな悲しそうな顔すんなよ。またいつでも会おうぜ」
「うん。近いうち、また会いたい。この部屋も好きに過ごしてていいから。……じゃあ、またな」
名残惜しそうに告げたクレッドは、自然に俺に腕を回した。
恒例となった別れの挨拶だ。
しかし俺はその時初めて、奴の背中に自分の手をそろそろと伸ばした。
昨日の珍しい触れ合いを思い出し、ぽんぽんと弟の背を撫でる。
まあこんぐらい、いいんじゃないか。
「泊めてくれてありがとな、楽しかったよ俺」
そう言って笑みを浮かべ顔を上げると、クレッドの顔がすぐ近くにあった。
頬にちゅっ、と軽く唇が当たって、俺は瞬間的に停止する。
ゆっくり離れたクレッドは頬を少し赤らめていた。
「じゃあ行ってきます」
「あ、ああ、行ってらーーじゃねえよ、お前何してんだいきなり!」
「ごめん。我慢できなかった。いいだろこのぐらい、挨拶だよ」
「開き直ってんじゃねえ! お、俺は昨日の夜のことも覚えてんだぞコラッ」
「だからただの挨拶だって。したいものはしょうがないだろ」
そそくさとその場を立ち去ろうとする弟を、俺は真っ赤になって興奮しながら追いかける。
おい。なんなんだこれは。
さっきの騎士とのやり取りが吹っ飛ぶぐらい、動揺してるんだが。
俺はいつからモテモテになっちゃったんだ?
しかも普段は接点のない、立派な騎士共から。
これは夢か何かなのか。それにしても、だんだんエスカレートしてきてないか。
混乱は酷くなるいっぽうで、とどまることを知らなかった。
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